岡山政経塾 研究科

 

◆岡山政経塾10周年記念 シンポジゥム◆
〜 シンポジゥにて研究発表 〜


2.トークセッション
 (1)村尾 信尚 ニュースゼロメインキャスター

 (2)福武總一郎    岡山政経塾幹事
       ベネッセホールディングス取締役会長



 ■トークセッション  = 地域と日本の課題 =

 (1)何が問題で、どう解決すべき?

司会者
ありがとうございました。
それではこれより、村尾さんと福武幹事によります、トークセッションに移らせていただきます。

テーマは、‘地域と日本の課題’です。
夢や希望を描けなくなった日本。2000兆円を超える借金はGDP(国内総生産)に比べ200%の世界ワースト一位です。経済は低迷の一途をたどり、私たちは将来年金をもらえなくなるのではと不安を抱えています。政治は信頼の上にのみ成り立ちますが、今の政治は信頼を失っています。
それではお二人にお伺いいたします。

@ 何が問題でどう解決すべきでしょうか?
それではお願いいたします。

村尾氏
 このお話はですね、先ほど私は言わせていただきましたが、いちばんこの問題は日本も私達の世代が公正、一つ正義が貫かれているかどうかが重要だと思うんです。身近なくらしで言えば、やはり若い人達は年金はどうなのか、仕事が本当にあるのかどうか、ということになると思います。
 そういう意味で、私たちは少なくとも安心していける社会の基盤はやはり社会保障にあると思います。そういう意味で今、野田政権がやっている社会保障と税の一体改革は、私は是非これは進める必要があると思います。例えば消費税の問題、私がこれを言うと、また村尾は大蔵省の人間なんだ、といわれるかもしれませんが、私は消費税の引き上げ、これは避けられないと思います。
 ただ、私もニュースZEROのメインキャスターとして、皆さん方から寄せられる言葉の中には、その前に政府としてやるべきことがあるんじゃないか…といったものもあります、おっしゃる通りなんです。特に民主党は自ら選挙のときにそれをやるといってなった以上、まずやることだけはやってもらわないとこれは、庶民感情としてのおさまりがつきません。これは是非やってもらう必要がある。ただ私も大蔵省にいた人間であります。皆さんがたにいっぱい不満もあると思います。それを片付けるまで社会保障の財源と増税について手をつけるなということになると、これは一方で私もニュースZEROで報道しましたけれども、『おにぎりが食べたい』といってなくなっていた九州の方がいらっしゃいました。一方でそういう人たちがいる。そういう人たちは何の責任も無い。そういう人たちをやっぱり救わなくてはならない。この問題を抱えたときに私たちは社会保障の安定した財源、これをフェアにしていかないと、現に今困っている生活保護の人、生活保護の中身ももちろん問題です。医療保障どうなっているのか、そういう問題もあるんですけれども、その問題を全部国民が納得するまで増税は許さないとなったときに考えうる犠牲のことを考えると、いろんな方がいろんなことを言うとはと思いますが、私はやらざるを得ないと思います。
 そのかわり消費税を財源にする以上、本当に透明性を必要とします。日本ではまだまだいったい、私たちが払った税金が何処に使われているのかわからないような仕組みであります。少なくとも社会保障の仕組みの中ではそれが無くし、政府のほうからの情報公開だけではなく、納税者のほうから、これはどうなっているのかといわれたときの、受身の情報公開を100%やる。マジックでいろいろ塗りつぶしているとか、よく言われますけれども、情報公開といって、役所がよくしますが、役所のほうからする情報公開は難しいことでもなんでもない。自分の都合のいいことだけ情報公開すればいい。真の情報公開というのはやっぱり、納税者の側からの情報公開の請求にどれだけ誠意を持って対応するかであります。そのことは少なくとも社会保障の問題についてはしっかりやってもらわなくてはいけないと思います。

