2011年 直島特別例会
|
|
◆石川 英知(岡山政経塾 十期生)
|
岡山政経塾 直島特別例会レポート
『現代アートのある超高齢化の過疎の島にみる日本及び地球の未来』
●百聞は一見に如かず
この直島、犬島、豊島を中心とした超高齢化の過疎の島々で繰り広げられる、現代アートとその島々の人達とが織り成す「有るものを活かして、無いものを創る」について、百聞は一見に如かずということばがこれ程までに当てはまることはないと思いました。
現代アートについては事前の予備知識を持たずに、現物を直接見て、聞いて、体感しようと決めていました。昨年の瀬戸内国際芸術祭において超高齢化の過疎の島が、世界中から注目された一因として現代アートがどのように関わり、どのように使われていたかを知る動機(きっかけ)になると思ったからです。
●最先端の先の未来
もう一つ別の角度から、今回の直島特別例会に参加するにあたり、この超高齢化の過疎の島々は、ある意味で日本の、或いは地球上の最先端を行っているのだということを考えていました。人間誰しも老いていく。その老いについてこの日本は世界一のスピードで高齢化社会への階段を突き進み、人類史上で類を見ない超高齢化社会になっていきます。その最先端を行っているのが、この瀬戸内海の島々であり、そこに最先端の現代アートが存在する現実。
実際に現地に行くと、島内の寂れた町並み、建屋、情景、人々の生活をそのまま活かし、そこに現代アートを創ることで全く別の空間、言ってみれば最先端の更に先=未来を創っていると思えました。
●なぜ、直島などの過疎の島々に現代アートなのか
率直な疑問として、なぜ、瀬戸内海の超高齢化の過疎の島々である直島に、現代アートなのか。その答えは、島の人々と行政とベネッセという民間企業と町長(政治)との何十年も前に遡る関係から見つけ出すことができました。小さな島だからできたのかもしれません。しかしそれは、未来を創るということについて、時間をかけて相互によく考え、理解することで住民と行政と民間と政治が上手く噛み合った、噛み合わすことができたからだということがわかりました。そして、その手段になったのが現代アートであったと思いました。
●現代アート
現代アートそのものについての感想としては、当日・事後においても作者の意図を完全に理解することは難解です。この感覚は外国人が、例えば京都の古寺名刹をみて、理解を示し、理解に苦しみ、そして考え、好きになっていくというプロセスに通じるのではないかと思います。
その中で僕自身、日本、日本人としての感性としての「侘び寂び」という視点で現代アートを見て、体感すると、見えないものが見えてくるということが、僅かでも体感できたと思います。中でもジェームズ・タレルの南寺は、暗闇と物質の存在感の表現において侘び寂びに通じるものと感じました。西美さんの説明にもあったように、現代アートについて理解するというよりも、現代アートを通して見える現実に、興味を持つ、考える、理解する、感動を呼び起こすということが現代アートだと思いました。
●現在、未来
現代アートの存在意義を示せば示すほど超高齢化の過疎の島々は、心地よい未来を創っていく。なぜなら、島の暮らしの中で、現代アートの外観は浮いてはいても、現代アートそのものを生活の一部として捉え、考え、行動していることが感じられたからです。
2日間の滞在の随所に、高齢者がガイドをしたり、土産物を売ったりして自活をし、かつ、生活の一部に現代アート目的に訪れる若い人達との関わりが見てとれたのです。だからこそ、世界中から注目を集め、今もなお、注目されているのだと思えました。
今回の直島特別例会はまさに現在の我々日本人が直面する問題を、超高齢化の過疎の島々にある現代アートを題材にして実際に「見る、聞く、体感する、考える力を身につける、発想の転換をする」ことで日本、地球の未来を考える良いきっかけになりました。また僕自身が老いていく上で、未来に対し明るい希望を見出すヒントを得たと思います。
最後に、この学びの機会を与えて下さった、岡山政経塾の小山事務局長、諸先輩方、幹事の皆様、そしてベネッセ財団の方々に深く感謝いたします。ありがとうございました。
|
  |
 |
|