2011年 100km Walk

 
◆江草 聡美(岡山政経塾 6期生)

岡山政経塾 100km歩行レポート             2011年5月 日
「 3.11を生きる   〜震災と100キロ歩行〜 」



<はじめに・・>

 2011年3月11日以来、心が掻き乱され、常に情緒不安定な自分がいた。新聞を読んでは号泣し紙面を破きたくなる衝動を必死に抑え、TVを見ては下らない番組に吐き気を感じ苦情のメールを送る・・。少し冷静にならなければ自分が壊れる。
 そのためには、100km歩行に、人は生かされていることを実感したここに、戻ってくることが一番だと思った。



<想定外>

 震災後、幾度となくこの言葉を聞いた。
 よって「想定とは何か」を、この機会に改めて考える。
 100キロは「物・体・心」の準備を万端にし、ありとあらゆることを想定して歩くのだが、当然想定外のことは多々起こる。私自身も途中、2度も嘔吐し、脱水症状になるとは全くの想定外だった。

 今年も30キロの飯井の交差点でサポートを行った。去年の先頭通過時刻を参考に現地到着を想定。後楽園を出発後、一旦家に帰り、のんびりと配る野菜の準備をしていた。
 しかし待てよ、今年は西村さんが再び歩いている・・・。その想定でよいのか?!
 車にはったステッカーをはがし、猛追跡で担当地点へと向かう。途中チャレンジャーの姿を見ても声をかける余裕がなかった。想定が甘かったのだ。
 携帯からデータ入力が出来ないことも想定外だった。サブだから、と自分の立場を軽んじ、入力チェックを怠って持ち場についてしまった。(いや、入力出来ないかも?という想定すらしていなかったのだから、これは想定外とは言わない。)

 つまり「想定外」とは、「まさか、そんなことはありえない」という人間のご都合主義(エゴイズム)が作りだす妄想であり、また「そんなこといっていたら何も出来ない」と時限を設けるための言い訳の道具なのである。その根拠はどこにあるのだと問われたら、おそらく何も言い返せないのが「想定」という言葉なのだろう。



<未来>

「転んでもただでは起きるな!」
 座右の銘ではないけれど、男前!の私にとっては結構好きな言葉である。
 せっかく苦しい思い、辛い体験をしたのなら、そこから多くを学び、未来につなげなければ意味がない。100キロを歩けても、歩けなくても私たちは多くを学び、自分の人生の糧として生きている。人づくり・地域づくりにつなげている。

 東日本大震災で失った尊い命を、未来につなげていくにはどうしたらよいのか。
 何を学び、どのような行動を起こしたらよいのか。エネルギーの在り方も含め、一人一人が結論をださないといけない時期が迫っている。そのときの判断材料の一つとして、「それは100年先の子ども達にとって有益か否か」を我が身に問い、決断をすべきではないだろうか? 「すべては未来につながる子ども達のために・・」私は講演の最後は、いつもこの言葉で締めくくっている。




<むすび>

 飯井の交差点に続く瀬戸内市長船町は、海抜が低く、大雨で田畑が浸水する場所として知られている。きっと同じような場所だったのだ。ありふれた日常の中で、いつもとかわらないように、こうして車を走らせていただろう。「もし今」と想像をするだけで恐怖心が芽生えた。
 私たち日本人は、これから3.11とともに生きていくことになる。何年、何十年かかるかわからない復興への道、どれほどの国民負担となるかわからない財政支出。
 覚悟を決め、今を生きるものの務めとして、これからが苦しくなる私の残りの人生57キロを歩んで行こうと思う。