 あともう一点、必ず消費税の問題を話すときにいろんな論者が、例えば『特別会計というのがあって、これは伏魔殿になっていて、ここに色んな財源が隠されている』、とか、『埋蔵金があるんです。この埋蔵金を使わなくてはいけない』という議論がある。だけど、事実そういうことの担当もしていたときがありましたけれども、それは何らかのリスクに備えて誰でもお家で貯金をしています。万が一何か怪我をした場合のための準備金に当たるものが多いです。だけどそれは、埋蔵金といわれれば確かに埋蔵金かもしれませんが、リスクに備えてお金をとっているんだけれども、それを使わないから今使ってもいいじゃないか、という議論に本質はつきてしまう。じゃ、それを使った時に実際に大変なことが起こった時はどうするんですか?という議論をやはりちゃんとしなくてはいけない。今、私たちがメディアを通じて、あるいは皆さん方のところへ情報としてくるのは一般会計の予算の話しかかなかなか回ってこないです。じゃあ特別会計はどうなっているのか。ところが民間の会社を経営されている方はご存知の通り、もう株主総会で出すインフォメーションというのは親会社も子会社も連結で全部出します。いわゆる一般会計も特別会計も全部連結で特別会計がどうだ、ということにならないように連結で予算表示を必ずする。それは情報開示はしているんですけれども、特別会計も。必ず新聞やテレビの報道では一般会計の話にしてしまうもんですから、そこは連結でこれからは全て資料を公開にする。特別会計がどうのこうのという議論をふうじてしまう。それから、埋蔵金の話が出てきますから、これはもう民間なんかで言えば‘貸借対照表’をあわせて出す。何処にどれだけの貯金があって、それがどういう形になっているかも全て出す。増税議論の前に民間の株主総会だったら当たり前な連結の財務諸表を作って、資料もあるし公表もします。
 それを国民の皆様にわかりやすく組み替えてそれを表示することから説明をしていかないと、やはり消費税、あるいは増税をするということは、皆様方の懐の財布に手を突っ込んで国家権力が税を吸い上げるわけですから、それは有権者である私たちにしてみれば、『だったら情報をちゃんと出せ』というその情報の説明、是非、それがまだまだ不十分であると私は思います。当座抱える問題はやはり社会保障の問題。これが無ければ生きがいをもてない、これが無ければ働く意義をもてない、という意味で特に若者の失業を中心とした社会保障が重要だと、その問題の解決策としてやっぱり消費税の増税は避けて通れない。その導入のためにも政府はきっちりとした説明を私たちにすべきだということをまずは思います。

