2013年11月 岡山政経塾 体験入隊 特別例会
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◆酒井 千歳(岡山政経塾 十二期生) 2013/11/25
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『自衛隊体験入隊を通じて今感じること』
1.はじめに
今回の自衛隊体験入隊を通して感じたことは様々あるが、今まで私は恥ずかしながら、国家に守ってもらっているという感覚が非常に乏しかったと思う。生まれた時から、日本国内に飢えや略奪、戦争は無く、安全そして平和は当たり前にあった。安全で平和な暮らしは当たり前に与えられる権利だと思っていた。戦争は過去の出来事であり、日本の未来に戦争は起こるはずがないと、根拠のない安心感を抱いて暮らしていた。
また、自衛隊と聞いてイメージするのは災害救助や国際平和協力活動。「戦う」組織という感覚は抱かぬまま体験入隊の日を迎えた。
今回の体験入隊で初めて16万人もの自衛隊員がわが身を国のために捧げ、国内外で日々訓練を行っているという事実を知った。
2.自分の視野の狭さを知る
研修初日、10年後の世界のパワーバランスを仮定し、日本への脅威について考え、そこから、日本の安全保障戦略、防衛が担う役割について2つのグループごとに討議し発表しあった。正直、世界のパワーバランスなんて真剣に考えたことがなかった。まして、10年後の世界のパワーバランスなんて・・・。もちろん、テレビや新聞で、周辺諸国の何とも気持ち悪いニュースは連日見聞きしている。ただ、そんな情報を得ても、心からの危機感を感じ、日本の安全保障の為に何が必要かという思考は今までしてこなかった。自分の目の前の仕事や生活、10後の未来を考えることはあっても、『我が国の』という視点を持っておらず、自分がとても狭い視野だったということを改めて知った。また、国家目的についても改めて考え直す機会にもなった。
3.私の中の違和感
松下中隊長の講義の中で自衛隊は「戦う組織」、「理性ある暴力集団」であるという言葉があった。今回の自衛隊研修中、私の心の片隅、いや大部分に『違和感』があった。『戦う』、『暴力』という言葉に対し、自分でも驚くほどの抵抗感が強くあった。自国の平和や幸福の為には、他国に武力で対抗するしかないのか・・・。暴力に暴力で対抗することへの罪悪感やもどかしさがあった。戦車に試乗させて頂いたりもしたが、その戦車の先や火砲の向かう先には、誰かの悲しみや痛み、そんな負のイメージが強く複雑な心境だった。そんな思いを、研修後に同期や事務局長に正直にぶつけてみた。すると、「もし自分の家族、まして愛する子どもが飢えているときに、戦わないことができるだろうか。大切な人を守ろうとする極限の時、暴力や武器を使うのが人間ではないか」と言われた。・・・確かに、そうかもしれない。生命の危機的状況を経験したことの無い私にとって、『戦う』ということは不必要であったが、もし危機的状況に陥ったときには、大切な存在を守るために『戦わざるを得ない』時や事態があるのかなと感じた。現に周辺諸国の挑発的な行動があることを考えると『戦える』軍事力は必要不可欠であり、それに守られて生活している・・・。
『競争』することは人間一個人でも、社会や国家でも、成長し発展する上で必要なことだと思う。しかし、個人や自国の利権ばかりを追求し主張し、他国の平和や幸福を『奪う』行為は納得がいかない。理想なのかもしれないが、私は個(自国)と全体(他国)の調和のとれた幸福な社会を追求したい。
そして、事務局長より「国内で殺し合っていた戦国時代に生きていた人は、国内で争いが無くなる日本の将来を想像していただろうか。それと同様に世界から争いが無くなる日を思い描くとしたらどうか・・・地球上から国防費が無くなる世の中を・・・」という提案を頂いた。
4.未来に向けて
今、日本の社会を見渡すと『自分さえ良ければ』という考え方のもと、自分の車内はピカピカなのに車の窓から煙草の吸殻をポイ捨て、いじめ、連日のように殺人があったりする。一方、電車のホームに人が落ちた時に力を合わせて電車を持ち上げ救出した乗客達、被災地の助け合う人達、「自分のことよりあなたへ」、「力を合わせ乗り越える」という『他を思いやる』精神が日本には確かにある。そんな精神を国を超えて世界全体に発信し、国同士の信頼関係をより強化させていくこと。それが何よりの国防であり、地球全体を守ることになるのではないかと考える。
最後に、2日間の体験入隊で多くの学びを与えて下さった日本原駐屯地の自衛隊員の方々、このような機会を与えてくださった岡山政経塾に感謝します。
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