2012年 直島特別例会
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◆宇都宮 嘉宏(岡山政経塾 十一期生)
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岡山政経塾 直島特別例会レポート
『直島・犬島・豊島で感じたこと、考えたこと』
■はじめに
今回の合宿の準備及び運営に携わってくださったすべての方に感謝します。2日間とは思えないほどのたくさんの気づきと学びがありました。本当にありがとうございました。とても全ては書ききれませんが、感じたこと、考えたことをまとめます。
■現代アート
現代アートは以前から好きで、様々な場所に足を運んでいたが、なぜ好きなのか、自問自答したことはなかった。今回合宿に参加するにあたり、自分にとっての現代アートを振り返ってみると、これまで見たこともないものに触れ、驚いたり感動したりすることで、「新たな視点や価値観を与えてくれるもの」であり、自分の既成概念やせまい価値観をとっぱらってくれるところに魅力を感じていたことに気づいた。また、現代アートは単に見るだけでなく、体験できるところにも魅力があると思う。特に地中美術館のジェームズ?タレルの作品や豊島美術館は、私にとって驚きと感動のつまった素晴らしい作品である。
さらに今回の合宿を通し、私にとっての現代アートの魅力が3つ増えた。
1つ目は、「現代アートが持つメディア力」である。今回、作品の背景にある考えやメッセージについても深く伺うことができた。特に柳幸典氏は、経済至上主義への批判や自分の意見や個性を出さないで周りに流される日本人像を、人を惹きつける魅力あるアート作品の中で強烈に表現している。「○○史料館」など、学習としていく場には、学校の行事などで限られた人が半強制的にしか来ないが、アート作品には年齢?国籍問わず様々な人が楽しみにやってくる。その中にメッセージ性のある作品を組み込むことで伝えられることがあるということは、メディアとしての力がとてもあると感じた。現代アートが放つメッセージの強さとメディアとしての力を知った。
2つ目は、「一見価値のないゴミでも、アートにすれば価値が生まれる」というところである。まさに「在るものを活かし、無いものを創る」を実装したものがそこにはあった。
3つ目は、「参加することでアートの一部になれる」というところである。家プロジェクトの「角屋」は、島民が設定したデジタル時計を使ってアートを創っている。参加した島民の方やその知人にとっては、それは単に美しいものや感動するものではなく、愛着のあるものともなるはずだ。豊島の「心臓音アーカイブ」では、来館者が自分の心臓音をアートに変えることができる。参加者がアートの一部になれば、アートに愛着が生まれ、そこにはこれまでにはないつながりが生まれるのではないだろうか。いつか世界中の人が国籍や地位など関係なく、一人の人間として参加し、みんなのものと思える現代アートができれば、世界平和にもつながるのではないかとさえ思えた。
■講演
「おかげ横丁」の橋川史宏氏の講演では、なぜおかげ横丁が多くの人を惹きつけるのか、事業の根幹となるところをご講演いただいた。利益重視ではなく、顧客満足に徹した経営で、建物?商品?人に注力し、街全体として満足できる魅力あるものを目指しているという。観光としてきてもらうところではなく、地域の営みとして文化のある場所であり、そこに他地域の人が入れるものにしているということだった。また、地域に根ざした魅力あるものにさらに「今」の人が価値を感じる新しいものを足し、そこに文化性を持たせるということで、ベネッセともつながる事業理念を感じた。
人がどれだけ集まるか、利益がどれだけ出るかはあとからついてくる指標にしかすぎず、事業の成功は相手が喜ぶことにどれだけこだわれるかが根幹で、徳がある所には必ず仲間が集まるという「子曰 徳不孤 必有鄰」という言葉を知った。
福武總一郎幹事の講演では、経済成長の負の遺産の集まりであり、過疎化が進む「直島?犬島?豊島」を舞台に、地域の再生をどう進めてきたか、「在るものを活かし、無いものを創る」「年を取れば取るほど幸せになる社会」経済発展が先にあるのではなく人々が幸せになるために経済はあるという「公益資本主義」とは何か、そして、本当の意味で幸せなコミュニティを創るために今後ベネッセアートサイト直島が目指すこと、さらに、腐敗した日本の政治、それを支えてしまっている日本人の問題意識の低さについての想いを伺い、本当の幸せとは何かを考えさせられた。
また、「何になりたいのか?どういう人間になりたいのか?それはなぜか?」という問いかけもいただき、それに答えられない自分に気づかされた。漠然と幸せになりたいというだけでは、何も変わらない。今後具体的に夢を持ち、生涯かけてやりたいことを卒塾までに見つけ、行動していくことを誓った。
■豊島の産業廃棄物不法投棄問題
豊島の産業廃棄物の問題については知識としては知っていたが、豊島の住民の方がどれだけつらい目に遭わされていたか、行政がどれだけ動かなかったか、実際に運動をずっとしてきた方の話を聞き、初めてリアルに感じることができ、それと同時に怒りを覚えた。なぜ豊島の人がこれほどまでに痛めつけられなければならないのか、なぜ明らかに問題であるとわかるのに行政は動かないのか。行政はなんのために存在しているのか、わからなくなった。一般市民の生活を守る行政としての機能は全くなく、逆に弊害でしかなかったのではないかとさえ思ってしまった。行政もこの問題について処理を進めるだけでなく、この問題への対応についてきちんと総括し、自らの保身に走らない、本当の行政を行える組織にするにはどうすべきかを考えてほしいと切に思った。そして、その問題に、遠くの地にいたとはいえ、特に関心も寄せずにいた自分についても考えさせられた。こうした問題には他地域の人間は関わりにくいと思うが、他の地域の問題であっても、一般市民がおかしいことはおかしい、と、みんなでつながって発信できる社会にしていく必要があり、今はネット社会でそうしたことが行いやすくなっている分、自分も気づける人、動ける人になっていきたいと思った。
一方、とても乗り越えられそうにない壁に何度もぶちあたっても、豊島の人々はふるさとのために、子孫のために、島を見捨てるのではなく戦い続けていることがとても伝わってきた。豊島の産廃問題と住民の動きについて、今後豊島が元のきれいな島に戻っても風化させること無く世界に発信し続けてほしいと思う。産廃投棄現場のその後については未定とのことだが、ここに、島の人の想いを込めたもの、そして、人を惹きつけるものができ、今後も豊島に人が訪れるように、そして、訪れた人に訴えかけられたらよいなと思った。
■終わりに
今回の直島・犬島・豊島合宿では、本当によく遊び、よく学んだ。上記のような学びに加え、同期とともに夜の海に飛び込んだことや、犬島での組体操や船尾に集まっての船移動、みんなの心臓音を聴いたことなど、楽しい思い出がたくさんできた。「よく生きる」を身体で感じることができた。こうした体験を、より多くの人にしてほしい。まずは、自分の身近な人、大切な人を、直島?犬島?豊島に招待しようと思う
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