2009年 直島特別例会

 
◆吉富 学(岡山政経塾 七期生)
ベネッセアートサイト直島合宿レポート
  直島合宿レポート



はじめに
 2回目の参加となった直島合宿。大変有意義であった。犬島・豊島では、昨年と変わらぬ素晴らしい体験をすることができた。その中で、直島での時間は昨年よりも遥かに有意義だと感じた。理由は、現代アートである。1回目より2回目、2回目より3回目と、回数を増すごとに魅力を増していく直島の現代アート。今回のレポートでは、その理由について考え、直島合宿に込められた意義を再考したい。


現代アートとは
 代アートとは、感性を磨くトレーニング、と私は定義する。一目見ただけでは、意味不明としか思えない現代アート作品。その「意味不明」だと思うことが、現代アートと向き合う第一歩なのではないだろうか。「意味不明」だと思い、その中に込められたメッセージを考え、感じようとする思考回路が動き出す。単に見るだけでは現代アートを堪能したとはいえない。現代アートを見て、考え、そして感じることが、現代アート鑑賞の醍醐味である。考えたこと・感じたことが製作者の意図したものでなくても問題はない。問題は、それが本当に自分で考え・感じたことかどうか、である。現代アートは感性を磨くトレーニングだから、感性を問われる問題に決められた答えを設定するべきではないから。
 現代アートは、今までのアートとは違う。今までのアートは、製作者が主体であった。
 例えば絵画であれば、展示された作品を単に見るのが唯一の鑑賞方法であり、そこに鑑賞者の解釈が入り込む余地はほとんどなかった。しかし、現代アートは違う。目の前の作品を五感で体感し、意味不明な作品の正体を暴こうとして必死に考えなければならない。そこでは鑑賞者の解釈による部分が必然的に大きくなる。よって、現代アートにおいては、主体は鑑賞者である。その意味で、現代アートは今までのアートと一線を画している。同時に、現代アートには、それに触れた人の数だけ解釈がある。解釈の分権である。
 2回目の合宿で心にも余裕ができたからか、上記のようなことを考えながら現代アート鑑賞ができたことで、非常に有意義な時間を過ごせた。


直島合宿の意義
 直島合宿の目的である、「見る・聞く・体感する。考える力を身につける。発想の転換をする。」は、まさに現代アート鑑賞によって獲得できるものである(もちろん、他にも手段はある)。現代アートは、考え、感じる者にとっては自分の感性を磨き、そして表現する絶好の機会となり、そうでない者にとっては何の魅力もないガラクタである。
 自分で考え、考えたことを表現する力を養うこと。直島は、未来に向けて生きる者にとって不可欠な能力を鍛えることができる場である。
 来年も、また新たな発見が直島で待っているに違いない。今から楽しみである。