福武氏
 大変こういうのは不公平ですよね、どう見ても。世界そして日本の色んな情報を知っている、財務省出身のニュースキャスターと、いち地方のしがない経営者では…。ただ、私個人としても日ごろ考えていることがありますので、今の江草さん(司会者)の質問に対して何点かお話してみたいと思います。
 私はですね、日本はなぜこのような状況になったのか、そしてその処方箋について申し上げると、一点は政治家も、それから政治と国民をつなぐメディア、その人たちが世界を知らないということです。色々考えたんですけれどもそれが一番目ではないかと思うんですね。
 例えば先ほども申し上げたとおりニュージーランドに住んでニュースを見ると国内のニュースが半分、残り半分は海外のニュースです。もちろん英語圏ですから見ようと思えばCNNのニュースも見られる。日本に帰ってきて一番感じるのは、ほとんど世界のことをわからない、知っていない。あるいは我々自身にとっても新聞を見るにしても二面とか三面の世界の情勢に関してあまり読もうともしていない、知ろうともしていない。私は日本という国は世界との関係性の中でしか生きていけない国だと思うんですね。資源に恵まれず、食料もエネルギーも自給率が非常に低い。食料は20%であるとか、エネルギーも原子量がなくなると4%であるとか。そういった安心安全のベースとなるものの自給率も海外に比べて非常に低い。そういった中で海外との関係の中でしか成立していかない国なんだという、そういったコンセンサスが政治家もメディアも国民も理解していない、ということが一番ではないかと思います。
 次に申し上げると、私は岡山育ちの人間で、東京を反面教師としてきていますから、例えばこのような状況になって、極論ですけれども、岡山さえ生き残ったらいいわ、とさえ思う。それは皆さん方にとって見れば、奇に聞こえるかもしれませんが、これからの日本の再生は、安心して生きられる、そして個性と魅力のある地域の集合体である日本というイメージが私はあるわけです。
 我々いち市民がこの国全体をよくするなんて言うことはまさに先ほど村尾さんがおっしゃった、政治家に任せる、ということにならざるをえない。しかし、この地域をよくするという事であれば、直接私たちが行動することが出できる。そしてその結果、安心安全、そして個性と魅力あるまちをつくろうと思えばできる。
 これはなんだろうと考えた場合に、やはりそれは食料とエネルギー、そして医療だと思うんですね。食料とエネルギーと医療問題を地域で出来るだけ完結していくような方策をどうつくるか。例えば、直島、豊島で食料、お米が取れる。豊島の今耕作休止をしている田んぼは再生すれば一万人分くらいのお米が取れるんですね。あるいは瀬戸内海の魚も我々にとってみれば生簀だと思っているんですよ。ということは、取れた農作物、捕れた魚介類は地元でとれたものは二割は地元で直接還元しなさいと、それは今、現実的には東京に、卸、流通経路を通ってまわりまわって地元に落ちてくるんですね。例えば、いきのいいお魚もぐるっと回って直島のスーパーにな並んでいる。今私はローカルの人たちは、ローカルの持っている魅力を自ら捨てている、と思っているんですよ。安くておいしいものは地元に、高くてまずいものは都会においている、というのを言っているんですね。私は田舎の人間というか地方に育った人間として、地方の人間の意識があんまりにも東京をモダンなだけにしすぎている。もっといえば地方の豊かさを自らが捨てようとしている。もっと言うとそれを全てお金に還元しようとしている。その考え方は非常によくないと思っているんです。私は地域単位で、安心安全をもっと完結できる方法、これは食料、エネルギーも含めて、それをもっともっとすればいいんではないかと思います。
 ついでにエネルギーの話をしますと、今犬島の精錬所という美術施設をつくりました。ここは電気エネルギーを実際に使うことなく空調が出来るんですね。今直島を、そういう形で町全体を一軒一軒エコタウンにしようということで直島町長と話しているんです。その中で実際どういったものを使ってやろうかといった場合に、太陽光発電というものは使うのをやめようといっているんです。ところが皆さん方はソーラー発電とかそういったものは意外と最先端だと思うんじゃありませんか?
 しかし我々から見るとそうじゃないんです。太陽の熱ですね。太陽と風と水、水も十数メートルくらい直径20センチくらいの井戸を掘ればですね、四十数度の水が出るんですね、一年中。でそういったものというのは昔からあるわけですよ。昔の人が有効に使ったエネルギーというのを利用してね、もっともっと快適な生活が出来る。
 例えば三分一博志さんという人の設計をみていて感じたのは、私も色んな設計家の方々とお付き合いしてきた、本当に色んな賞もいただいたんですけれども、三分一博志さんの設計というのはですね、建物を建てる前に建物を建てるところの風向き、風の強さ、それから温度、日照の一年間のデータを取った上で、普通の一軒家でも設計を開始するんですよ。そういう設計をする人というのは世界にほとんどいない。それはあくまでも地域のもっている自然エネルギー、そういったものを積極的に使おうとする考えですよね。
 そういう考え方は今の日本というのは科学技術立国の日本だからということで全て最新のテクノロジーでやろうやろうとしている。そういう考えかたも悪いわけではない、しかしもっともっとベイシックであるべきものが使えるものが田舎にあるわけですからね。東京ではそういうものが無いわけです、大きいビルが建っているわけですから。地方の持っている良さというのを地元の人たちがほとんど気づいていない。もっと言うと新しい情報に惑わされて過ぎている。私はそのことを大変強く思っているんです。他にもいろいろありますけれども、あげるとすればそういった点を私は日ごろ感じて、そういったものを取り込んだ新しい地域づくりをしていきたいと思っています。


司会者
はい、ありがとうございます。
村尾さんからは社会保障、福武幹事からは地域の再生の力、といったお話をいただきました。
トークセッションですので、おふたかたで今お聞きになって何か伺っておきたいこととかありましたらセッションしていただけますか?

