2004年 直島特別例会

 
◆山本 泰広(岡山政経塾 三期生)

「お金」の話



 チャップリンの映画「ライムライト」の中の一場面に次のフレーズがある。「ああ、分かった。人生に必要なものは勇気なんだ。それに想像力。そうそう、それに少々のお金。」すなわち、これは「勇気を持って未来を切り開こうとする人間になって下さい。ただ、それを実現するには多少のお金が必要ですよ。」と、皮肉を込めた言葉であるが、「お金の持つ力」が小額であっても、「人々の夢を切り開く力」であることを見事に表現している。
 
 今回の直島、豊島で感じたことは、「お金の持つ力」や「お金の稼ぎ方」、「お金の使い方」をしっかり子供達に伝える必要があるということだった。なぜ、Mさんはあのような周りの住民を傷つける利己的な行動をとるに至ったのか。なぜ、福武幹事はあのような訪れた人々を感動させる施設を創ることができたのか。両者の違いはどこから生まれたのか。

 現在の経済システムの基となる考え方「神の見えざる手」の原理を提示したアダム・スミスは、著書「諸国民の富」の中で、どの個人もが自分の個人的な利益だけを利己的に追求する過程で、あたかも見えざる手に導かれているかのように、全体にとって最善の事態を達成する、と述べている。これを間違って解釈すれば、願望通り好き勝手すればすべてうまくいく、という拝金主義や利己主義を生み出す。しかし、スミスが前提としていたことは、利己心に加え、これ以上の自己欲求の追及は相手が傷つくから、これ以上の経済的搾取は社会的に認められず恥ずかしいから、この程度で止めておこうという利他心を合わせ持っていることだった。つまり、相手を思いやる心が欠如していると「神」は現れず、「人間」の汚い欲求とその残骸しか残らないのである。
 
  さて、この考えから両者の違いを簡単に結論付けると、Mさんは利他心が欠如していた、幹事は利他心が成熟していたと考えることが可能である。では、「利他心」「公共心」といった感情は、本来人間が生まれ持っているものなのか、それとも教育によって成熟されるものなのだろうか。やはり、人間は生まれた瞬間から相手を思いやる心を持っていて、さらに愛情や教育を受けることによって、後天的に感じたり、学んだり、思いやりの心を成熟させる動物であると思う。そうであるならば、私たちが今為すべきことは子供達に正しい「お金の稼ぎ方」、正しい「お金の使い方」を教えることではないだろうか。相手を思いやるという勇気を持って、汗水流し、自己実現できる仕事(財やサービス)を提供し、僅かながらのお金を頂く。それで得た所得を、自分の欲求のためだけに使うのではなく、家族や友人とハッピーな時間を共有するために使うという強い意思・勇気の下、僅かなお金を消費する。この好循環こそがスミスが唱えた本来あるべき市場の姿なのだと思う。私たちは、現在の経済システム下で毎日「お金」を通して社会と会話をしている。「お金」の使い方一つで幸せにも不幸せにもなる。この不易な原理原則を子供達に伝え、勇気を持って行動させることが今必要である。
  
 最後に、福井日本銀行総裁の言葉を長いが引用すると「お金の大切さがこれから新しい日本を導いていこうとする人々に理解されているのか、お金が人々の夢や目的を実現するために十分活用されているだろうか。未来を切り開こうとする人にちゃんとお金が回るようになっているだろうか。将来の社会や経済が活性化するようにお金はうまく使われているだろうか。勇気を出してリスクを取ろうとする人に応分の報酬は行き渡るような仕組みがちゃんとできているだろうか。そういったことをしっかりパトロールし、障害があれば直ちにそれを取り除いてやること、それを通じてお金がもっといきいき活躍してくれるようにすること、これこそがこれからの時代における私たち中央銀行の重要な役割の一つである。」
 
 私も一銀行員として、理想的な経済システムの構築が実現できるよう毎日精進していきたいと思う。ただ、どんなに高い理想を掲げていても、現時点での私は直島で酒に溺れて利他心をなくす一面があるなど、弱い人間であり猛省している。政治・経済分科のメンバーにはこの場を借りてもう一度お詫び申し上げます。また、年上の方が多く若い私の利他心を成熟させるために、説教を頂いたことに感謝しています。これからも利他心の成熟と自己実現のために皆様方にはご迷惑をおかけすると思いますが、宜しくお願いいたします。