2008年 直島特別例会
|
|
◆上田 勝義(岡山政経塾 七期生)
|
犬島、直島、豊島合宿レポート
岡山政経塾 犬島・直島・豊島 合宿レポート
目的:見る・聞く・体感する。考え力を身につける。発想の転換をする。
この度の合宿は、内容が盛りだくさんで消化しきれるかどうか、期待と不安でいっぱいだった。しかし、合宿と銘打たれていることに納得した二日間だった。忙しい日常から離れ、閉ざされた島というフィールドで、芸術に包まれた非日常空間に身を置くという機会を与えていただいたことに感謝いたします。
犬島・直島
『人生は自分自身のメッセージを作品化すること』
といわれた福武總一郎氏のアイデンティティそのものではないでしょうか。
犬島、直島、そして、瀬戸内海そのものが芸術。
犬島
今春オープンしたばかりですが、歴史的遺構に芸術と環境の織り成す異空間、瀬戸内の海、全てが芸術的で、そこに自分が存在することによろこびを感じました。三島由紀夫のあの檄文が当時をというか、彼の心意気、憂いを思い出しました。当時中学生だったのですが、卒業文集には、あの日のあの三島由紀夫についてのみ書いています。今も大事に本棚にあります。それだけに、あの檄文を読むとあの日の市谷での三島由紀夫の姿が鮮明に蘇りました。私にとってはあの檄文が犬島の全てになりました。
地球温暖化防止が地球規模での、これからの大きな政治課題ですが、犬島のアートプロジェクトにはこの環境対応という考えが取り入れられていることに感嘆しました。
直島
5年ぶりの直島。地中美術館は当時建築工事中だった。2度目でしたが新鮮な気持ちで対面いたしました。直島は島の北半分が三菱マテリアル、南半分がベネッセ、中央部分に島民、行政施設が集積しているという、ある種コンパクトシティ的なまちを形成している。中央部の行政関係施設の設計もありふれたものでなく、コンセプトを大事にしたすばらしい施設が存在しています。そしてそのまちなかには「家プロジェクト」なる芸術が存在する。さながら島じゅう美術館といえる。「家プロジェクト」は再生するという精神、また美術館の作品も再利用というコンセプトの作品展示あり、その再生するという精神が島民に徐々に受け入れられてきていることが、あの豊島産廃の中間処理施設の受け入れに繋がっているのではないかと話されたが、まさに芸術が人のこころに大きく影響を及ぼすという典型的なケースではないだろうか。
建築家安藤忠雄氏にとって最初に手がけた美術館ということで、またホテル併設の美術館というコンセプトを生かした集客が特徴ですが、第2弾の地中美術館は周囲の環境に配慮し地中に埋設したということで、ここでも芸術と環境のコラボの結実です。行き止まりあり、切り開けない道ありの美術館は『安藤建築は迷うことで楽しむ』ということで、建築も人生も迷うことで楽しむということを暗示しているとのことですが、悲しいかな、なかなか迷いを楽しめるだけの人間の幅がない自分に情けなさを感じる。
『こどもは未来からの留学生』
「未来を予見できない人に子どもを教育する資格はない」
福武總一郎幹事が分科会の議論の時に言われた言葉。
福武幹事は講演でいろいろ話をされたが、政治は未来責任だが、政治に期待できないなら、市民が自立しなければならないと結ばれた。
岡山政経塾に学ぶ塾生は、夢・志をもって人生を悔いなく、広く大局的に考え、山積する課題・問題を処理するために自分は何をなすべきか、なにができるのか、考えなければならない。
村田教授の講演
「当分日本の政治は停滞するだろうが、その間にアメリカは日本に厳しく、中国寄りに傾くだろうと思われる。」と語られ、アメリカの大統領選挙について詳しくお話をされたのですが、選挙制度によって、選挙される側も選挙対策が大きく変わるものだなと納得しました。選挙制度と選挙について今のままで良いのかどうか、早急に考える必要性を感じました。
豊島
どうして石井亨前県議のような人物を議会に送り出せないのか?選挙制度へのジレンマ、現状での住民の選挙に対する考え方について考えさせられました。
豊島産廃についてはTVでの報道でしか知りませんでした。当事者としての石井亨氏からの説明のなかで、
「住民は無力、この国は中央集権国家だということ」を再認識したという説明をされました。「公」と「私」の間に、もうひとつの「公」が存在するということ。
「昔は地域の共同作業でしてきた、そしてすべきインフラ整備を、いつの時代からか、直接行政にお願いするようになった。地域の問題を行政に直接お願いするという姿勢はおかしい。自分たちの地域の問題は自分たちで解決する姿勢が必要である。」
と石井亨氏は強い口調で語られた。そして今、行政がしきりに語る『協働』ということの意味合いを考えるきっかけをいただいたような気がします。
豊島産廃問題は社会的弱者の正義と社会的強者の戦いと大量生産大量消費社会、循環型社会から廃棄物を出さない社会へと向かう道筋をつけた画期的な住民運動だったということ。行政の曖昧な行政指導があの広大な敷地の膨大な産廃の処理に時間とお金(税金)をかけなければならないことになった意味を考えなければならない。また住民の身勝手な行政へのお任せ主義についても考えなければならないと思います。
・子どものこと
・地方のこと
・未来のこと
今を生きる私たちに課せられた、次代に引き継いでいくことの重要性を再認識し、変えなければならないことは変える努力をしなければならない。
地方から、身近から、できることから、先送りをやめて、早急に。
|
|
|
|