2008年 直島特別例会
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◆富田 泰成(岡山政経塾 七期生)
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犬島、直島、豊島合宿レポート
岡山政経塾 直島レポート
【はじめに】
100K、自衛隊や例会と様々な経験を通じて、この岡山政経塾の中で自分を見つめ、周りの人たちと関わってきた。そして、今回直島例会に臨み、政経塾の取り組みとしても知的探求への転換であったのと同時に、自分にとっても大きな転機であったようである。
この例会から、常に「自分に何ができるのか?」と小さなことでも見聞きする度に自問自答するようになった。その小さな変化の背景にある、例会で見たことに関する解釈とその時にした決意や思いをできるだけ正直に書いてみることにする。
【犬島 廃墟の中の三島の思い】
過疎で、不便で、若者の匂いがせず、コンビ二もなく、職もない・・・そんなイメージの瀬戸内の島を、島民が元気で、外国人が立ち寄り、若者が集い、ハイセンスで、かっこいい場所に一躍変貌させてしまう、というこの魔法のような島プロジェクトに衝撃を受けた。日本を支配する経済原理以外の力がもたらす貢献力の大きさを痛感したからである。
さて、最初に見学した犬島について考察してみたい。そこでは、三島由紀夫に関わるアートを見学した。そこで見た、三島の最後の言葉を並べた場所のことが忘れられない。私は、それをアートとしてはとらえることができなかった。
昔のレンガの廃墟の中に、三島の最後の言葉がぎっしり並べられており、その風景をみて私が感じた気持ちは「空虚さ」だった。死をかけた火の出るような一語一語の言葉が吊り下げられて揺れるその周りを、既に使われていない文明の抜け殻(遺跡)が取り囲んでいる。そこを涼しく風が吹き抜ける。遺跡の中で、三島の言葉も風化しているように見えたのだろうか。改めて考えてみると、そうではなかったと総括する。
この風景に感じた「空虚さ」は、特に近年、この国全体に充満する空気と同じもののように思えてならない。
イデオロギー、熱い思い、熱意ある言葉、異様な行動、叫び、主張など、当たり障りのあるものに対して、冷ややかな視線を向け、少し目立つと孤立してしまうような様子が、あらゆる場面でみられるように思われる。しかも、それに対して周りは何を言うわけでも、跳ね返してくるわけでも、怒るわけでもなく、冷ややかに見ぬふりをして通り過ぎることがいかに多いことだろう。親子や友人の間でもその傾向が強まってきていると言われるようになってきている。
話を元に戻すと、同様に、三島の命をかけた魂の言葉が、乾いた廃墟によって無視され、取り残されてしまっているような孤独感が「空虚さ」という感覚に見えたのだと私なりに解釈している。
三島の言葉は、国民の総論には結局ならなかった。しかし、少なくても総論を正そうとするために命がけで訴えた。死をかけた、この世で一番本気の言葉に、私がどのように向き合うことができるのか、その問いを、今は亡き三島由紀夫から突きつけられたように感じた。三島の最後の言葉が風に揺れる風景を思い返すと、「お前は当事者になれるのか?」と言われているようで恥ずかしくなる。
自分は、100年後、この国がより良きものになる目的のために、総論の向かう角度のほんの少しの傾斜にでも、影響を与える人間になれるのだろうか。そうあるよう思い続けたい。
【直島@ 島】
2回目の直島。11年ぶりだった。11年前は、「こんな島にどんな素晴らしいアートを並べたところで、誰が見るのであろうか」と考えたことを思い出す。かなり閑散とした雰囲気を感じ、何となく置かれたアートにも違和感を感じた。
しかし、今回、この島に再び戻って見たものは、多くの若者と、ひっきりなしにすれ違う外国人の姿だった。島全体が生き生きと見え、アートと瀬戸内の自然の間から違和感がまったく消えていた。
アートに関して造詣が深い訳ではない自分ではあるが、やはり現代アートを見てその意味を考えようとすること自体が無意味だったようだ。