村尾氏
 セッションに関する話では無いんですが、今先ほど福武さんが幅広くニュースを知っているニュースキャスターと自分では不利だということでしたけれど、この中で皆さんも経験しておられることと思いますが、私は経営者、商売をやっておられる方は一番世の中の動き、しかもグローバリゼーションで一つのものの値段が上がると世界の何処でおかしくなっているかということ、をわかっていると思います。商売をやっておられる方は、日銀券、お札をとにかく一枚でも多く欲しいと思うわけですけれども、それは私たち消費者からすれば、日々、買い物という行為によって投票しているんですよね。自分が購入している商品や会社に対して。買い物という投票行為は毎日やっていて、私たちは日銀券という投票用紙を使って投票している。
 この動きに敏感なのは正に経営者の皆さんです。今、世の中で何処で何がうけて、何が…ということで言いますと私が言っている空疎な理論よりも福武さんの一言のほうがよほど重みがあるということは常日頃思っておりまして、そういう意味でも政治家を目指すにも学校を出てからすぐに目指すのではなくて、商売、あるいは会社に勤めてみて、一回世の中はどういうからくりで動いているのか学ぶことが大切だと思います。今の政治家の皆さんの中にどれだけ実業の世界を熟知していらっしゃる方がいるのかいないのか。もちろん勉強してからすぐ政治を志す人は、志はよしとしても平均知識、実務、これは今の世の中を経験しないと説得力が無いということが、今の福武さんのお話を聞いていて思いましたね。

福武氏
 私もね、もう一つだけあるとすれば、政治家の実力をきちんと測ったうえで我々が選ぶ。例えば、筆記試験、面接をする。普通の社員はそれをやるじゃないですか。私はそういうことをくぐっていない議員の人たちが大半だと思います。たった一週間だとか十日くらい名前を連呼するだけで当選し、マニフェストをつくっても破る人ばかりですから、やっぱりそれは、最低市会議員でも、県会議員でも一ヶ月の試験、アメリカの大統領選挙でもそのくらいかかりますよね。私は全ての議員は最低一ヶ月の試験を通った上で我々市民が判断する、そういうものを私はもっともっとすべきだと思いましたけれどもどうでしょうか?


村尾氏
 ほんとうにその通りだと思います。
 あと、私も少なくともこれからは好むとこのまざるとに関わらず、英語だけは本当にやっておかなくちゃいけないと思いますよ。日本語がどうのこうのという問題とは全く次元の話として、世界の人とこれからコミュニケーションしていかなくてはいけない。ニュースZEROを見てもわかりますとおり私は本当にわかりやすい英語だとよくいわれるんですよ。カタカナの発音で。だけどそれでいいんです。それでいいんですよ。とにかく通訳の人を介さず、通訳の人も仕事ですからごめんなさいなんですけれども、直接話すことはものすごく大切です。通訳の人を介するということは、例えば僕と福武さんの頭脳のいろんなコミュニケーションの交換に、全く私の経験も知らない、福武さんのご経験も無い方が単に語学が堪能というだけで、その人の頭の中を介しちゃうと、ましてや英語だったらまだわかりますけれども、アラビア語だったりロシア語だったりしたときに本当に自分の言った意味がどれだけ伝わっているか、まったくわからないのです。まさに通訳のその人の頭の中のレベルで決まっちゃうという形になって、これは私も経験がありますけれども、ものすごく怖いことなんです。
 役所にいたときに、金融協議でワシントンに行き話し合いをしたんです。ところが英語で話をすると相手に有利になるから、一応通訳に私たちは日本語で言って、通訳の人を介してやるんですね。誰かが証券か何かの話のときに、二重登録は問題ない、みたいなことを言ったんです。要するにダブルで登録している、と。二重登録が問題があるかどうか、とそういうことを言った、そうしたら通訳の人がなんていったと思います?この二重登録をtwenty and sixで訳そうとしたんですよ。二十と六(にじゅうとろく)、twenty and six…といっているわけですよ。そのひとはもちろん英語は堪能かもしれませんが、その証券行政、証券の本質的な難しいこと、その人に罪は無いと思います。だってそんな玄人でなければわからない金融のデリバティオとか何とか言っているそのときの二重登録っていわれても、わからないですよ。たまたま英語だったから私たちも一応、おいおいおい、という話になったけれどもアラビア語、ロシア語なんかだったらわかりませんよ。どういう風にごまかされているかわかりません。そういう意味でも、ご商売なさっている人はそうだと思うけど、これがやっぱり日本語で無いのが悔しいけれどもとにかく、中国の人もロシアの人も英語なら英語という言語を一つ共通語にしておいていろんな契約変更なんかをしていかないといけないですよ。ましてや福武さんがおっしゃっているように、日本は世界とのつながりなくして生きていけない以上、何とかして少なくとも英語ぐらいはしっかりやっておかなくてはいけない。政治家のみならず、マストという気がいたします。
すみません、少し横道にそれましたが…。


