2009年 直島特別例会

 
◆西村 公一(岡山政経塾 七期生)
ベネッセアートサイト直島合宿レポート
  岡山政経塾 犬島、直島、豊島合宿レポート


犬島アートプロジェクト
 犬島現代アートの壁に刻み込まれた文字、「在るものを活かし、無いものを創る。」(福武總一郎)、「今までかえりみられることのなかったもの、捨てられてきたものに新たな価値を見いだし、地球と知的な関係を築いていくこと。それが建築として表情をあらわしたとき時代を超え親しまれていくと信じている。」(建築家:三分一博志)
 犬島アートが、人々の感性に強烈なインパクトを与える理由は、それぞれのアートにブレない信念と哲学、見る者に媚びない凛とした姿勢があるからだと考えます。犬島アートに触れていると、数学の方程式がすらすらと解けていくときのような、何かゾクゾクした感じがこみ上げてきます。見る者の感性に強烈に訴えかけてくる何かがあります。犬島には二度目の訪問ですが、前回には感じられなかったアートの息づかいが伝わってきました。繰り返して同じアートに接してみることで、感性を磨き、自分の言葉で感想を言えるようになりたいと考えています。

直島家プロジェクト
 石橋(千住 博)の蔵の中は音もなく静まり返っています。しかし暗色の壁面には白く輝きながら一気に落下する滝が描かれており、じっと見ていると、なんとなく音が聞こえてくるようになります。そして滝壺に一気に降り注ぐ強力な水のパワーが見る者の心を鷲掴みにします。そして耳元に轟音がこだまするようになると、その力強さに圧倒され床から離れることができなくなります。私は家プロジェクトの中でこの作品が一番のお気に入りです。今回は五度目の鑑賞になりますが、いつも私の潜在意識に強いパワーを与えてくれるアートです。ほとばしるエネルギーが感性に訴えかけてきます。本物の滝ではありませんが本物の滝以上の力を感じさせるアートです。

直島:福武幹事ご講演「私の生き方形成プロセス」
 瀬戸内の海に沈みゆく夕陽を背景に、福武幹事から、社会人として、また個人として成功する秘訣について、手づくりのレジュメを用いながらご講演いただいた珠玉の時間でした。「新しい価値観、発想の転換が大切。夢を持ち、成功するまであきらめることなく、コツコツと努力を積み重ねていくことを生活のスタイルにしてしまえば、自信にあふれ活き活きと生きることができる。時間を有効に使いしっかり勉強しなければならない。また先祖に感謝すると、自分がとてつもない偶然の中でこの世に生かされていることを知ることになり、自分自身を強くしていくことができ、恐れるものがなくなる。」との素晴らしい知恵をいただきました。
 以前、小山事務局長から、これからの生き方について教えていただき、私の手帳に張り付けて、朝と夜に読み返しているものがあります。「時代はいつも変化している。私たちは、その時代の変化に応じて変わらなくては、取り残されてしまう。幸いにも、人間はミスを進化につなげる力を授かっている。自分の欠点をみんなの前にさらけ出した時、人は強くなる。夢を現実に変える第一歩は、目標を設定することだ。あの人のように、できない理由を並べれば、できるはずのものもできない。やれるかやれないかではなく、どうやるかが大事。夢のない行動は時間の経過にすぎない。行動の伴わない夢は単なる願望にすぎない。転んだら起き上がればいい・失敗したら反省すればいい。夢は逃げない・逃げるのは自分の心。世の中には勝ち組も負け組みもない。「やる組」と「やらない組」があるだけ。何をしてきたかは問題ではなく・これから何をするかが問題だ。あなたに一番影響を与える人間は、あなた自身だ。未来を変えるたった一つの方法は、現在を変えること。努力した人が成功するとは限らないが、成功した人は皆、努力した。悩みは一度、紙に書き出すと解決の糸口が見つけやすくなる。出来ると信じても出来ないと考えても、どちらもその通りになる。」
 お二人から教えていただいたことが頭の中でしっかりと結び付き、今後の生き方にはっきりとした道筋が見えてきました。
 世の大人たちは本当に大切なことをなかなか教えようとはしません。自分の胸の中にこっそりとしまいこみ、密かに楽しもうとします。しかし岡山政経塾では生きる知恵と助言を何の惜し気もなく、次から次へと与えてくれます。政経塾という宝の山の中にいることに今更ながら感謝しています。
 ご講演の後は、マリーナで福武幹事自らの手料理によるお楽しみの夕食会。舌平目のムニエルには塩コショウがピリッとしたアクセントを与え、ギュッと絞ったレモン果汁が柑橘系の爽やかな香りを口の中に奏でます。鉄板で焼かれたばかりのホクホクした白身が舌の上を飛び回り一気に喉を通りぬけていきます。その後を楽しそうに追いかけていくのはよく冷えたビール。ふと瀬戸内海に目をやると、波のせせらぎと相まって、地平線に浮かび上がった夜景が半円形に広がります。「生きていれば多少難しいこともあるけれど、やっぱり生きているのはいいなあ。」と一人つぶやくと、慈母のような穏やかな海は、ちょっとだけ嬉しそうに微笑んだように見えました。