鑑定士の中島誠之助先生は、その著書の中で「本物を見なさい」と語っている。本物を見続けると、本物だけが見える基準が自分の中にでき、それが出来ると、骨董品の写真を遠くから見ただけでそのものが本物かどうかが自ずからわかるとのこと。その話を知って以来、なるべく本物を見るように意識してきた。
今回、地中美術館で見たモネの「睡蓮」をはじめ、本物の数々を見ることが出来たことは、その意味でも大変有意義な体験だった。
そして、触れることができた「本物」はアートだけではなかった。
福武幹事、村田教授、石井元県議 という「本物」の「人物」に触れることが出来たことは、この上ない光栄であった。
【直島A 福武幹事ご講演】
福武幹事は、私にとっては会社の会長であるが、まったく触れた事のない、幹事としてのもう一人の「人物の顔」を見た気がした。胸に突き刺さった言葉を思い返してみたい。
・大局的に全体を見渡し考え抜き、自分が生きている世界で何ができるかを突き詰める。
・人生とは、多次元の連立方程式を解くようなもの。だから公式を知れば成果が得られる。
・人生は、自分自身のメッセージを作品化すること。
・自主的、主体的になれ
・美味しいものを地元に残すとそれが地元の魅力につながる。
・どんなに厳しくても、正面からぶつかって答えを必ず出していく。
・夢をもってもできるとは限らない。でも夢をもたんと絶対に実現できん。
・自分の子供の未来のために
幹事は、「瀬戸内海の島々を独立国にする」と誰も考えたこともないことを仰られておられた。考えてみれば、この直島が現在のようになることなど誰が予測できただろうか。
夜、事務局長がすすめられたように、海岸で寝そべって波の音を聞いていると、ある事実に気が付いた。「自分は今、ある一人の男が描いた夢の上にいるにすぎない。」
今の自分の小ささを知ると同時に、一人の人間が夢を思い描き、それを実現させていくことができる無限の可能性を、幹事の講演と直島滞在を通じて体験することができた。
幹事がお考えの「地元主義」には共感できる部分が大きかった。ただ、それは現在の日本全体を覆う経済原理とは、また違う道を進む事を意味しており、それがこれからの日本にも、求められてくることかも知れないと感じられた。
「地元主義」を考える時に、ひとつの自分の経験にあてはめてみた。
ブータンという国を以前旅をしたことがあるが、かの国においては「GNH(GROSS NATIONAL HAPINESS 国民総幸福量)」という幸福の量を表す単位を重視しており、世界の経済原理とはまったく別の次元で、国民の幸福を国が保証している。世界一国民が幸せな国と呼ばれ、問いかけたほぼ100%の少年が「ブータンを愛している」と自然に笑顔で答える。そして、国民は先祖からの伝統を重んじ、民族衣装を着ることを当然のこととしている一方で、英語を子供たちの全員が話せ、コンピューターを使いこなし、教育レベルは他の国にも引けを取らない。また、海外に関する勉強もかなり充実しており、井の中の蛙としての内輪優位主義とは違い、外も知りつつ自分たちのアイデンティティーを確信している状態にあることは驚きであった。
あるブータン人に次のように問われた。
「ブータン人は日本人のことを尊敬している。日本人はものすごい力をもった人たちです。良い方にその力を使えばもっと幸せになれると思います。今、世界から日本はお金持ちと言われているが、みんなほんとに幸せなのですか?」と。
国としては世界的な経済原理のベクトルを進みながらも(国単位であればそこから離れることはできないだろう)、このブータンのような小単位ながら最大幸福を追求できる集団のあり方を自分なりに考えていきたいと考えた。
【直島B 村田先生ご講演】
福武幹事のご講演が果てしない夢と可能性の探求であれば、村田教授のご講演はロジックと知的好奇心の探究であった。
アメリカ合衆国大統領選挙のテーマであったが、マケインとヒラリーの出生から才能、背後にある力、社会的ニーズ、歴史的背景など、あらゆる条件の掛け合わせで大衆の票が動く原理を知ることが出来た。ただ、小山事務局長があのお話をどのように解釈され、例えばヒラリーを勝たせるとしたら、何をされるかという設定での現場感覚に基づいたお話は大変に興味深くいつかお聞きしたいテーマである。