福武氏
 まったくその通り、だと思います。たとえば、いろんなものを調べるときに、日本語しかわからなければ日本語のグーグルですよね。しかし英語で検索すると10倍以上情報が出てきますよ。調べたいものに関しての情報は。だって世界の情報が入るわけですから。そういう日常のものを含めても自分の知識を高めるためにも、世界の情報を自分がキャッチする意味で私は重要だと思うんですね。とこころが残念ながら日本の英語教育というものは必ずしもそういう考えではない。まだまだ受験英語というか…。それでは少なくとも岡山だけでもやってもらいたい。何処の県も全く同じことをやるというのでは地方自治ではないと思うんですよ。そのかわり、変な言い方だけれども、ふるさとを愛せる気持ちというのに日本人は非常にしばられやすいじゃないですか。しかし、海外はそうじゃないんですよ。自分の生命や財産や自分の働き口、そういうものを保証してくれるところにぽんと行ったらいいんですよ。特にEUなんていうのは正にそういう意味でパスポートもなく海外に行けるわけですから。ところがこういうところが全くなく日本は相変わらず島国だけでいようとしている、ここはやっぱり非常に大きな問題のような気がするんですよね。




 (2)政治家はどうあるべき?

司会者
はい、ありがとうございます。
それでは、地域と日本の課題、
A 政治家はどうあるべきでしょうか?
いまも少し問題にあがりました。
政治家はどうあるべきでしょうか。お願いいたします。

