2011年 100km Walk
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◆和田 治郎(岡山政経塾 9期生)
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岡山政経塾 100km歩行レポート 2011年5月20日
「100q歩行サポートから得られた達成感」
1.はじめに
今年が初めてのサポートで、与えられた役割は同期の清水さんの伴歩でした。昨年、清水さんは積極的に練習会に参加していましたが完歩できませんでした。今年は何とか完歩してもらいたいと思っていましたので、何ともやりがいのある、しかし責任の重い役割がまわってきたと感じました。
伴歩対象のチャレンジャー1名に対して、2人1組で伴歩を担当することになっており、伴歩の相方は同期の片山さん。昨年、片山さんは体重100s超で、100q歩行を成し遂げているものの、「ひょっとしたら伴歩の大半を自分がしなければならないかもしれない」と思い(片山さんゴメン)、3週間前から、週3日練習して本番に備えました。
本番2日前のサポート会議で、相方片山さんと話し合い、備前体育館からの伴歩スタートで、トータル60qと予想し、10km交代で伴歩することとしました。
2.100q歩行当日
最初のチェックポイント沖田神社でのタイムチェックの役割を終えた後、同期の数名と昼食をとり、片山さんとともに備前体育館に向かい伴歩に備えました。装備はチャレンジャーとして臨んだ昨年と同じものにして気合いを入れ、チャレンジャーの到着を待ちました。
備前体育館までは40q、チャレンジャーにより差はありましたが、既に多くのチャレンジャーに痛みが出ていました。清水さんとともに、再チャレンジとなった同期の難波さんもかなり腰に痛みがある様子でした。彼は実行委員長としてチャレンジャーを引っ張り、今年はほとんどの練習会に参加していました。若く、スポーツをしている彼であれば、今年は大丈夫だろうと思っていましたが、やはり100qは甘くないと気を引き締めました。
同期の難波さん到着からしばらくして清水さん到着。足を痛そうにはしていましたが、それほどでもない様子で、表情も明るく、「これならいける」と感じられる状況でした。ラスト30qが死闘になるなど全く予想ができませんでした。
10分弱の休憩の後に清水さんは出発、伴歩を開始しました。伊里漁港までの最初の10qは私が伴歩しました。歩行時速は5q以上出ており、この区間も快調でした。途中コンビニでの休憩時に、清水さんの旦那さん、同期の宮原さんの旦那さんが応援に来られた際にも、お二人に「大丈夫、完歩できます」と自信を持って伝えていました。
伊里漁港で片山さんと伴歩を交代し、3q先の伊里中ローソンで二人を待ちました。伊里中ローソンで、片山さんが「このペースであれば行ける。50q伴歩したい、行ける所まで行きたい」と言ってきました。同期の完歩のために、できるだけのことはしたいという片山さんの熱い思いを感じ取り、片山さんのやりたいとおりにしてもらうことにしました。しかし、清水さんが順調だったこともあり、「やることなくなってしまうな」と思っていました。
伊里中ローソンでは同期の山下君が後輩の整体師を連れて待機してくれていました。山下君は(どうしても)閑谷炊き出しまで伴歩をしたいらしく、清水さんからは「山下君の伴歩は要らない」と言われながら、片山とともに伴歩に向かいました。
炊き出し地点にも順調なペースで到着し、ますます完歩確実との思いを強くしていました。
リバーサイドに先回りをし、同期の谷さんの料理のプロによる豚汁を食べながら、複数の同期とチャレンジャーを待ちました。これまでの状況から、私は「清水さんは大丈夫、12:30ぐらいには到着するよ」と同期に話していました。
しかし、待てども待てども清水さんは来ず、予想より1時間遅れでリバーサイドに到着。
サポート時の参考とするため作成した、前年の完歩者の残り60qからのチェックポイント毎の時間、歩行速度の表を見ると、閑谷炊き出しまでの時間的貯金はすべてなくなり、ギリギリの状況になっていました。
ここからは、いかに清水さんを完歩に導くかに徹したサポートとなりました。
片山さんと残り30qについて相談し、細かく時間管理をすることとしました。片山さんに伴歩を代わろうかと申し出ましたが、「まだまだ大丈夫、和田さんだとペースが速すぎるし、管理は和田さんの方が向いている」との答えでした。片山さんも決して楽な状況ではないのは判りましたが、清水さんの完歩のために最善の方法は片山さんの言うとおりであり、私は管理に徹することとしました。清水さんは歩行時速が速すぎてももたない状態にあり、休憩時間も含めて、区間の平均時速を4qに目標設定し、私は1q毎に先回りしてタイムチェックし、分単位での管理を行っていきました。
片山さんは完璧なペースメーカーとなり、ほぼ歩行速度4kmで東平島までたどり着くことができました。しかし、まだまだギリギリの状況には変わりはありませんでした。
サポート隊長の指示により、東平島から同期のほぼ全員での伴歩となりました。私も伴歩したいと思いながら、完歩のためには時間管理が必要であり、引き続き時間管理を行っていくつもりでしたが、私の気持ちを察した8期生の油田さんが、私の代わりを申し出て頂きました。おかげで伴歩に就くことができ、感謝申し上げます。
明らかに清水さんは限界を超えていましたが、同期の伴歩によりペースが急回復しました。同期による伴歩が清水さんから力を引き出していると実感しました。後に本人からも「頭ではもう辞めたいと思っているのに、周りの伴歩で歩みを止められなかった」と聞かされました。まさに限界を超えた場面であり、自分もいくらかはその手助けができたことを本当に嬉しく思いました。
採れたて市場に到着。時速4qで30分程度の貯金ができていましたが、時間との戦いでした。伴歩について同期は、目標となるべく少し先を歩く者、鼓舞する者、冗談で場を明るくする者、何とか清水さんを完歩に導くために一丸となっていました。残り3qで80分となり、ここでやっと完歩を確信できました。
最後は9期全員での感動のゴール。再チャレンジとなった同期2人の完歩に、チャレンジャーとして完歩した昨年以上の達成感が私の中にありました。そして、今年は全塾生が完歩という偉業となり、素晴らしい結果でした。
相方の片山さんと固い握手を交わし、幸福感溢れる後楽園を後にしました。
3.おわりに
多くの感動と気づきが得られる100km歩行、来年も全力でサポートしたいと思います。
また、全員完歩という偉業を達成された10期生、リベンジを果たした同期2人に触発されたのか、「また歩いてもいいかな」という同期が数名いました。その時は伴歩(あくまで伴歩!)するので、言って下さいね。
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