2011年 100km Walk
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◆高田 尚志(岡山政経塾 9期生)サポート副隊長
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岡山政経塾 100km歩行レポート 2011年5月11日
「完歩のために」
自分も痛かった。だからこそ暗闇に再び送り出すときには心が痛んだ。
しかし知ってほしかった。
100キロ歩き切ったその先には、歩き切った人にしか見えない未知の領域と
言葉にできない達成感があることを。
サポートするにあたり
副隊長として責任を任せられたエリアは、「藤野交差点〜JA瀬戸支店」。寒くて、痛くて、寂しくて・・・昨年、私が最も辛かったエリアだ。そして私はそこで崩れ落ちた。だがそれを乗り越えることができたのは、前と後ろを歩いていた完歩を誓い合った仲間がいたから。そして勇気を与えてくださった多くのサポーターの皆さんがいたから。
あれから1年・・。
70キロ、リバーサイド。 私にできることは何か。
練習会
私が練習会に参加した目的は2つある。
1つ目は、チャレンジャーの名前と顔を完全に覚え、心の通ったサポートをする為だ。
10期生の入塾式で司会をさせて頂いた際、一人一人の決意表明の前に、100キロ歩行でサポートすることを前提として、10期生の目を見て、名前と顔を覚えるつもりで呼ばせて頂いた。練習会以外で会った時にも、必ず名前で呼ぶように心がけた。当日は誰よりも早く、遠くに見えたチャレンジャーの名前を他のサポーターに伝え、名前を呼びながらチェックポイントで出迎えた。
2つ目は、チャレンジャーの心に火をつける為だ。
体と心の不安を取り除く為のアドバイス。会話をする中で、チャレンジャーの決意と覚悟を確認し、やる気を引き出すことに注力した。そんな中で最も伝えたかったのは「仲間と一致団結してほしい」ということだ。仲間の存在は本当に力になる。誰かの為に頑張ることは言葉にできない力を生む。自分だけが完歩できればいいのではない。仲間と離れて歩いていても、心は一つであってほしい。それを何とか伝えたくて、チャレンジャー会議の時にもあえてそれをメッセージにした。
伝統のサポートと感謝
前回チャレンジャーとして参加して感じたこと。それは、サポートしてくださった皆さんの心が、どれだけ私に勇気を与えてくださったかということだ。今度は、自分がそれを岡山政経塾の伝統として受け継ぎ、伝えていく責任があると感じていた。
冷静で的確な指示を出してくださった波夛隊長を中心とし、同行副隊長の渡辺さん、藤原さん。同じ副隊長の三島さん、油田さん、采女さん、谷さん。例会前も当日も、「全員完歩」を目標に掲げ一つとなった素晴らしいチームだった。そして何といっても、第1回大会から歴史を重ねてきて下さった小山事務局長はじめ幹事の皆様、多くの先輩方、そして本例会の活動にご理解いただいている地域の方々の心のこもったサポート。チャレンジャーとして参加していた時には見えなかった裏方の皆さんの献身さを知り、サポート隊として参加させて頂き、尚一層の感謝の念が芽生えた。
伝統のサポート。これをチャレンジャーの皆さん伝えられたかどうかは分からないが、伝わっていることを願っている。
同期の完歩
私にとって、今回の100キロ歩行で最も重要な位置づけとしたのが、同期の難波君と清水さんの完歩だった。1年間活動をともにした同士の今年の100キロ歩行にかける熱い想いは、同期の誰の目から見ても明らかだった。ましてや実行委員長、副実行委員長である二人は、自分の事だけではなく、他のチャレンジャーを鼓舞しながら練習会を催し、牽引していく責任があった。彼らとて不安だったはずだ。会話の中でそれが伺えた。しかしそれを少しでも払拭するかのように二人は練習を重ねていた。
「心と体と物の準備」はできているようだったが、もしこれで彼らに100キロ歩けない理由が何かあるのだとしたら、それは、自分たちサポーターが足りない時なのだと思った。
難波博文
藤野の交差点をすぎて、難波君と会った。車から降りて1人黙々と歩く彼に話しかけた。すると彼から返ってきた言葉は、自分の事よりも他のチャレンジャーの状況を気遣う言葉だった。サポーターでありながら、チャレンジャーである彼に励まされた想いがした。リバーサイドに到着しマッサージを受けた彼を、再び彼を送り出す時に、今年こそ彼がゴールする姿がハッキリと見えた。
清水陸代
暗闇を歩き切り、東の空から日が昇り始めた頃、JA瀬戸支店に最終通過者である彼女が歩いてきた。
残り5時間で18km。時速3.6kmで休みなしで歩かなければならない。リバーサイドからJA瀬戸支店までの彼女のスピートを、これ以上落としてしまうとゴールは難しい状況にあった。
だが、彼女も9期の仲間も、最後の最後まで決して時間内完歩を諦めなかった。ペースが落ちそうな彼女に激を飛ばし、それに応えようとする彼女の姿はまさに死闘であり、その姿に私は勇気づけられた。途中、難波君がゴールした連絡が入ってきたとき彼女は仲間のゴールを手を叩いて喜んだ。少しだけ足取りに力強さが戻ったようにも見えた。
みんなと歩いたあの時間、私は自分が9期生の一員である事を誇りに思った。と同時に幸せな気持ちで満たされた。
旭川の河川敷まで戻ってきて、橋の上からゴールした難波君が手を振る姿が見えたとき、無事に終わろうとしている100キロ歩行に胸を撫で下ろしている私と、終わることに寂しさを感じている私がいた。
◇最後に
死闘を繰り広げたチャレンジャーの皆さんが後楽園の芝生の上で、安堵と達成感に満ちた表情で寝転がっている姿を見て、サポートしてよかったと心底思った。チェックポイントを重ねるたびに苦痛が増していく表情を見ながら送り出すことは本当に辛かったが、自分も味わったあの感動が、今まさに政経塾の同志として迎えた10期生の皆さんにも起こっているのだと思うと嬉しかった。そして、外部から参加してくださった、金関君、柏崎さん、西蔭さん、高田さんにも、私たちがなぜこんなにも100キロに熱くなれるのか分かっていただけたのであれば、今回の10周年記念行事の意味があったのではないかと考える。
サポーターとして参加させていただいた24時間100キロ歩行。チャレンジャーとして参加した昨年とはまた違った感動と感謝に出会えた。
70キロ、リバーサイド。 私にできたことは何か。
私がチャレンジャーの為にできたことなんてほとんどなかった。ただ分かった事は、私がエネルギーを与えていたのではなくて、頑張る姿にエネルギーをもらっていたということ。
今年の経験を胸に、人に感動を与えられるくらい、前向きに生きる人生を30km地点から始めたい。
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