村尾氏
 私も政治家、落第した口ですから大きなことは言えませんけれども、例えば選挙に出たときは、本当に社会はこのままでいいのだろうか、後でもう少し言いますけれども、自分で本当にたてるだろうか、たつための応援組織としてのどこかの政党に頼みにいくこともしませんでしたし、いろんなリーダー会なんかに頭を下げることもしませんでした。それから、私は岐阜県出身なんですけれども、三重県には親戚も一人もいませんし、同級生もいません。それからニュージーランドの行革やりすぎて三重県の職員からは、江戸から来た悪代官村尾、デーモン村尾なんていわれていました。今から客観的に考えると、勝つ見込みも無いところで選挙したなと思うんですけれども、とにかく世の中に対する義憤というか、こうならなくてはいけないという思いは強く持っていたと思います。私も正解はわかりません。しかし、例えば当時の私なら、役所をやめて選挙に出る、それで落選する、すると仕事が無いわけですし、これから家族とどういう風な生活をするか全くわからない。ものすごいリスクがあるわけですね。そのリスクを超えて世の中のために尽くせ、という要求はやはり政治家の皆さんにあまりに酷な気もします。気もするけれども、そういう状況で政治をくだすことになると、次の選挙をどうなるかということも考えたりしてくると、妥協することも考える、どんどん、どんどんやっていけることが少なくなる。要するに政治を生業にするということは政治の堕落につながるのではないかという、これを一生の仕事にする、という人もいますけれども、一生の仕事、自分の生活もそれにかかっているとしたら、これで本当に日本はよくなるのかどうかということを、私はつくづく自分が立候補して負けた時におもいました。私はたまたま運がよくて、仕事が見つかっていますけれども、だけど本当に保障が無い場合に政治に飛び込むには勇気がいるし、一旦なってしまってそれを生業にし始めると、今度は自分の信念はこうなんだけれども次の選挙のことを考えると…ということになる。だから本当に次の選挙のことではなくて、次の世代のことをどう考えるかというときに、やっぱり政治家にどうやってそういう志を持ってもらうのか、そういったシステムというもの、例えばフランスなんかは在職中に選挙に出ても、まけたらまた会社に戻ってこれる、そういう制度があります。それから、政治家の兼職がちゃんとできて政治家以外の職業を政治と一緒に出来るように、たとえば、皆さんもご存知の通り、欧米なんかでは議会が夜7時からだとか8時からだとか、会社との両立、勤めを終えてから議会に参加するということが可能です。政治を生業にしなくてもいいような、そういう人たちが実際のことについて発言できるような、そういう仕組みを日本でも考えていかないと非常に難しい問題だな、とおもいます。

福武氏
 私は、今の会社に(当時福武書店だったんですが)入る前に日本生産性本部という、日本版のビジネススクールですね、そこに一年間いたんです。そこで私は、『経営者とは』ということを本当に教えられたんです。問題解決の手法やいろんな課題を発見する方法とか。また、いろんな現場にいかされました。なにしろ、現場を、いろんな会社を知る、という、そんなことを訓練受けたんですね。それからもう一つそこで徹底してコンサルタントの人に教えていただいたことで今も座右の銘の一つにしているのは、『平和常識』。これを徹底的に言われたんですね。政治家もある面では政治を遂行するプロですよね、私はプロとしての教育の場があってもいいとおもうんですね。各県には県会議員、市会議員の養成所のための学校が一年間義務付けされる。あるいは政治家塾の代表的なもの、松下政経塾がありますよね。しかし松下政経塾くらいしかない。そういうものが各県、地域にあってもいいのかな、と。フランスは先ほどもおっしゃられたように、専門のものがありますよね。そういうことをきちんと学んでおられれば、私たちもある程度安心して託せられるかもしれない。だから、そういったことがあってもいいのかなと思います。
岡山政経塾をつくったのもそういった一面があった。そういう勉強をして地域のことをみんなの知恵をかりて考える。その結果、先ほども申し上げたような、市長とか、県会議員、市会議員を養成するまでになったんですけれども。

