2011年 100km Walk

 
◆藤原 弘憲(岡山政経塾 9期生)

岡山政経塾 100km歩行レポート             2011年5月18日
「サポート」



 9期生卒塾式の二次会で波多隊長に『運転手をお願いしたいんだけど』と言われ、人生初のサポートが始まった。勿論『はい了解致しました』の一言で返事を返したのは言うまでもない。
 昨年、チャレンジャーとして多くのサポーターの方々に助けられた事を思うと、私自身の心情としては隊長の補佐では無く、一サポーターとして参加したかったのが本心でしたが、サポート会議に参加するうちに、サポート隊長に何かあったら全てのサポートが機能しなくなるという事の重大さに気付き、全力で隊長の補佐をしようと心に決めた。



平成23年5月3日後楽園

 後に、エアーフォースTと名付けられた金色の隊長号に乗り込み、長い長い、24時間100キロ歩行がスタートした。隊長号には波多隊長と渡辺副隊長と運転手の私、というスリーマンセルの形体がとられ、渡辺副隊長が各エリア責任者からの全ての情報や状況を把握し、その情報を基に波多隊長が判断を下す!!という非常に効率的な体勢を作った。
 渡辺副隊長の情報処理の速さと、波多隊長の伴歩等の指示の的確さを真横で聞いているだけで、二人の息のあった連携、コミュニケーション能力は凄い!!の一言でしか表現できなかった。
 また、チャレンジャー以外に対しても、全てのチェックポイントのサポート隊の方々に挨拶をして回る波多隊長と渡辺副隊長の丁寧な心配りにも感服し、同行している私自身も多くのOB、OGの方と話す事が出来て非常にありがたかった。そんな心細かなお二方は運転手の私にも気遣いをしてくれて『藤原君、大丈夫??』と度々、声をかけてくれた。気合いの入っている私は、『大丈夫ですよ!!』と返していたが、お二方が何度も声をかけていた理由が、私の運転に対してだったと気付いたのは後日の話です。
 10年間無事故、無違反のゴールド免許を保有している私は、運転に対して結構な自信があったのだが、昔、バイクに乗っていたので棲息速度領域(スピード感覚)が他人と違うので、お二方にはかなり不安を抱かせてしまっていたらしい。本当に申し訳ございませんでした。

 日付も変わり午前4時頃、気温も下がり後方のチャレンジャーが万富〜JA瀬戸支所を目指すのを見届ける中に、明らかにペースダウンをして辛そうに歩いている同期の清水さんの姿が見えた。
 その姿を見た後、渡辺副隊長から『藤原くん運転変わろう!!』という一言で私は運転手をクビになりました・・・。
 その後、私自身が何をするべきかすぐに理解できた。10分前に着込んだ防寒着を脱ぎ、完全に歩く用意をしていた。
 瀬戸と平島の境に差し掛かった頃に、同期の楳田さんと一緒に清水さんの伴歩に着くが、この時には時速4キロを切るペースで10時までに後楽園に着くにはギリギリだった。しかし、前日の日暮れからずっと伴歩をし続けた同期の片山さん、タイムキーパー兼サポートの和田さんの尽力のおかげで何とかここまで辿りついている。そんな二人の努力を無駄には出来ない、絶対に朝10時までに後楽園まで連れて行くと固い決心と共に、残り15キロ、時間との戦いが始まった。
 楳田さんと相談の結果、清水さんにはきついだろうけどペースUPをし、最初の2.5キロで15分のマージンを作る事に成功し、その後2.5キロ毎に5分のマージンをプラスしていく事にした。途中、何回も清水さんがしゃがみ込んだり辛そうにしていたが、どんどんと駆け付けてくれる9期生の仲間達のおかげでペースダウンする事なく午前9時32分無事完歩した。



[終わりに]
 絶対に完歩するという約束を守った男『難波博文』やっぱり最高だよ!!
 今回、隊長の補佐をする事によって、多くのOB、OGの方々に出会う事ができ、熱心にサポートをする姿を間近で見る事により岡山政経塾に入って良かったと改めて実感した。今回の経験を生かし来年も全力で運転手をします。
 最後に、チャレンジャーの皆様、本当におめでとうございます。