岡山政経塾 研究科

 

◆岡山政経塾10周年記念 シンポジゥム◆
〜 シンポジゥにて研究発表 〜


1.講演
 (2)村尾 信尚 ニュースゼロメインキャスター



 ■村尾信尚氏 講演

 みなさん、こんにちは。
 今一瞬、こんばんはと言いそうになりました。
 もうまる五年近く過ぎましたけれども、毎晩こんばんはといっているものですから気をつけて言わないと…こんにちは、でよろしくお願いいたします。  
 今司会者の方からもご紹介がありました通り、私も役人を長くやっておりましたけれども、実は地方の役所である三重県庁に三年間出向することがありまして、三年間三重県庁で職員をしていたときに、行政改革をしよう、役所を変えようということのモデルとしてニュージーランドにいきました。
 結局私が人生を踏み違えたのかどうか知りませんけれども、ニュージーランドの行革のモデルが一つの大きなきっかけで、人生が変化したものですから、先ほど福武さんがニュージーランドに移住されたといわれましたので、これも何かの御縁があったのかと思いました。
 それから先ほど福武さんから「地球人にならなくてはいけない」というお話がありましたけれども、私も三、四週間前、ニュースZEROで「われわれは日本列島に住んでいる地球人だと思って行動しなければだめだ」といったことがあったものですから、あ、それもやっぱり認識は同じだな、という風に思いました。
 私はニュージーランド視察のこともあり、また三重県庁での地方行政の経験もあって、もう明日の日本は過去のこの日本が歩んできた延長線上にはないと思うようになりまして、2002年のちょうどクリスマスイブの日にですね、役所に辞表を出して、三重県の知事選に立候補いたしました。その後の展開は、見事にといいますか、落選するわけですけれども、落選したのが2003年の4月でありまして、その後本当に何をしようかな、と。なにも仕事もありませんし、どうしようかなと思っていていましたが、たまたま関西学院大学が拾ってくださいまして、今もそのまま大学に勤めているんです。当時まだまだ私が選挙に負けてどうしようかな、と思っているときに実は福武さんのほうから私に一回講演してくれないかと、本当にそんなときですから、私がまだ海のものとも山のものともわからないときに私の考えを聞いてくださったのが実は福武さんでありました。そういうこともあって、今日、10周年なので来いということであれば、それはもう万難を排してくるしかありません。
 