村尾氏
 今、福武さんのほうから養成、という話しがありました。そういうことで言うと私も大蔵省という組織には私は本当に鍛えられました。政策の考え方、企画立案、予算をどうやって策定するか…これはいい悪いはあるかもしれませんけれども仕事の仕方、ものごとの考え方、私も大蔵省で主計局の主査だとか、主計官だとかをやらせてもらいましたけれども、そこは鍛えられました。私はその中で、政策の立案とかを書かされたときに、本当に叩き込まれたのは、『村尾、いいか、政策を考えるときは、川をさかのぼり、海を渡れ』という言葉をくどいほど言われました。どういうことかというと、たまたま私が林野庁の国有林の予算作成をしているときに、上司から『どうして国有林野は赤字になっているのか?その背景を説明しろ。来年度の予算を査定するための会議だ、まずどうして国有林野がこんなに赤字になったのかを説明しろ。』と言われました。私が、『日本は戦争に負けて、大量の軍人さんが戻ってきた。そのときに受け入れ先として例えば国鉄だとか国有林野なんかで多くを受け入れた、労働コストもかかります。それから戦後は安い輸入の外材がどんどん入ってくる。すると国産材は高くて競争できない。するとコストも上がるし値段にあわなくなってくる。』と言ったわけですね。『わかった。それは一つ戦争が大きな要因だということなら戦前の国有林の波形はどうだったのか、それを説明しろ』と。『戦前はこれこれこういったことで、こうでした』『わかった、明治政府以降の明治政府以前の江戸幕府の御用林のときの幕府受け入れ方針はどうだったのか、とそれを説明しろ。』と。来年度度予算にいかないわけですよ。どんどん、どんどん歴史をさかのぼっていく、つまり川をさかのぼっていくわけです。今から思うと私が鍛えられたのは、今の制度は確かに今の時代にあっていないものが多いです。しかし、その制度をつくったときは合理的だったんですよ。なぜ当時は合理的だったのに、なぜ今合わなくなったのか、その前の時代はどうだったのか、私の場合は江戸時代の御用林まで調べました。たまたま私は運がよかったからそれですんだのですが、他部署の主査は、予算はメソポタミア文明時の検証までしたそうです…そういうところまで歴史をつかみなさいということなんです。
 海を渡れというのはどういうことかというと、わが国の日本の国有林の歴史はこうである、と。ではアメリカに国有林という制度はあるのか、ドイツは?スウェーデンはどうなんだ、と。日本の抱えている問題を解決するヒントは諸外国の林業制度の中のどこかにその芽はないのか、諸外国の国有林の状況を調べることがすごく役にたつんです。いろんな問題に対処するときに、これは銃刀法違反、だけど銃刀法について何が問題なのか、じゃこういう法律がない時代はどういうことをやっていたのか、あるいは諸外国でこの取締りはどうなのか。という意味でやはり是非、政治家養成講座であればそういう、問題の見つめ方みたいなものですね、講座としてそういうものを取り入れていただければありがたいな、と。今日福武さんのお話をきいていてそうおもいました。





 (3)一般市民は何をなすべきか?

司会者
はい、ありがとうございました。
続いて地域と日本の課題、三番目、最後になりました。
B 私たち一般市民は何をすべきでしょうか?
お願いいたします。

村尾氏
 私はさし当たってできることは、まず投票に行くということだと思います。今の私達の制度の中で唯一私達の意志を地方自治体、あるいは国政に反映できるのは投票であります。それは、アラブの若い人達の話を聞いてきても、そもそも投票が出来るのかどうか、あるいは投票しても本当に自分の票が一票としてカウントされているのかどうかという確証もないのです。そんな中で、ああいう形で命を懸けざるをえない。だけど日本はまがいなりにも自分の投票が間違った形でカウントされるという心配は少なくとも無いわけです。そうすると、私たちが国を変えよう、地方を変えようとおもったときに、私たち一人ひとりが出来るまずは権力行使の手段としては、やっぱり投票に行くということが一番大きいことだとおもいます。
 それからメディアの私達の責任もあるんでしょうけれども、やはりすなわちいかなる現象も世界で起こるようなことと日本は直結しています。リーマンショックでニューヨークの株が暴落したときに、私は、『若い人達の職がどうなるかということは必ず数ヵ月後に日本に来る道になりますよ』、といった記憶がありますけれども、それはアメリカの株価が下落して、日本もリーマンショックの後に、まさに問題になったのは、日比谷公園の非正規雇用の問題、契約社員の問題がおきて『派遣村』というのができた。そういうところまでを直結する問題になってくるわけです。そういう意味では一般市民が何を、ということになりますけれども、世界の情勢、つまり今世界で何が起こっているのかというのは出来るだけ、情報として仕入れてもらうというのがものすごく大切なことなのではないかという風におもいます。

