2012年 直島特別例会

 
◆西村 公一(岡山政経塾 七期生)
岡山政経塾  直島特別例会レポート
『岡山政経塾 直島・犬島・豊島合宿で考えたこと』



●瀬戸内海とアート(直島、犬島、豊島で考えたこと)
 現代アートはよく分かりません。しかし分かろうとするから分からないことが分かるのだと考えます。分かろうとすることを諦めたら、いつまでも分からないままになってしまいます。
 釘(くぎ)を板にきちんと打ち込むには、トントントンと何度も金槌で打たなければなりません。一回だけ思い切り打って、それっきりにするということはありません。
 現代アートを楽しむときも同じ要領でいいと考えています。リキまず、あきらめず、気長に心に打ち込んでいく。そうこうしているうちに感性が磨かれていけばそれでいい。現代アートは繰り返して鑑賞してみようと考えています。
 直島ではクロード・モネの「睡蓮」など、超一級品のアートを誰でも気軽に体感できます。ちょっと船に乗って瀬戸内海の島々に渡るだけで、最高のアートを楽しむことができるのは、とても幸せなことです。瀬戸内海にすばらしいアートを持ち込んでいただいた岡山政経塾幹事の福武總一郎先生に深く感謝します。


●魅力があれば、すべてがうまくいく(直島で考えたこと@)
 伊勢内宮前の「おかげ横町」に足を運んだことがあります。祝日だったこともありますが、多くの人で賑わい、活気に溢れていました。一方で、岡山市の中心部には表町商店街がありますが、このところ買い物客も減り、シャッターを閉じたままの店舗も散見されます。
 直島において「おかげ横町・伊勢福社長 橋川史宏先生」の講演を拝聴しましたが、「水は高いところから低いところへ流れるように、人とお金は魅力のあるところへ流れる」というフレーズが心に響きました。「おかげ横町」には、古くて美しい町並み、生産者の良心が盛り込まれた商品、おもてなしの文化があります。すなわち「建物」、「商品」、「人」に魅力があり、多くの集客がなされているのだと知りました。
 人でも会社でも地域でも、魅力があれば自然と人が集まってくる、ならば、人が集まらないと嘆く前に、自らを魅力的にする努力をすることが大切であると発想の転換ができました。


●蚊が元気な島(直島で考えたことA)
 直島で現代アートを鑑賞していると、蚊の襲撃を受けました。ズボンの上からでも噛みついてきます。バチン!と叩くと手のひらに赤い模様が描かれます。「痒くなるなあ〜」とブツブツ言っていると、いつもやさしくニコニコしている西美君(岡山政経塾第6期生。直島のベネッセハウスでお仕事されています。)が、「あのね、直島の蚊は元気なの。それはね、直島では自然をそのままにしてアートを配置しているので、殺虫剤をまったく使っていないからなの。よく自然を売りものにしたテーマパークがあるけれど、蚊はいない。それは殺虫剤をたくさん使っているから。直島は蚊に優しい環境なの。だから人に優しい環境でもある。いくら深呼吸しても問題ない。いいことでしょ。」と教えてくれました。
 蚊の襲撃は辛いけれど、俺は体に優しい環境の中にいるのだと思えば、悪い気はしません。これも直島における発想の転換ではないかと考えています。


●いい地域に住む幸せ(犬島で考えたこと)
 お年寄りたちが現代アートになじみ、島を訪れる若い人々と接してドンドン元気になり、お年寄りの笑顔であふれるようになった犬島において、「人はいい地域に住めば幸せになれる」と感じています。
現代アートのガイドをしてくれた、犬島生まれで犬島育ちのおばあちゃんの、幸せそうな笑顔が目に焼き付いています。思い出すと心がホクホクしてきます。
 では、どのようにすれば「いい地域」をつくることができるのでしょうか。これからの岡山政経塾の学びの中で、しっかりと学んでいきます。