 ニュースZEROが始まったのが2006年の10月でした。私は生まれも育ちも岐阜県でしたので、考えてみれば三重県であまり勝つはずも無かったんですが、私も一切既存の政党の支援はうけず、三重県の納税者の皆さんと一緒にやろうということが私の本意だったんですけれども、2006年、三重県の知事選挙があり、選挙を通じて痛切に感じたのは、
「若い人たちがこの社会にたいして当事者意識を持っていない。したがって投票所にもなかなか行ってくれない。」ということです。
だから何とかしてこれからいい日本を作る為にはまず若者の皆さんに
「この社会はほかならぬ自分たちがつくっている社会なんだ」ということをわかって欲しいと思って、私なりに意見や考えを発表していたんです。それがたまたま日本テレビの人たちに私の思いが通じたのか、2006年の夏くらいに、
「村尾さん、ちょっと中華料理食べませんか?」ということで、ニュースZEROのスタッフ7,8人とでランチを食べたんですね。今考えてみると面接試験みたいなものだったんでしょうか。そのときに、彼らのほうから「本当に日本、若い人達いかんでどうにでもなりますよね、ほんとに僕もそう思う。ところで村尾さん、また選挙に出るんですか?」
「いや、私も選挙は懲りました。」
と、いいました。向こうとしてみれば下手にまた選挙にでられるとニュースZEROのキャスターだ、ということになって…ということもあったんでしょう。そういう話があってその年の10月からスタートしたんですけれども、そのときに私も、彼らのニュースZEROにかける思いを聞きました。
「私たちはこれから“若い人達が見てくれるニュース”、これをつくるんです。だから夜の11時から始まりますけれども、(当時あの筑紫哲也さん、ご健在でした。)ZEROのライバル番組は筑紫さんとかその他やっているニュース番組ではないんです。あの夜の11時の時間帯にバラエティーを見ている若者たち、あるいはほかの事をしている若者たちがニュースを見てくれる、そういう番組をつくりましょう。」
 だからスタジオの背景なんかも非常に明るくて緑の若々しい色になっていますけれども、それは若い人達に当事者意識を持ってもらう、問題意識を持ってもらうということが我々の一番のメインコンセプトなんです。
私もスタッフに「それはいいけれども僕みたいなまったく無名の、しかも役人の中でも最も評判の悪い、財務省、大蔵省出身の僕なんかがやっていいの?」と言ったら
「そんなことは我々も百も承知です。村尾さんがしゃべりだしても誰もチャンネルを回してくれる人はいないでしょうから隣には、(いまや海老蔵婦人になりましたけれども)小林真央さんをつけます。」
「毎週月曜日の夜は‘嵐’の櫻井翔君がいるんです」
「当然、みんな村尾さんなんか誰も注目していないから、櫻井翔、小林真央、それからご意見番として星野仙一をつけますよ」
ということで私の周りにいっぱい大きな浮き袋をつけてもらって出たのがニュースZEROでありました。
 2006年の10月2日が第一回目の放送だったんですが、私が最初に紹介したニュースが当時安部前総理大臣の所信表明演説でありました。初日、ニュースZEROをやって、私がその晩思ったのは、安部さんが総理をやっている期間と、僕がニュースZEROのメインキャスターをやっている期間とどっちが長いだろうな…と、テレビ番組はけっこうシビアでして、半年でもちょっと視聴率が悪ければすぐ交代になりますから…。
 私も何とか持ちこたえて6年目に入りましたけれども、それからもう日本の総理大臣は何人代わったかと…、本当に憂うのは、わが国の政治であります。
 
 私は月曜日から金曜日までは大体16時に日本テレビの放送局に入ります。番組の開始時間は通常22時54分なんですけれども16時から内外のニュースについてみんなと議論し、その中でもどのニュースをどんな順番で皆さんにお届けするか、ということをさらにみんなで議論します。
 そしてその後どのニュース私がどのようなスタンスでコメントするかということについて、まず私の考えを言います。放映前までにいろんな資料を集めてもらいます。そのときに私が注文しているのは、集めてくる資料はどこかの資料、例えばどこの新聞社のものだとかいうものは一切だめ、生の資料を持ってきてください、ということです。
 生の資料という意味は、例えばは機械受注、鉱工業生産の指標の発表があったときには、その生の原数値、役所の原数値の資料でみんなで議論しようじゃないかと。どこかのマスコミから流れてきた、誰かの頭の中の回路を一回通り越したような記述だとかそういったものの無いものでやろう、と。
 オバマ大統領がスピーチをしたらホワイトハウスのホームページからオバマ大統領のスピーチの原稿を持ってきて、それで議論しようじゃないか、というように私も直接、できるだけストレートにその原文で、ま、申し訳ないことに私もそんなに英語がうまくありませんけれども、それでも、英語ぐらいだったら、原文の資料でもって、第三者がなるべく介さない形の生の資料を手に取る。
 それからできるだけ、会えるんだったらその人にも会ってみよう、あるいは現場に行ってみよう、というのが私の心がけていることであります。 
 おかげさまでブッシュ大統領とも一対一でインタビューさせていただきましたし、イランのアフマディーネジャード大統領にもインタビューさせていただいたこともありました。非常にいい経験をさせていただきましたけれども、実際に四川の大地震の現場にも行きましたし、今回も東日本大震災、現地にも何回も行きました。防護服を着て、20キロの警戒区域にも入らせていただきました。
 
