2013年 直島特別例会

 
◆嶋村 太郎(岡山政経塾 十二期生)
岡山政経塾  直島特別例会レポート
『現代アートと豊島問題』



●始めに
 「この国は、空は、地球は、なんと美しいのだろう」
 地中美術館にある、ジェームズ・タレルのオープン・スカイという作品から受けたインスピレーションである。そこにあったのは特別な造形ではなく、ただ白壁の天井を切り取った、いまこの瞬間にある青空と流れる雲であった。
 移り行く景色を眺めながら、くつろぎとともに静かに時は流れていく。


●現代アートとは何か
 私は芸術に関して造詣が深いわけではない。それどころか作者や大多数の既成的価値観を強要されるようで、美術館などでの完璧で素晴らしい解説を受けるのがとてつもなく苦痛である。このことが芸術から足が遠ざかる要因であった。
 その認識に変化が訪れたのが先の作品である。ただあるものを活かし、少し手を加えるだけでこれだけの素晴らしい作品が出来上がるとは。そこに一切の無駄な解説はなく、ただ感じるだけだ。

 もちろん、作品によっては難解なものもある。そのとき必要なのは何か。ただ解説を受け身で聞くことではなく、考えることである。ではどのようにして作品を考えるのか。

 森 弥生先生のVTS(ヴィジュアル・シンキング・ストラテジー)は、作品を考える上で非常に有効で、今までの作品鑑賞の概念を覆すほどの衝撃を私にもたらした。それぞれ作品から感じたものを考え、話し合い、今まで見えなかった視点に気づく。多角的な視点から作品を観ることで、新しく生み出された多くの価値観を共有でき、一体感と高揚が生まれる。そしてどんな作品でも素晴らしい色彩を放つようになる。それは作品が変化したわけではない。私たちが変化したのだ。この気づきは非常に大きなものであった。

 以上を踏まえた上で私が考える現代アートとは、
・ 作品を観ることで、それを通して自分自身を観る
・ 多角的にものごとを考え、感じ、共感する力を養うもの
であると定義する。
 「分からない」ということは考えているということであり、そして自分が生きなかった人生がそこにある、という言葉は深く印象に残っている。


●豊島産廃問題について
 豊島は緑の広がる美しい島であり、国内最大級の産廃不法投棄事件があったとは思えない静寂を保っている。廃棄物対策豊島住民会議の事務局長による説明の後、バスで現場に向かう。国立公園の中を狭い道路が続き、その先に現れた現場を見て愕然とした。異臭が鼻をつき、警察の摘発から20年以上経過しているにも関わらず未だに処理は完了していない。どういうことなのか。


●経緯及び現状
 1975年、豊島総合観光開発が産廃処理業について県に許可を申請、豊島住民による反対運動がおこる。処分場建設差し止め訴訟の判決を待つことなく、県は汚泥等4品目をミミズに食べさせ土壌改良剤を作るという名目で許可を下す。その結果、業者はシュレッダーダスト等の産廃を違法に持ち込み、野焼きや不法投棄を繰り返し、1990年に兵庫県警が強制捜査に乗り出すまでそれが続くこととなる。1993年、豊島住民は公害調停を申請し7年後にようやく調停が成立。香川県知事は廃棄物の認定を誤り適切な指導を怠ったことを住民に謝罪、産廃処理を行うこととなった。

 以上の経緯により、豊島の産廃は産業廃棄物特別措置法に基づいて国が約6割、県が残りの処理費用を負担しているが、処理すべき産廃の量が当初見込みの66万8000トンから90万5000トンに膨らむ見込みとなった結果、本来であれば処理が完了するはずの2012年度末に間に合わず、特措法の延長が必要となった。総事業費は当初予定の約330億円から約467億円に膨らみ、増加額137億円のうち国が約98億円、県が約39億円を負担する。2013年4月末現在、処理できているのは全体量の63.7%であり、作業期間のさらなる延長は避けられない現状である。


●責任の所在
 言うまでもなく、充てられる費用は国民の税金である。当該事件を起こした産廃業者に下された判決は、懲役10ヶ月執行猶予5年、罰金50万円。莫大な処理費用を負担できるはずもなく、被告は法人個人共に自己破産。指導、助言した行政側も個人的な責任を問われることはなく、政治の側も行政を監視する役割を果たすことはなかった。結果責任の所在が曖昧、不明確なままその負担は国民が背負う。このことはわが国全体の政治と行政の現状を表していると言っても過言ではない。


●まとめ(豊島問題から見えてきたもの)
 仮に行政を監視する責任を政治に求めるならば、その不作為による損害は、選ぶ側が究極的な責任を負うのである。そして、私たち国民の無知や無関心が結果として政治と行政の不作為を招いているとすれば、大いに反省しなければならない。
 また、大量生産、大量消費、大量廃棄を伴う経済活動の結果、この事件が引き起こされたことは事実としてあり、これは国内に止まらず今まさに進行している世界的な問題である。当該事件を契機に国内法は改正されたが、環境汚染に国境はない。処理技術のさらなる開発を進め世界に売り込むことが、結果的に国益にかなうのは当然だが、個人レベルでの意識改革こそが持続可能な循環型社会を作り出す切り札であると私は考える。


●最後に
 完全な光の中に居るとそれを光だと認識できないように、影があってはじめて光の美しさに触れる。豊島は産廃と美術館という、いわば影と光が静かに調和しているため非常に印象深く記憶に残ることとなった。帰る直前、直島のフェリー乗り場で突如現れた美しい彩雲は、今回の合宿を締めくくるにふさわしい最後のアートだった。もう一度訪れたい素晴らしい島々である。

 今回多くの学びや気付きの機会を与えて下さいました関係者の皆様、特に暑い中案内や解説等で1日中お世話になった西美さん、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。