●農業と福祉(豊島で考えたこと@)
 美しい棚田と畑に取り囲まれた豊かな島、豊島(てしま)。しかし最近では耕作放棄地が増えています。これは農業の問題ではあるけれども、福祉の問題と一緒に考えたら、いい解決策が見つかるのではないでしょうか。 
 福祉が良くなればなるほど自殺者が増えるそうです。福祉のおかげで自殺は増えないように思うけれど、ところが逆です。福祉はお金をくれます。そのお金で細々と食べることはできます。しかし福祉は夢まではくれません。目標も目的もくれません。人間は何でもいいから自分の夢を持って歩き出すと、ドラマが生まれてきます。人の役に立ちたいという使命や生きがいに巡り合えます。自分のやっていることが誰かの役に立っていると思ったとき、人はすごく楽しくなります。
 豊島で考えたことは、福祉のお世話になる前に、豊島のような自然豊かな田畑で農業をすれば、人は幸せになれるのではないかということです。自分で食べるために、農薬をできるだけ使わないで生産した米や野菜は体にも優しく格段に美味しいはずです。農作業で体も鍛えられます。余った作物はご近所にお裾分けしてもいいし、販売してもいい。そうすれば福祉の生活扶助金や医療扶助金のお世話にならずにすみます。耕作放棄地も減ってきます。
 日本の行政は縦割りなので、なかなか難しいこともあるのでしょうが、市長さんや町長さんの決断と勇気があれば不可能ではないと考えます。


●政治の責任(豊島で考えたことA)
 「豊島産業廃棄物事件」における住民の戦いは、廃棄物を島外に撤去させて美しい島を取り返すことに成功しつつあることにとどまらず、私たちの社会が、目先の利益だけを追い続ければ、取り返しのつかない環境問題を招くことを多くの人に知らせることになりました。
そして「使い捨ての社会」から「廃棄物を出さない循環型の社会」に向かうべきことを社会の共通認識とすることに大きな役割を果たしました。
 また豊島住民は、国や県を無条件に信頼し依存してはならないこと、県などの誤りに対しては住民の力でそのことを認めさせ、是正させることが可能であることを社会に示しました。すなわち社会的弱者であっても、その要求に道理があり、広範な人たちの支援を得れば、国や県を動かすことができることを多くの人に知らせることになりました。このような豊島住民の運動が、世間の不条理に泣いている人々の心に大きな希望を与えたことは事実です。
 しかしながら豊島問題を単なる美談として終わらせてしまっては、これからの地方や日本は何もよくなりません。また不法投棄された豊島の産廃を処理するために900億円もの血税が投入されることへの香川県民や国民の理解を得ることもできません。
 豊島問題を今後の生きた教訓とするためには、この問題が発生した究極的な責任がどこにあったのかについて、しっかりと見極める必要があります。産廃業者に責任があったことは明らかです。しかし豊島問題がここまで大きくなってしまった究極の責任は「政治」にあると考えます。産廃業者への指導監督を怠った香川県知事や香川県議会の責任が問わなければなりません。
 しかし豊島問題において、政治は何の責任も問われないまま無罪放免されています。これでは豊島と同じような問題が再発する恐れがあります。産廃処理費用の900億円については、知事や県議会議員に連帯責任を認め、その一部を損害賠償させるとともに、職務を放棄した罪で刑事罰の対象にすればよかったと思われますが、そういった世論は聞こえてきませんし、マスコミも問題にしようとしません。
 今こそ「責任を問われない政治」から「責任を問われる政治」へと方向転換すべき時ではないでしょうか。そうでなければ、住民は安心して暮らすことができません。豊島問題を冷徹に分析し、政治に責任回避をさせないように仕向けていくことが、豊島問題から学ぶべき最も大きな課題であると考えます。


●やさしさの波動(最後に)
 岡山政経塾の講師は、社会で大成功を収めた、魅力ある人ばかりです。そして、自分の体得したものを惜しみなく教えてくれます。そういう講師の「やさしさの波動」にふれるだけでも、得るものがたくさんあります。
私が毎年、岡山政経塾 直島・犬島・豊島合宿に参加するのは、超一流の人の波動にふれるためでもあります。すばらしい合宿を企画してくださる岡山政経塾に深く感謝しています。ありがとうございます。