 本当に2011年というのは辛い悲しい年になったと思いますけれども、そういう中で、限られた時間の中で私が皆様にお伝えしたいのは二点あります。
 一点目、内外のニュースに接してきて一番思うのは今、若者の雇用問題。
これは日本だけのことではありません。世界全体において、今やはり若者の間で仕事が無いというのが大きな問題となっていて、これは行き着くところまでいけば戦争ということになりかねない、と私は思います。
この問題についてはですね、今、ギリシャ、イタリアで財政危機がありますけれども、ことの発端はアメリカの住宅ローンの焦げ付きから、要するにサブプライムローンです。
 優しい言葉でいえば、アメリカの比較的所得の低い方々が住宅を購入するために住宅ローンを組む、当時アメリカの住宅価格というのはどんどん値段が上がっていました。ですから皆さんすすめるわけですね。
 「皆さんの今の所得では難しいかもしれないけれども、住宅ローンを組んであなたが買った家は、今のままでいけばどんどん上がっていくから(ようはバブッていたんですね)その住宅を売るなり何なりすれば返済は容易です。」というようなことを言いながらどんどんアメリカのサブプライムローンというのは広がっていく。
 しかし住宅価格が、バブルが日本ではじけたように、大幅に下がった。これが2006年から2007年くらいに起こったのがそもそもの発端だと思います。それでアメリカは金融機関をはじめ不良債権が多く出た。そして2008年の秋にはニューヨークにあるリーマンブラザーズという大きな証券会社がつぶれる事になった。いわゆるリーマンショックということです。このリーマンショックになる、つまりリーマンブラザーズがつぶれる、私はこの2008年秋リーマンブラザースがつぶれたこの時点から、今でもずっと毎晩心がけて放送しているつもりですが、何とかしてリーマンショックがひきおこした、2008年のニューヨーク株価の暴落によって引き起こされた歴史がもう一回繰り返されることにならないように、ニュースメディアとしていかにそこに気をつけていくかということに私は今一番気をつかっています。
 1929年の大恐慌でニューヨークの株価が大暴落しました。そこから世界はどういう歴史を歩んだかというと、大恐慌、そして世界はブロック経済化していき、日本も国際連盟を脱退して日独伊三国同盟、パールハーバー、そして広島、長崎、終戦ということになるわけですけれども、そういう道をずっと歩んだわけです。
 リーマンショックで民間の会社、皆さんも覚えておられると思いますけれども、アメリカの大きな自動車会社ゼネラルモータースが潰れるか、潰れないかというそういう世界的な企業が破産しかねない時代になりました。
 そのときに世界の国は何をしたかというと、民間の経営破たんリスク、民間企業が倒産していくリスクを政府が救おうと、政府が何をしたか、例えば企業に補助金を出したり、失業者の皆さんに失業給付金を出したりして、政府が財政赤字を作ることによって、歳入以上に歳出することによって失業者を救済する、企業を救済するということをしました。
 1929年の大恐慌の時には政府が経済政策にどんどん介入していくという思想が経済学的にあまり無かったんです。そういうことは1929年当時はやらなかった。ところが今回は、政府が、大量の失業者を出してはいけない、多くの民間企業をつぶしてはいけないということで、民間企業の経営破たんリスクを財政が、財政赤字を作ることによって、財政がリスクを引き受けたんです。トランプで言えば、民間企業がいっぱい持っているジョーカーを政府がお金を出して全部ジョーカーを買った。
 そのときの政府のもくろみは、いずれそのうち民間企業の経営が回復してくるとまた会社は儲かりますから、法人税、税金を払ってくれる、と。その税金でチャラになるだろうという淡い期待をもって行ったわけです。
 私もかなり歴史の流れのなか、デフォルメして物事を言っていますけれども、そういうことで、アメリカも財政赤字になる、ヨーロッパのほとんどの国も財政赤字になる。そこで何が起こったのか、それが2008年の秋にリーマンショックが起こった。ずっと、財政が財政赤字をつくる事によって民間の景気回復を待っていた。ところが民間の景気回復が日の目を見る前にギリシャがもたなくなった。それが今年なんです。
 リーマンショックからギリシャショックへ、民間の経営破たんリスクを回避しようとして財政が財政破たんリスクをもちつつあった、この財政破たんリスクが顕在化したのがまず、2011年のギリシャでした。そして、ギリシャ、次はどこだ?イタリアか?ポルトガルか?スペインか?と言う話になっているのがまさに今のこの段階であります。
 