福武氏
 私も同じ様な意見ですが、世界を知るということを申し上げました。
 本当に英語をわかるようになるということからのスタート。もし皆様方が出来なければ、自分の子供さんやお孫さんにそれを勧めて頂ければべルリッツの支援もありますし(笑)
 それからあとはですね、投票ですね。投票に関しては、岡山市も岡山県も日本でもっとも高いと言う事を誇りに思える市民になってもらいたい。
 3番目はですね、これはちょっと奇に感じるかもしれませんが、生きる力。生きる力というのはですね、中国の人に教えてもらったのですが中国で良く言われる、「机の脚(四足)以外は全部食べられる」中国はご存じのとおり、現在は56ですが、昔は600くらいの民族が、本当に今群雄割拠して戦争の歴史を経てきた、そのなかでもやっぱり翌日朝起きてみれば敵が攻めてくるという歴史があったという言葉の裏返し、だとすると自分の生命や財産を守ることに関してはやっぱり中国人は一番長けていると思うのですよ。それは戦争とか戦いがあった故に1人1人の主張・あるいは財産、命を守ると言う事について大変強くなったと思う。
 その中で私は生きると言う事について、教えてもらったのはですね、中華鍋と出会ってからです。中国の人から色々聞いたのですが、変な意味じゃなくて聞いてくださいね。腐ったものは全部食べられると。私も腐ったもの食べられるのです。不思議に思うでしょう?今中華鍋で、腐ったものも食べられると言う事を駆け足で考えて下さい。じゃあ、腐ったものをどうして食べられないのですか?って。日本人って生もの好きですものね。刺身も。じゃあ、なんで腐ったものは食べられないのですか?分かります?それはお腹壊すからですよね。じゃあ、なんでお腹壊すのですか?それはバイ菌やウイルスがいるからです。そこで中華鍋を思い出してみると、中華鍋はもの凄い熱で炒めるのです。それで、完全にバイ菌が死んでしまいます。バイ菌が死んでしまって水分を飛ばしてしまう訳です。そのあとスープでドロドロドロってするとなんかわけわかりませんわね?そりゃ皆さん方フカヒレ食べた事あります?あのフカヒレなんて蒸しても何の味もありませんよね。あれはスープで味を付けるのです。だから中華鍋でいざとなったらなんでも食べられるのです。腐ったゴミでも食べられるんです。中華鍋とあとは豆板醤とオイスターソースで味付けすると…是非勇気がある人はやってもらえません?そうすると変な言い方かもしれませんが、少々のことがあっても絶対に私も、うちの家族は生きる事が出来る。生きる事に対しての不安が凄くうすらぐんですね。今日本の不安、社会の不安と言うのは経済危機とか財産を失うとかいろんな問題があるでしょう。でも、一番根っこの不安は食べて行くことが出来ないということ。食べて行くことが出来ないと今の人達、お金が無いと食べ物を買う事ができない。だから就職口が仕事がほしいわけです。そこをスコーンとはずしてですね、いきなり農家でも漁業でもいい、あるいは腐ったものでもみな食べられると。
 僕はですね、『日本人よ、中華鍋を持て』と本当にそう思っています。普通に生命力と言うものをいわゆる、精神力だけではなくて実際に物を食べるという意味での生命力が大事かと思うんです。

村尾氏
 誰かの言葉で『人は死なないために生きる。』というのが妙に心に残っていて、生きること事態が一つの目的なわけなんですけれど、中華鍋というものにも中国人を感じますね…。

福武氏
 あと一つあのわたし政治では無いんですが、一般市民がこれからの国際社会なにをやったらいいか、国際結婚をしろと。皆さん方日本人は国際結婚のハードルが高いですよね?しかし海外に行くと当たり前なんですよ。国際結婚と言うのは色んな国々の価値観を知ることと言う事と、ある面ではリスクの分散と言う事になるじゃあないですか。我々日本人がグローバルになるためにも、そういった固定概念を捨ててもいいのではないかと思っているんです。
 
 
司会者
ありがとうございました。
トークセッション、地域と日本の課題、何が問題でどう解決すべきか、政治家はどうあるべきか、そして、一般市民はなにをなすべきかということについて質問を投げかけさせていただきました。