2007年 直島特別例会
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◆三宅 雅(岡山政経塾 五期生)
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直島合宿レポート
文化力
昨年に続いて直島例会に参加させて頂き、福武幹事、北川フラム氏、石井亨元県議のそれぞれ貴重なお話を聞かせて頂きました。夜の食事会、懇親会では、多くの方と色々な話をさせて頂き、様々な刺激を受けることが出来ました。そして昨年度1年間の学びの中で少しずつ考え、書物を読み、周りの人々と話し合って出来てきた「内なるもの」と、今年経験した「新たなもの」との相互作用から、また「次なるもの」へと繋っているように思います。
それは、国なり社会なり家族なり個人なりにとって「より良い」あり方、生き方をするために目指すことは何かということです。有り体な表現ですが、それは最終的に「利益」の追求ではないでしょうか。やや誤解を受けやすい表現ですが、単なるゼニカネの問題ではなく、英語でいうところの「welfare」(福祉、幸福、繁栄)です。
●「軍事力」と「国益」
今から100数十年前の明治維新以降、日本は「富国強兵」の大号令の下、国の利益「国益」を守るため、「軍事力」の増強にひたすら努めてきました。そして当時の大国ロシアにも局地的勝利を収め、いよいよ自信を深めて一時は世界最強の軍事力を有するに至りました。日本の国益、ひいてはアジアの利益を守るためには日本の軍事力が強大になることが不可欠であり、正義であると信じて。しかし、(実際は)大義の無い消耗戦に突入した挙句、悲惨な結果を迎えることとなりました。
●「経済力」と「国益」
次に日本が目指したのは「経済力」の強化でした。とにかく「国益」とは「経済力」である、「軍事力」は「世界の警察官」を自認するどこかの大国に任せておけばよい、ということで。「エコノミック・アニマル」と外国から揶揄され、公害や環境破壊に見向きもせずに大量生産、大量消費を基にした豊かさを追求した結果、世界第二の経済大国(債権では世界最大)と自他共に認める成果を収めるに至りました。しかし、物質的には満たされたものの、何か大事なものを置き忘れてきたような空虚感に苛まれています。気がつけば、日本より遥かに人口の多い大国が、日本が汗水たらして蓄積してきた技術財産の上面だけを掻っ攫い「世界の工場」として怒涛の勢いで追いかけて来ています。
かつて貧困に苦しんできた日本が今日経済的な繁栄を享受しているように、現在発展途上の国々もやがて一定の経済的繁栄を勝ち得る日がくるでしょう。しかし、そこに至る過程で日本が犯してきた過ちを同じように繰り返せば、単にその国の不利益に留まらず世界全体に取り返しのつかない不利益をもたらす恐れがあります。特に懸念されるのが環境問題でしょう。
●「文化力」と「国益」
人や組織、社会が活力ある姿を維持するためには何かの目標、生きがいのようなものが必要です。「経済力」を追うだけでは何かが足りないことは明らかとなりつつあり、特に規模の面では早晩「世界の工場」となる大国が主役となるでしょう。では、日本と日本人が次に「国益」を守るために得るべき力とは何か。
野球やサッカー、フィギュアスケート、アニメや映画、音楽など、様々な分野で多くの逸材が自己実現の舞台を世界に求めて羽ばたいています。成果を挙げた日本人は、海外でも敬意をもって評価され、そうした同朋の活躍は国内の人々を勇気づけます。スポーツ・芸能分野に限らず、環境問題を解決する革新的な技術開発力の育成などにも、利潤優先を超えた高次元の判断が必要です。そうしたものを生み出す土壌、それを育てる社会的背景を「文化力」と呼ぶとすれば、福武幹事の説かれる「経済は文化の僕」とは、必然的な方向性を表現するものと考えます。因みに同様に「軍事力」を表現すれば、「軍事は経済の鬼子」といえましょうか。
今年の福武幹事の講演で「瀬戸内海国際芸術祭」という壮大なプロジェクト構想を伺いました。今から50年先、100年先に、そうした日本の「文化力」高揚の最前線基地の一つとして評価を受けるであろう場所、それがこの直島ではないでしょうか。
今年は私事都合により、初日は昼から参加となり、翌日は朝一に帰らせて頂き、6期生やOB、ゲストの皆様と充分なコミュニケーションをとらせて頂くことができず、大変失礼致しました。そして自分としても大変残念でありました。また、じっくりと参加させて頂ければと思います。
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