 そういう経済が厳しくなっているときに、また特徴的な事件が起きました。私も現地に行きました。2月です。まず、チュニジアで若者たちの反乱が起きます。そしてそれがエジプトへ飛び火しました。二十数年続いたムバラク政権が倒れます。私も政権が倒れた3日後にカイロのタハリール広場で若者たちに意見を聞きました。それから、リビアでカダフィ大佐。一連の「アラブの春」と呼ばれるアラブの民主化運動が起きてくる。
 私はエジプトで夜、何十人もの若者に聞きました。彼らから出た言葉からイスラム色のあるような言葉は一言も無かった。彼らから出てきた言葉は「不平等なんだ。」と。「食えないんだ。」「仕事が無いんだ。」「今晩の食べものについて考える余裕も無いんだ。」それなのに「一部の特権階級の人たちは楽をしている。それが許せない。」「Justice―ジャスティス 正義」とか「equality―イクオリティー 平等」だとか、いわゆる西洋流の民主主義の非常に基本的な概念の言葉が彼らから出てくるんです。イスラム色の付いた言葉は一切ありませんでした。
 私は正直に言ってエジプトに行くまではイスラム色の強い反乱なのかな、と思っていましたけれども全くそうではありませんでした。そういった不満がインターネットの時代にソーシャルネットワークシステムを通じて民衆の間にひろく情報が広がる。あのときに私が痛感したのは、
 おそらくもう「ネットは銃よりも強し。」
 ペンは剣よりも強し、という言葉がありましたけれども、インターネットは銃よりも強いということを、あのアラブの春でまざまざと体感いたしました。そして彼らの目指すものは、イスラム色でもない、反米でもない、ただ単に公正な社会を実現したいという思いです。少なくとも私がインタビューした数十人の若者は全員そういったことを言いました。
 まさにまた注目すべきは、その動きがアラブ諸国だけにとどまっていないんです。今アメリカで何が起きているのか、「we are the 99%」という看板をもって抗議している。「われわれは99%の民だ」と。これは、その背景には、今アメリカの社会は1%の富裕な人々がアメリカの全所得のほぼ1/4、そして全資産のほぼ4割を持っている。残りの99%で残りを分け合っている。「われわれは99%の民だ」、というスローガンを掲げ、そしてもう一つのスローガンは
 「Occupy the wall street」…ウォール街を占拠せよ。
という言葉でウォール街でデモが起こった。これも私は本質的にはアラブの春と変わらないと思います。格差、是正、平等、公正を求める声がイスラムと、世界金融資本主義の本拠地でおきているという事実。そしてたぶんこれは、これからニュースZEROでもお伝えすることになってくるかもしれませんが、モスクワで前回行われた選挙で不正があったのではないかという、反プーチンのデモがインターネットを通じて広がりつつある。そしてその背景にある不満というのが、仕事が無い、働きたくても働く場所が無い、満足に食べられない、それが政権の批判につながっているということが世界各地でいたるところで起きています。今韓国の大統領が日本に来ていますが、従軍慰安婦の問題が、また表面化しつつある。中国のほうでもいろんな意味での尖閣諸島の問題がありました。
 そういう中でこれからの世界を考えるときにそれが万が一にもきな臭いような雰囲気が漂ってこないように、私がニュースZEROで言っているのは、絶対にあおるな、ということです。大半の人たちは幸福を望んでいて、そういった対立意識を持っていない人がほとんどなのだから、と。それを、例えば日の丸を焼いているような一部の非常に過激なシーンだけ、取り上げるなということです。それは、テレビのシーンとしては出しやすいんですよ。みんながみるから。だけどそれは、私も経験があります。南京にも行きました。南京大学の大学生と対話をしたことがありますが、反日感情を持っている人たちは確かにいます。しかしそんな人たちはほんのごくわずかです。日本人と仲良くしたい、日本のよい製品を買いたい、と思っている人たちが大半なんです。そういうことをメディアが小さな点だけを拡大して伝えることによって全体の国民感情に火をつけさせるようなことは絶対にしてはいけない、ということを私は言っています。
 