どちらが勝つかという占い的な話ではなく、どうすれば人が動くのかということの中に村田教授のお話の本当に大切なご指摘があったように思われる。人の心理の動きの動機になること、人が重い腰を上げる瞬間の裏側にあるもの、その多種多様な諸条件と、選挙に立つ人の理念とメッセージと意図と戦略がマッチングした時の集団のうねりについては、もっと深く勉強をしていきたい。
また、最後に村田教授から教えていただいた、これからの日本の世界的地位の脅威についてのお話は、自分の意識が到底及ばなかったテーマであった。
安保理常任→中国○ 日本× G8→中国× 日本○
という構図でバランスを保っていた力関係が下のようになる可能性が高いという。
安保理 →中○ 日× G8→G13(+中国・インドなど)中○ 日○
その時に、日本はアジアの主導権は維持できなくなり、その時には限界を知ることから日本外交のこれからを考え直さなくてはならなくなるというご指摘だった。この話は大きな話であるため、中々実感のないものであるが、アジアの中で、または世界の中で立場が弱くなるということが、どのような影響をこれからの日本にもたらしていくのかということは、自分のこととして意識しておきたい。そして、村田教授が仰るように、まずは、外に意見が言えるようになるためには、自分たちが成熟した国民になっていくために何ができるのかを真剣に考えていかなくてはならないだろう。
【豊島 故郷】
豊島で石井元県議のお話をお聞きすることができたことは大変な光栄であった。ここで学んだことは、言葉ではまだ的確に表現することができない。
ただ、何か大変な理不尽や、おかしいことが起きている時に、それを経験した誰かが声をあげ、誰かがおかしいと言わなければ、世の中にはその出来事が認知されないということ、そして、世に認知されない出来事は、事実とは見なされないということ、このようなことが多いという事実は肝に銘じておかなくてはなるまい。
これは、大変恐ろしいことで、その背後で人知れず苦しむ人たちがたくさんいるはずであり、その存在は誰にも知られずに時代の底に消えていってしまう。
石井元県議をはじめ、豊島の人たちは、悲劇から這い上がるために、人生をかけ主張し、そして戦った。その意味で、この事件は、おかしいことをおかしいと言える勇気の尊さを社会の多くの人たちに突きつけたはずである。
石井元県議のお話を聞きながら、このような理不尽さやおかしなことを、もし自分が受けたとしたらどうするだろうと考えた。
自分の実家の裏の空き地に2階にも届く高さにまで他人に平然とごみを捨てられ、それが生活や生命にも支障をきたすことから国に救いを求めて訴える。それでも何年も改善の余地がない上に、逆に立場が苦しくなっていく状況であれば、どうするだろう。引っ越して逃げ出すか、戦うか。
豊島の人たちは、それを自分だけの問題だとは考えなかった。生まれ育った故郷を命をかけてでも自分たちの手で元通りする、という強固な思いと執念の総意が国を動かしたのだろう。
「運命共同体」と言う言葉があるが、自分たちの運命をかけて皆で1つのイバラの道を進んでいった1つの事実を知り、故郷というものがそれほどまでに大切なものであることに改めて気付かされた。そんな故郷づくりをしていきたいのだ。
【おわりに】
帰りの船ではほとんど話ができなかった。瀬戸内海の島々を見ながら、この美しい風景を守っていくのは、今を生きる自分たちに違いないと心から考えていた。その日から、小さなことであるが、落ちているゴミを気付いたら拾うようになった。新聞の小さな記事を見るときも背景にある出来事や関わる人を想像する努力をするようになった。その意味で、今回の合宿は、今まで見えていた視野を大きく広げるきっかけになっていくことだろう。
三島のアートに「空虚さ」を感じたことから始まり、最後に「空虚」ではいられないようになっていた。この気持ちを自分の今後の政経塾での具体的な活動にもつなげていきたい。
平成20年7月26日
岡山政経塾7期 富田泰成
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