豊島:石井亨氏ご講演「豊島産業廃棄物事件」
 豊島事件における住民の戦いは、廃棄物を島外に撤去させ、美しい島を取り返すことに成功しつつあるというにとどまらず、私たちの社会が目先の利益を追い続ければ、取り返しのつかない結果を招くことを多くの人に知らせることになりました。
 そして「使い捨ての社会」から「廃棄物を出さない循環型の社会」に向かうべきことを社会の共通認識とすることに大きな役割を果たしました。
 また豊島住民は、国や自治体を無条件に信頼し依存してはならないこと、自治体などの誤りに対しては、住民の力でそのことを認めさせ、是正させることが可能であることを社会に示しました。すなわち社会的弱者であっても、その要求に道理があり、広範な人たちの支援を得れば、国や自治体を動かすことができることを多くの人に知らせることになりました。このような豊島住民の運動が、世間の不条理に泣いている人々の心に金字塔を打ち立てたことは間違いありません。
 しかしながら、豊島問題を単なる美談として終わらせてしまっては、これからの地方、日本は何もよくなりません。また不法投棄された豊島の産廃を処理するために600億円もの血税が投入されることへの国民の理解を得ることもできません。
 豊島問題を今後の生きた教訓とするためには、この問題が発生した究極的な責任がどこにあったのか、そしてその責任者がどのような罰則を受けるべきであるのか、しっかりと見極める必要があります。産廃業者に責任があったことは明白な事実です。しかし豊島問題がここまで大きくなってしまった本当の責任は政治にあるのではないでしょうか。産廃業者への指導監督義務を怠った香川県知事、産廃問題に逃げ腰だった香川県警察、このような行政や警察を放置した香川県議会、香川県知事への指導監督義務を怠った厚生大臣およびこのような大臣を放置した内閣と国会に責任が問われてしかるべきです。政治は結果責任を問われるものです。しかし豊島問題では、政治がどこかへ雲隠れしてしまい、何の責任も問われないまま無罪放免されています。これでは豊島と同じような問題が再発する恐れがあります。今こそ結果責任を問われない政治から決別しなくてはなりません。責任ある政治が期待できるからこそ、住民は安心して暮らすことができます。産廃処理費用の600億円については、知事や県議、大臣や国会議員等に連帯責任を認め、その一部を損害賠償させてもいいと考えますが、そのような声は全く聞こえてきません。
 地方の問題に地方の住民が立ち上がり、立ち向かっていくことは、地方自治の視点からも理想的な姿ではありますが、このことは政治の責任を軽減させることにはなりません。そもそも政治は住民に過分な負担を強いてはならないはずです。政治の責任を住民に押しつけることは政治の怠慢です。豊島問題を一時の感情論で推し量るのではなく、冷静に分析し、政治に責任回避の口実を与えないことが大切です。

最後に
 8期生の塾生と、食料自給率の低下や耕作放棄地、減反などの農業問題について語り合っていると、福武幹事から「豊島は豊かな島だ。田畑は多く、米や桃、レモンやイチゴも豊富に実る。水も多くて農業に最適の島だ。休耕地がたくさんあるので、岡山政経塾の塾生で農業をしてみるといい。いい勉強になるよ。」とのアドバイスがありました。
 私は農業の経験がありません。しかし自分で食べるものは自分でつくりたいとの希望を持っています。また農業をすることで新たな発見があるはずです。農業、過疎化、地域づくりなど、これからの地方が取り組んでいくべき課題と解決策は現場に眠っていると考えれば、豊島で農業をすることは、新しい価値観に気づき、発想の転換をし、地方から日本を変えていくための原点に立つことになるのではないでしょうか。「岡山政経塾・豊島農園」が開園され、塾生で収穫物を頬張る姿を夢見ています。