 そういう中でこれからの日本をどう考えていくのか。今まで私がずっとお話してきたのは、社会的な正義、ソーシャルジャスティス、そういった概念が今まで以上に重要になってきているということです。それが、効率だとか自由ということを標榜しているアメリカにおいても非常に重要になってきている。
 中国の古典の論語に「たらざるよりは等しからざるを憂う」という言葉があります。食料が無い、お金が無い、みんなが辛い思いをしているんだったら人民は耐えられるんです。ところがそういう苦しい思いの中で一部の人が何の合理的な理由も無いに裕福な暮らしを享受している。これこそ国家の為政者は許しておくわけにはいかない。「たらざるよりは等しからざるを憂う」という精神が必要だといいますが私はまさに今、その等しからざるを憂いていただいて、この世の中をどうしていくかということが何にもまして重要だと思います。
 私は野田総理がそのことを念頭においているかどうかは別として、彼の言う‘分厚い中間層’というその言葉が、要するに中間層がより大きくなる、格差のより少ない社会を目指しているんだったら、私は野田さんの政策は支持します。そこのところを日本がこれからどういう舵取りをしていくのか、具体的に言うと社会保障と税の一体改革、これがどういう形で進められていくか如何によってくると私は思います。
 私のまず問題提起したい論点はこの一つであります。これは日本のみならず世界全体で考えなければならない公正の問題です。
 
