2012年 直島特別例会

 
◆岸川 達士(岡山政経塾 十一期生)
岡山政経塾  直島特別例会レポート
『理念や哲学が生み出すものと無責任が生み出したもの』


●はじめに
 私が初めて訪れる直島、豊島、犬島の文化的、社会的テーマというものは、勉強不足から全く知らないものであった。自分の五感で出来る限り感受し、アートとは何かをしっかり学び、ご講演から多くを吸収すべく、「地域再生の本質を体感する」という意識を持ち当日を迎えた。


●哲学による芸術表現の素晴らしさ
  私が今まで芸術作品に触れる時は、非日常を味わうのみに留まっていた。今回見た作品の中で、最も美しく感じたものはモネの5つの睡蓮が並ぶ部屋であった。白壁と一体化した印象派の作品、光の注ぎ具合、入り口から見た部屋の広がり、そして敷き詰められた小さな大理石が織り成す空間は、いつまでも佇んでいたい場所だった。次に最も力強さを感じた作品は、犬島アートプロジェクトの「精錬所」であった。時代感が凝縮されている100年前に建てられた精錬所を、柳幸典氏が三島由紀夫の住居の一部をモチーフに創りだしたものである。近代日本が迷走していた時期の象徴人物のモノを配し、高度経済成長の象徴的建物を活かし、自然エネルギーを利用した建築という、このようなものが融合できるアートに非常に感動した。今後の循環型社会へのメッセージを強く伝えている作品であった。
 今回の一連のアートを体感する場所において、サングラスは相応しくないとの事務局長のお叱りを頂いた。昨年受けた眼科レーシック手術後、私は医師の推奨で紫外線防止のサングラスをかけるようにしていた。しかし今後は、適時適切な身なりを心掛けねばならないと痛感した。この場をお借りしまして、関係者の皆様に謹んでお詫び申し上げます。
 現代アートとは、現在も生きている芸術家が現存するモノを通じて現代社会にある問題を浮き彫りにするもので、メッセージ性の強い文化の象徴であるのだと気付かされた。「在るものを活かし、無いものを創っていく」という持続社会に最も大切な哲学を表しているベネッセアートサイトは、文化、文明のあり方を示している大変学び多き場所であった。


●理念によるコミュニティーが作り出す未来
 金融資本主義社会と対極の公益資本主義を目指されている福武幹事のお話は、とても新鮮で学び多いものであった。現代の問題点にも言及されて、以下の新しい気づきを教えて下さった。1)日本は、税金の使い方が下手である。2)日本らしさは、信念の無い東京にはなく地方にしかない。3)夢を持てば、岐路で夢に近い方向へ進める。4)非凡人になるには、やりたいことを決めて続ける事。5)個人の自立、というものは哲学やメッセージに欠けている。このような気づきから、如何に日々の生活の過ごし方が大事であり、大切な積み重ねであり、また岐路であるのだと痛感した。
 そしておかげ横丁の伊勢福社長の橋川氏は、全てを有難く思う「神恩感謝」と「利益=お客様の満足+無駄の削減」という、商売の真髄をお話された。数字に囚われがちだった商売に対する考えが変わり、固有の土壌から生まれ発展する文化が魅力を生み出すのだと教わった。日本文化とは、地域の固有性と精神性をわかり易く表現したものである、とのお話を聞いたときには目から鱗が落ちた。繊細な心を持ち、表現力豊かな日本人が生み出す文化は、やはり世界に誇れるものであると確信した。感謝の気持ちと利他の精神というおかげ横丁の商売の理念は、商売を超えた日々の生活に通じるものと感じ、大変心に響くお話であった。
福武幹事と橋川社長共に持たれていた理念。それぞれに深く揺るぎなく崇高であり、そこから生み出されたものは、多くの人が心から幸せに過ごしているコミュニティーであった。私は、少しでも自分の理念を見つけたい、と強く思うようになった。


●無責任が遺した経済成長の爪跡
 豊かになった日本が、この世の中に遺した許し難い出来事に「豊島産業廃棄物不法投棄事件」というものがある。シュレッダーダストという最終処分対象の廃プラスチック(廃自動車からは車重量の20%相当が発生)を始め、多くの有害廃棄物が島の外から不法に持ち込まれ、長年捨てられ続けた出来事に起因した事件である。今回の合宿では、この事件の廃棄物対策豊島住民会議議長であった砂川氏ご本人に、事件に対する思いをお話頂く貴重な機会に恵まれた。
 ご高齢になられても立ったまま1時間を越すお話をされた砂川氏が、お話の中で目に涙を浮かべられたシーンがあった。それは、血の滲むような運動によってようやく豊島問題が世間に知られるようになった時、豊島の中学生が九州の修学旅行先で「ごみの島から来たのか」と言われた、とお話された時。続いて、豊島産の野菜が豊島出身の女性の嫁ぎ先に送られ、近所にその野菜をお裾分けすると、翌日その野菜がそのままごみ捨て場に投げられていた、とお話された時だった。砂川氏はこの時、豊島問題を「次の世代に残さず、今解決せねば」との思いを強くされたと、仰られた。その涙には、豊かだった豊島をもっと豊かにして、住む人が心豊かに過ごせる平穏な場所に出来なかった(酷い身勝手な産廃業者が不法投棄した当時からは、大変な苦労によって考えられないほどの前進と現在の改善された状況であるのだが)ことに対する、責任感の強い砂川氏の無念さが滲みでていたように思う。
 この問題の根本的な原因は、民主主義を盾にして、少ない正義の声に耳を傾けない日本政府の風潮に因ることに違いない。加えて、産廃業者によって行われた「近視眼的資本主義」による狡猾な手段。これは、自分の会社さえ儲ければ、自分さえよければいいという、「お金」に踊らされたものであり、「資本主義社会の犠牲者」に因るのかも知れない。無責任が生み出した今回の豊島問題から、日本の将来の縮図が見てとれる。特に、原子力発電施設を作り、不要になった放射性廃棄物の最終処分場問題を先送りにしている問題。砂川氏が伝えて下さったメッセージはとても重いものだった。


●おわりに
 都会に住む事が多かった私は、岐路に立つと、自然に囲まれて住む場所を選ぶことが多かった。しかし、自然の恵みを本当に理解して、その恩恵に授かり感謝して過ごしていなかった自分に気が付いた。今回の合宿では、自然という環境がいかに大切かという事を教わった。そして人が自然を重んじるのは、理念や哲学に深い繋がりがあるのではないかと、おぼろげながら考え始める事ができた。理念と哲学から創造される「力強さ、人間としてあるべき姿、そして心豊かな幸せ」の観点から、まずは他己実現に目を向けて日々を送りたい。
 このような貴重な合宿の機会を与えて下さり支えて下さった皆様、ご講演された橋川社長、福武幹事へ、この場を借りまして改めて感謝の意を表したいと思います。本当に有難う御座いました。