岡山政経塾 研究科
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◆岡山政経塾10周年記念 シンポジゥム◆
〜 シンポジゥにて研究発表 〜
2011年12月18日 岡山プラザホテル
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1.ごあいさつ
(1)福武總一郎 岡山政経塾幹事
ベネッセホールディングス取締役会長
■福武總一郎氏 あいさつ
皆さん本日は大変ご多忙の中、岡山政経塾10周年の記念の講演会ようこそ御越しくださいました。今回は、ただいま一緒に入場させていただきました村尾さんにご無理をお願いいたしまして来て頂きました。
現在の閉塞しているわが国、そして世界の方々とも交流しておられる村尾さんのお話は、わが地域岡山のこれからにもきっと役に立つのではないかと思っております。
岡山政経塾は、2001年に構想をもち、そして2002年の春設立いたしました。岡山からそして地域から日本を変えていこうという熱い気持ちで現在までに来年の3月に卒塾する現役生を含めて180名の生徒が学び、そして卒塾していきました。その中では、市長に2名、県議に4名、市議に2名のという、市政、県議会のほうにも進出され、地域で政治を通して活躍をされるまでになりました。
われわれはこれからの日本を変えるためにはまず、地域から変えていかなくてはならない。足元の岡山から変えていかなくてはならない。
私自身瀬戸内海の直島から変えていくということで、この近代化=都市化というなか、日本の原風景の残っている島々がどんどん見捨てられ、切り捨てられていく状況の中、現代美術という手法でこの20年間やってまいりました。おかげで世界でも名が知れるようになり、現在では40万ほどの方々が島民3200名くらいの島に来ていただくようになり、そのうち二割は海外の方というまでになりました。
それを通して私は見捨てられた、あるいは切り捨てられたところであっても、やり方次第では世界にも名をとどめることの出来る場所になるということを痛感しています。その活動をベースに、皆様方もご案内の、昨年は瀬戸内国際技術際が開催されました。
この芸術祭には100日間で93万人の方々から世界中から来ていただき、また2013年にはさらに区域を広げてやっていきたい。芸術文化、という活動を通じて島々の人たちが明るく元気になっていく。島々は若い人はみんな出て行きましたが、お年寄りが大勢いらっしゃる、そのお年寄りが若い人よりも活力をもって、そしていきいきと生きている様をみて逆に、私は若者ではありませんけれども、若い人たちが刺激を受け活力をもらっているという、そういう構造になっていると思います。
今までわれわれは、だめだ、だめだということばかりに慣れすぎてしまっています。しかし一人ひとりの行動こそがこの地域、日本を変えていく。不平不満を言う前にまず、行動すべきではないか、そして行動するためには一人では出来ない。同じような志を持って行動しよう。それが当岡山政経塾であります。
政経塾の塾生たちは、ここのテーマをもち、一年間自分で授業料を払い、24時間100キロ歩行という苦しい試練を自分に課し、国を守ってくださっている自衛隊の皆さんと寝食をともにし、産廃や亜硫酸ガスで痛めつけられた島、あるいはハンセン病の治療に使用されている島に行き、見捨てられた、切り捨てられた場所で研修をます。その活動を通じて新たな気づき、一人ひとりの成長に結びついていると思います。けして政経塾がすべてではありませんが、ぜひ、地域から岡山を変えていきたい、あるいは瀬戸内海を、もっとよくしたいと願う方々は、歳は問いません。是非、岡山政経塾によりいっそうの関心をもち、そして参加していただくことを心からお願いしたいと思います。
私は現在、ニュージーランドに二年前から移住しました。また後ほどのセッションで少しお話をしたいと思いますが、本当にわれわれは世界を知らない。そのことを痛感しております。私はベネッセホールディングスの会長でもありますが、社員には常に言っている言葉は
「日本人である前に、いや、日本人である以上に地球人であれ」です。
グローバル化をしている現在、岡山の地に、瀬戸内海の地にあっても、常に世界を見られる、世界の常識のわかる人間になってもらいたい、このようなことを常に言っています。
これからの日本は皆さん方若い世代に託すしかありません。その人たちこそがこれからの日本を作っていく、そしてそれを指導していくのが若者たちの先輩たちであると思います。若者と若者の指導者である我々先輩がそのような前向きな気持ちで人々を盛り上げ、自身も行動しそして地域を変える存在になって頂きたい。このことを申し上げて私の冒頭のご挨拶と感想を申し上げこれから村尾さんのお話に移りたいと思います。
司会者
それでは続きまして、村尾信尚さんにご講演いただきます。
ご講演にあたり、簡単なプロフィールをご紹介させていただきます。
村尾さんは1955年岐阜県高山市のお生まれです。
一橋大学経済学部をご卒業後、当時の大蔵省主計局に入局されました。
現在は関西学園大学の教授でニュースZEROのキャスターを務められていらっしゃいます。
それでは村尾さん、よろしくお願いいたします。
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