 二つ目は、私もニュースZEROのキャスターをやっていまして、やはり政治に期待したいんです。政治家の皆さんに期待したいのですが、残念ながらなかなかそうはいかない。思い出したのは、正岡子規。いまたまたまNHKで「坂の上の雲」をやっていますけれども、その中でも正岡子規が出てきますが、その正岡子規の本の中に「病床六尺」という本があります。彼が病気で苦しんで、六尺しか無いところで毎日まいにち自分の思いを連ねているの本です。もう100年前の本ですが、その中にこんなことが書いてあります。
 ある欧州帰りの友人が帰ってきた。その友人が言うには、いろんな欧州をめぐったけれども欧州で恐れているのは、日本人というのは草の根レベルはものすごく優秀であるということだ。ところが政治家や官僚になったりするとだめなのが多い。この優秀な日本人、草の根レベルの民力を抱えている日本は用心すべきだ、という意味のことをいろんな人から言われた、というようなことを言ったという記述があります。
 私は今もそうだと思います。東北大震災の被災地に行けば本当にいろんな方々が努力されているし、ニュースZEROでもお送りしましたけれども、ボランティア、企業、NGOの皆さん…いろんな方々が応援に行っています。それに対して政府の対応はやっぱりあまりにも遅い。私は思います。役所の縦割りもあるでしょう。しかしながら国会、立法府の責任も非常に大きいと思います。こういうときを考えるときに、やはり、国民、私たち一人ひとりの有権者なり納税者がしっかりしていなくてはいけないと思いますし、私は日本はしっかりしていると思います。そういう意味での民間のレベルというものは非常に高いものがある。
 だったらなおさらのことここで思い出すのは、私は、日本国憲法の、主権は私たち一人ひとりにある、ということです。皆さん方一人ひとりがこの国家のリーダーたる主権者でして、政治家というのはある意味で‘代理人=エイジェント’であります。この国家をどうするかを考えるのは我々であって、それを選挙という接点において我々の指示命令を等しくちゃんと完璧に政党に伝えてそれを実行できているかチェックする役目、それが今、日本で機能しているのかということになります。例えば前回の衆議院選挙で我々有権者の思い、各政党が出てきて我々主権者に対して、言ってみればメニューを出すわけです。私どもの政党に入れてくれたらこういうことをしますよ、と。
 「最低でも県外です。」「こども手当てはこれだけあげます」「行政改革をやってこれだけ財源をだします」「消費税はいっさいやりません」「議員定数、参議院は80、衆議院は40削減します」「国家公務員の人件費は二割減らします」我々はそれを、本当にやるんだね、エイジェントたる皆さんにいいんですね、と確認した。やったでしょうか?私は今日本はまがいなりにも憲法上民主主義は成り立っているけれども、肝心要の選挙公約において、我々主権者の意思が正しく、国政、行政に伝わらない、言ってみればマニフェストに矛盾がある、そういうことになると国民主権といいつつ、我々の意思は国政に反映されていないことになってしまいます。そういう意味でも、私はこの契約というのは非常に重いんだ、といいたい。そのことはもう、何年も前からマニフェストということがあり、国民との契約、有権者、納税者との契約が大事だといわれていながら、これだけものの見事に裏切られると、本当にもう一回ここで考え直さなくてはいけない、という気がいたします。
 確かにいろんな学者の考えがあります。では大衆の意見、これが本当に正しいだろうかという意見、もちろんあります。そういう意見は色々あるかと思いますけれどもそこで我々はどういう風に見ればいいのか、例えば民主主義が100%機能するととんでもないことになる。そこかで民主主義に繁栄させないような仕組みが必要じゃないかという議論もあります。私もうなずくところもあります。そこのところの組み合わせをどうするのか、確かに大衆にゆだねておくよりも一部のエリートにこの国家の運命を託すのもいいかも知れません。だけど、本当にそれで社会がうまくいくかどうかの確証も全く無い。だとすれば、やはり我々はこの国家を担っている当事者として、当事者自身で意思決定をしたほうがもし万が一、間違ったとしても悔いが残らない。そういう意味では私たちは、私たち自身を鍛えて、私たち自身がそれを実行する、一人ひとりがリーダーとしての自覚を持つしか無いと思います。
 特に政治家の皆さん、私は先ほども言いましたように落選しましたから当選した人の気持ちはわかりませんが、どうしても次の選挙のことが気になってしまう。次の選挙のことが気になると、次の世代のことよりも、次の選挙で自分がどう議席を確保するかが優先課題となってくる。だけれども、こんな難しい世の中ではそれは明らかに短期的な視点よりも長期的な視点が必要でしょうし個別利益よりも国益、あるいは太平洋を取り巻く全体の利益、あるいは世界の利益のほうが重要でしょう。次の選挙で落ちるか落ちないかわからない人が本当に次の世代のことを考えることができるのだろうかという疑問があります。それを飛び越えて、本当のステイツマンとして、ポリティシャンではなく、ステイツマンとして次の世代を考えられる人材が何人日本に政治家としているのか。皆さんの中で、この人がいる、という人がいたら是非教えていただきたいと思いますが、そういう人がこれならどんどん出てこないと私は本当にこの日本というのがどうなるのか、不安でたまりません。そういうなかで先ほど福武さんもおっしゃっていましたけれども、地球人、国益、ということもさることながら、全体の利益のことを考えて、外へ外へといくことに対しては、ニュースZEROでも一生懸命そのことは言っております。若者たちに、とにかく海外に一回出てみて客観的に日本のことを見てみなさい、という話をさせていただいているんですが。そういう話もこの公演が終わったときに、福武さんと一緒にお話が出来ると思います。

