2013年 直島特別例会

 
◆溝手 宣良(岡山政経塾 十二期生)
岡山政経塾  直島特別例会レポート
『光と影 表裏一体』



 直島特別例会に参加させて頂くにあたり、私としては日程に組み込まれている豊島が最大の関心事であり、最も意義のある訪問先であろうと思っていた。(豊島事件の現在を自らの目で見ておく必要があると思っていた。別の機会にでも行こうと思う)しかし諸般の事情により初日で帰らざるを得なくなり、非常に残念な思いからスタートを迎える事になった。
 
 「アートに触れる」実はこの機会は意外なほど身近に溢れている。ただ日々を漫然と、あるいはその他の事に意識が行き過ぎ、気付いていないだけである事は感じていた。わざわざ美術館やミュージアムに行く目的とは、アートに触れる事が目的ではなく、非日常に自分を置く事だと私は思う。
 皆はアートについてどう思うのだろう。私は一つ一つの作品に作者の何かしらのメッセージが込められていると思う。講演を受講させて頂き講師の先生のお話を伺い、
 「アートとは受け取る側しだいで様々な見え方をする。これはこう、といった固定観念を先ずは払拭して。」
といったニュアンスのお話を強調されていた様に思うが、はたして本当にそうなのだろうか。作品でも製品でもただの石ころでも、人それぞれ感じる、或いは気付く事があって当たり前で、その領域をアートにまで押し付けていないだろうか。
 アートとはアーティストが魂を込めて作成した物であり、決していい加減な気持ちで作成した物(魂を込めて無い物)をアートとは呼ばないと思う。アーティストに限定する必要は無いが、とにかく本気で魂を込めた作品をこちらの都合のみで解釈し評価するのは、作者に対して失礼だと思う。
 世の中には高名な数々の専門家の目を欺き続けた贋作が存在するらしい。それらの贋作は何故専門家の目をもってして見破れなかったのだろうか。私はそれらの贋作には贋作の作者の魂が込められていたからだと思う。贋作ではあるが込められた魂が本物を上回った時、専門家すら感動を覚えるのではないだろうか。
 「わからない物はわからない」は本気で見て、聞いて、感じたうえでなら正解だと思うし、「何でも感じた事が正解」は不正解ではないのだろうか。
 今は瀬戸内国際芸術祭も成功しているようですが、もしアートを真に理解されず、飽きられ、受け入れられない日が来たらどうでしょう。今もてはやされている作品も廃棄物になってしまうかもしれません。
 アートに親しんでもらいたいが為に入口を誤って伝えると、今後世界中の人々を感動させるようなアートは生み出されないのではないか、直島もいつか忘れ去られてしまうのではないか・・・といった危惧を感じた一日でした。
 
 直島には「家プロジェクト」なる街並みがあり、それぞれが「プチ美術館」といった印象を受ける家が数々あった。ここを団体で、或いは個々で散策させて頂いた。もちろん我々の他にも多くの観光客が訪れていた。町(島)の活性化に大いに貢献しているのであろう事は誰の目にも明らかだ。過疎化や観光収入の減少に悩む町などは参考にするべき点も多いのかもしれない。
 しかし本当に良い事だけなのだろうか。私はちょっとした質問を町の住民の方に聞いてみた。
 「家プロジェクトで多くの観光客で賑わっていますね。良かったですか。」
 非常にシンプルな質問である。答えは、
 「まあ良かったんじゃないですか。確かに人はたくさん来てくれてるし・・・。」
 あまり手放しで喜んでいるとは思えない返事なので、続けて聞いてみた。
 「何かメリット、デメリットがありますか。」
 「正直私達は全然関係無いですから。収入が増えたり住人が増えたわけじゃないし。ただ道が狭いのにバスが入ってくるし、車も路上駐車がちょくちょくあって危ないし、お客さん方も道一杯に歩かれるし・・・。でもトラブルになった事は無いですよ。皆で苦情を言いあう様な事も無いし、まあ良いんじゃないですかね。」
 このお話を聞いたのは家プロジェクトのある一画からは道を一本隔てた所にお住まいの方だったので、直接的なメリットが無いのは予想の範疇であったし、車や歩行者の問題があるであろう事も感じていた。しかし、それらを受け入れている事は正直驚きであった。自分たちの生活が少しでも脅かされると反発するのが普通ではないだろうか。見ず知らずの私の突然の訪問(ピンポン鳴らした)にも快く応じて下さり、そしてこのお答え。頭が下がります。
 しかし、我慢されている事は事実です。素晴らしい美術館やアートの数々、そして多くの観光客で賑わう華やかさに目を奪われがちですが、ここを忘れてはいけないのではないでしょうか。
 華やかな一面の裏には必ず影の部分が存在します。今回私は行けませんでしたが、豊島はその象徴的存在ではないでしょうか。
 当たり前の生活からも大量の廃棄物が発生します。これらを受け入れるだけの技術と設備と精神を育む事が我々の使命かもしれません。
 今回のアート見学を通じ、アートについて見識が深まったかどうかは甚だ疑問ですが、側面(或いは裏側)を見る事の必要性・重要性は再認識させて頂いた気がします。
 最後になりましたが、お世話になりましたご関係の皆様、誠にありがとうございました。