2008年 直島特別例会

 
◆高梨  直(岡山政経塾 七期生)
犬島、直島、豊島合宿レポート
  見る・聞く・考える・体感する。発想大転換へ
                         2008年7月25日作成


1.混血の勧め

 福武幹事は、混血の勧めを説かれる。私はこの意味をずっと考えていました。私は例会の1週間後、沖縄で大学時代の友人たちと語らう中で、なぜ混血の勧めを説かれるのかということについて、自分なりに考えてみました。
 人口減少時代を迎えた祖国日本が、今後も永続的に発展を続けるには、海外からの移民を受け入れるだけではなく、私たち日本人も、もっと積極的に海外進出していかなければならないということなのかと思いました。何故ならば、うちにこもって守りに入るのではなく、こういう閉塞感にあふれた時代であるからこそ、積極的に海外に打って出るべきなのではないかと考えたからです。エネルギーを内へ秘めるのではなく、外へ爆発させていかなければ、日本の存在感は消えてなくなってしまうのではないでしょうか。
 海外に出た日本人は、異国の地で外国人と結婚します。そうして産まれた子どもは、自分のアイデンティティを強烈に意識することになるでしょう。極端なことを言うと、日本で生まれた日本人の子ども以上に、強烈に日本という国を意識する子どもが生まれてくる可能性があると思います。
 なぜ、こんな突拍子もないことを考えたのかというと、沖縄で言われたのですが、生粋の沖縄人と本土出身者との間に生まれた子どもは、自分は何者なのかということを常に問い続けていると言われたからです。なるほど、国際結婚した夫婦の元に生まれた子と同じ状況になるわけです。自分は何者なのか、自分にとって祖国はどこにあるのか。常に問い続けることになるのだそうです。
 中国の人が華僑となって世界中を席巻しているように、私たち日本人も世界に飛躍していくというのはどうでしょうか。基本的な価値観が異なる者が一緒になる国際結婚は、日本人同士の結婚以上に困難さが伴うでしょう。ですが、新たな血を投入し、異なる価値観がぶつかり合うことによって、日本という国がますます発展していく可能性が私には見えてきました。なるほど、福武幹事の言うことはもっともだと、ひとり納得した沖縄の夜でした。でも、国際結婚するには、まずもって相手を見つけ出さなきゃいけないですね。

2.豊島

 豊島は初めての上陸でした。中坊公平先生の著書などで、豊島が産廃の島であることだけは知っていました。「だけ」というのは、本当にそれしか知らなかったからです。住民の方々の筆舌に尽くしがたい艱難辛苦。島の外の人々から受けた誤解、そして偏見。島の人々が乗り越えてきたこれらの問題ひとつひとつを石井県議から聞くなかで、能天気な気分で島に渡ってきた自分を恥じるとともに、島の人々に対する尊敬の念が湧いてきました。
 島の人たちの思いを、行政が全く聞き入れてくれなかった時のことを思うと、さぞ悔しかっただろうと思い、涙が出そうになりました。行政が産廃問題に全く取りあってってくれないなか、住民の方々はよくぞ諦めずに、粘り強く、産廃問題に取り組みを続けてきたと思います。豊島の産廃問題に対する住民の取り組みは、日本の住民運動史に燦然と輝く金字塔です。
 一方で、産廃施設の操業がはじまった昭和53年から、調停が成立した平成12年まで、何故にここまで豊島問題の解決が遅れてしまったのだろうか。そして、その理由は何だったのか。この点をしっかりと検証する必要があるのではないかと感じました。二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、非常に重要なことであると思います。汎用性があり、かつ応用の利く不法投棄・環境破壊防止豊島モデルを提唱できれば良いのではないかと感じました。
 今回は時間があまりなく、豊島での滞在時間はわずかなものになってしまいました。豊島はこの夏もう一度訪れてみます。まだまだ、この島の、そして住民の方の経験から学ぶべきものはたくさんあります。自分自身への課題です。

3.感謝
 岡山政経塾は本当に素晴らしい。まず男前が素晴らしい(よいしょっと)。幹事の皆様も素晴らしい方ばかりです。そして何よりも一緒に学び、語り合える仲間が最高です。岡山政経塾生であることは、わたしにとって誇りであり、かけがえのない財産です。
 いよいよこれから、卒塾論文に取り掛かりますが、仲間と切磋琢磨し、素晴らしい卒塾論文を仕上げたいと張り切っております。同志社大学の村田教授、石井元県議、犬島の皆様ほか、今回の例会にご尽力いただいたすべての皆様に心より感謝御礼申し上げます。