 あと、残りの時間を使って皆さんに是非お話したいのは、何かの分野で活躍される方々に共通していることについてです。
 ニュースキャスターを5年以上やっていて色んな方にお会いすることが出来き、オリンピック選手からミュージシャン、アーティスト、もちろん政治家の人もそうなんですけれども、皆さんが全て持っている共通の能力、それが何なのだろう、思っていました。一人ひとりの顔を思い浮かべてもそれぞれ個性的な方が多いんですが、たった一つ共通している能力は、‘諦めない’力を、持っているということではないかと思います。
 必ず色んなところで失敗があり、くじけたり挫折があります。生きていく以上当然皆さんしているわけですけれども。インタビューさせていただいた方々はそれで諦めないんですね。今年もなでしこJAPANはワールドカップの決勝戦でアメリカに先制をとられながら、(見ているほうは)何度もだめだ、と思っているのに最後まで諦めない精神でいった、ああいう精神をやはり皆さん持っている。そういう意味では‘諦めない’力というのは非常に大きいと思います。
 それから、この会場の中には若い人の顔も多く見受けられますけれども、その若い人達に言いたいことがあります。
 私は今56歳なんですけれども、大学出たとき当時の仲間と言っていたのは、『おれ国鉄に就職できたんだぞ』、とか、『○○銀行に入ったんだよ』、とか…。もうこれで人生安泰みたいな時代でした。まだ国鉄も、専売公社も電電公社もあったんです。ところが、ほんの三十年くらいの年月の間に、今言った組織は名前が変わっていたり、別の形態になったりしている。私もまさか大蔵省の名前も変わるなんていうのは夢にも思いませんでした。これだけ社会が右から左へ大きく揺れている。だから今日本は今だんだん自信がなくなっている。いろんなことを言いますけれども、私が学校をでて海外に行くと、もう‘第三の国、日本。’といわれていたんです。アメリカ、ソ連の次に日本だという話になっていた、そういう時代が、30年でもうお先真っ暗だ、という形になっているけれども、これまた30年経つとまた‘日本、よくやった。’というようなことになっている可能性は充分にある。それが何なのかはわからない。私は自分の人生をふりかえってみて思うのは、このように右に行ったり左に行ったり大きく揺れ動いている世界の中で大半の人間は、半歩か一歩遅れてその世界の動きに追いつこう、追いつこうと思って動いているんです。だけれどもそれは永遠に追いつかない。動いている後をいくだけなんです。追いつける人間は何かというと、右から左と動いているときにでも自分の心に忠実な人間、とにかく今世界が何処に行こうが、自分が今がこれをやっている時がものすごく居心地がいい、あるいは自分が今これを目指しているときが本当に生きがいを感じる、それは世の中がどうなろうが、自分はこれでいくと決めた人間は必ず一本大きな垂直の旗をたてて、そこだけで進んでいる。すると世界はものすごく離れることもあれば、またどこかでよってくることもある。必ず人生のワンサイクルであるんです。そのぶつかったときが、その人の旬なときではないのかな、と私は思います。そういう意味では時流に乗って、時流を追いかけていくとこれはそのままで終わりかねない。私も30年前にこんな世の中になるとはおもいませんでした、携帯電話ですら想像しませんでした。電卓すらありませんでした。今ここで30年後を予見するセミナーをやるとしたら皆さん参加しないほうがいいと思います。それは誰も予見できないからです。しかし世界がどういこうとも、自分はこれなんだと思うものを、若い人は是非持っていただきたい。
 
 いいか悪いかは別として、私が身近に見た方でそういう信念のあった人は、小泉純一郎さんでした。あの人は私が大蔵省にいたときからですけれども、昔から郵政民営化論者でした。誰一人耳を傾けることもなかったけれども、彼はずっと2、30年言い続けてきた。賛成論も反対論ももちろんあります。しかし彼の言葉に迫力があるのは、なまじっかでは無く、思い付きでも無く、信念だからなんです。それがたぶん、衆議院では郵政の法案に賛成しているのに、参議院で反対したから衆議院を解散するという、非論理的な思考法をさせたと。しかしそういうことができるのは一生かけている何かが小泉さんの中にあったんだと思います。その信念が正しいかどうかは別ですよ。私も是非、皆さん方には世の中がこれからどうなろうとも自分の心の中だけをみてほしいんです。
 ニクソン大統領がケネディ大統領にまけて、傷心のときにフランスのドゴール大統領がニクソン大統領に、‘自分の心の声だけをきけ’と、ということをいって、ニクソン大統領は当時非常に元気付けられたということを回顧録の中に書いておられますけれども、私も是非そのようにこれからも生きていきたいと思いますけれども、皆さん方もそのような心構えで生きていっていただきたいと私は思う次第であります。
 少し時間がまだありますけれども、私のお話はこれぐらいにして、福武さんと二人でですね、この国のこと、あるいはこの地域のことを語らせていただきたいと思います。どうもご清聴ありがとうございました。