2008年 直島特別例会
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◆西村 公一(岡山政経塾 七期生)
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犬島、直島、豊島合宿レポート
岡山政経塾 犬島、直島、豊島合宿レポート
今回の合宿の目的は、「見る、聞く、体感する。考える力を身につける。発想の転換をする。」
ことにあった。
瀬戸内アート
現代アートに限らず、アートは分からないものと思いこみ、そのことに劣等感を感じていた。
犬島や直島のアートをどのように体感し、考えればいいのか、不安があった。
アートの解釈には、一定の法則があると思い込んでいた。
ベネッセハウスミュージアムの菊田支配人は語られた。
「人生経験やそのときの気分によって、アートの感じ方は違ってもいいんです。気楽に見て、自由に感じればいいのです。」と。
この一言で、心が楽になった。
もう、弱気でアートの前に立つ自分はいない。
いいと感じたものに感動し、つまらんと感じたものにはさようなら・・・それでいい。
自由に自然体でアートに接し、「〜であるべき」という押しつけからは自由になろう。
解説を読んでアートを見ることはやめ、アートを見て解説を読んでみた。
まったく違う解釈をしていることが多かった。
違うから楽しいんだ、自由は幸せなことだ、と発想転換してみた。
瀬戸内アートは、少しばかり自分の生き方を楽にしてくれた。
イメージングの力
何事にも計画は大切だ。
計画に従って、コツコツと努力することも大切だ。
でも、同じように努力して成功する人もあれば、失敗する人もいる。
その差は何だろう。
御講演の中で福武幹事は語られた。
「できると思わないとできない。夢は持たないと実現しない。」
福武幹事の頭の中には、すでに成功したイメージの種が植え込まれており、日々、この種に光や水を与えられているのではないか。
武士に例えれば、「斬ってから勝つ、のではなく、勝ってから斬る。」戦い方をされてきたのではないか。
福武幹事には、すでに100年先以上の瀬戸内のイメージができ上がっており、そのイメージングどおりに、直島や犬島が変化してきたのではないか。
直島は、生きるヒントを自分に与えてくれた。

裏を読む
世界情勢は単純ではない。
豊富な情報をもとに、過去の裏、現在の裏を読み、併せて未来の裏まで読まないと、世界情勢の真実は分からないし、未来予測もできない。
そして裏を読むには、「考える力」が大切だと、村田教授の御講演で考えた。
マスコミ情報も丸呑みは止め、裏読みの材料にするようにしたい。
自分は次のアメリカ大統領選挙はオバマがマケインに勝利すると読んでいる。
日本がアフリカに従来の3倍の経済支援を決めたこと、洞爺湖サミットにアフリカ諸国の首脳が出席していたこと、オバマが勝利した方が、ある金融機関への世界マネーの流通量が多くなると予想されること、情報はマネーに付随して動く傾向があること、そして何よりオバマがハーフであること・・・等々。
あくまで素人判断ではあるが、合宿の目的である「考える力を身につける」ために、少しばかり考えてみた。
豊島問題
豊島問題では、公害調停の被申請人である香川県が悪であった。
今回の豊島見学を通じて、その思いを強めた塾生も多いと思う。
しかし、それだけでは、見えてこない真実があるのではないか。
「盗人にも三分の理」と言う。
申請人である豊島住民の意見を聞くとともに、香川県の意見を聞くことで、真実は違う形で明らかになると考える。
自分は、ある行政機関で一時期、公害紛争処理法に基づく公害調停の業務に従事し、豊島同様の産廃問題の事件を経験した。
だから、確信して言える。
豊島問題の真の大悪人は中央集権官僚統制国家(K省)であったと。
K省は廃棄物処理法(以下、法という)上の産業廃棄物の定義を明確にせず、法適用に当たっての地方行政からの照会についても、決してK省に責任が及ぶことがないように、「〜であると考えられるが、最終的には、諸般の事情を総合的に勘案し、貴行政機関において判断されたい。」と文書回答してくるケースが多い。
時には、地方行政からの照会を無視するケースもある。
「権限は決して譲らないが、責任は一切とらない」のがK省の姿である。
K省に限らず、現在のS省も全く同様である。
根は深いと言える。
推測ではあるが、香川県は問題解決のために、K省に繰り返し法適用の照会をするも、責任のみ押し付けられ、速やかで具体的な対応ができなかったのではないか。
香川県は確かに悪かった、しかし、大悪人は安らかな寝息をたてている・・・
もう一つの豊島の問題点は、行政対象暴力に対する香川県の対応の甘さにあったと考える。
産廃問題の行政担当者には、行政対象暴力を受けることが多いが、組織として、暴力に対応できる体制が整っていれば、違った展開が期待できたかもしれない。
自立できない地方(自立させようとしない国家)、行政対象暴力への対応の甘さが、豊島問題から学ぶべき問題の本質であると考える。
最後に
瀬戸内の海は美しかった。
朝には朝の、夕には夕の海があった。
ブレックファーストを波音聞こえる浜辺で食するとは、何とリッチなことであるか。
なぜ、また直島には訪れたくなるのだろう。
早く来年の夏がくればいいのに・・・
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