2003年 直島特別例会

 
◆堀 慎一郎(岡山政経塾 二期生)

直島での合宿を終えて



 直島での合宿は、自分にとって何かの分岐点になったのだろうか?今は分からないけれども、十年振り返れば、分かるかもしれない。素晴らしい講師の話を拝聴させて頂き、感謝しています。

 私のテーマは、「自立」であり、その中で、経済は、大切な武器の一つだと考えている。人生論には、色々あるけれども<自立して生きていくべきだ>という考え方に異論を唱える人はいないと思う。
 さて、価値観の「カタチ」は、一体なんによって表されるのでしょうか?皆様の好き嫌い、或いは意識無意識は別として、世間一般では、「お金」というもので表されている。生き甲斐はお金じゃない、創造的に生きることなんだ!という意見に賛成なのだが、ちょっと待ってほしい。我々人間の社会は、好む好まざると厳然として経済原則の上に立って動いている。簡単にいえば、お金がないと生きてはいけない」ということである。経済の原則の最低限の一つは、収入≧支出、収入よりも多くのお金を使うことはできない。生活の基盤が経済にあり、経済的にも豊かな生活を望むのなら・・・。自分の価値を表現することも必要であろう。

 私は、企業家を目指すのであり、変な宗教家などには興味はないし、どうせやらなければならないのなら、必要なお金は当たり前のように稼ぐ。これぐらいの能力は、必要だと思える。
 その中で、企業とは?
 ★商品を提供する存在である。
 ★世の人々に役立つために存在する。
 この2つの柱を外しては、考えられない。企業が提供する商品が人々に必要とされ、役に立つからこそ、付加価値が発生し、経営が成立する。しかし、こんなあたり前のことが本当には理解されていないのではないのか?
 例えば、こんなことを言う人がいる。「私も一度は、経営をやってみたい。だがどんな商品を扱ったらいいのだろうか」・・・この人は、少なくともこの時点で間違っている。また、「う〜んと儲かる良いビジネスはないか」などという人がいる。この発想は、全く間違っている。
 そうではなく、「こんなものを、提供したら便利だろう」「こんなサービスを商品化したら関係者に喜ばれるに違いない」或いは、「どうしたら人々の役に立てるだろうか」という発想こそが正しい考えであるべきだ。

 いうまでもなく企業の任務とは、“経済的価値の創造”である。
 「経済的価値」とは、“富”のこと。富を創造することによって、企業は社会に貢献しなければならないと考えられる。更に、その過程において“雇用”をつくり出す。これこそ、社会の最も基本的な要請である。国勢の基本は国民生活の安定と向上にあることは言うまでもない。

 ケインズ理論は、不況政策としての雇用の創出を主題としている。「不況対策として政府は公共事業を興し、これによって雇用を創出することが出来る。そのためには、政府は、財政力を持たなければならない。財政力を持つためには、“金本位制”を否定し、金の重圧から開放されなければならない」ということである。
 これによって、不況は克服されたが、“インフレ”という病を持ち込んでしまった。そのインフレは、貨幣価値の下落となり、それが国々のベースアップを生み出し、国のインフレの第二の主要原因となっている。このような状態の中で、企業は経済的価値を創り出し、ベースアップに耐えながらの事業経営を強いられている。
 一般の企業ではどうかというと、戦後日本企業の経営は、資本家ではなく、社員上がりのサラリーマン経営者が経営してきたわけですから、まさに社員による社員のための会社というところが大きな特徴である。欧米のような株主の為の会社ではない。だから、その他大勢の社員たちは、会社に寄り掛かってさえいれば良かった。だいたい5%位の有能な社員が、残り95%を支えてきた。これはどこの会社でも同じようなもので、パレートの法則という。好む、好まざるに関わらず世の中はこの数字に左右されている。しかし、不況と同時にますますの国際化、ボーダレスな社会産業の空洞化へと突入していくのだから、これまでの日本経済を支えてきた、たった5%の競争力のあった人々も、自分たちを支えるだけで精一杯という状況になってきている。いよいよ本格的なリストラクチャリングの時代を迎えた。しかもこれまでのように、こちらの工場をつぶして、あちらに工場をつくるといった、ハードのリストラではなく、まさに、ソフトのリストラ、つまり人材のリストラに突入したといえるでしょう。闘う力のある者、つまり企業によって必要な人材は益々重んじられ、闘う力の少ない者は、容赦なく切り捨てられる時代になってきたということである。しかもこのところの企業合理化は、一時のその場しのぎの対策とは明らかに違う。いわば、本当の合理化時代へ突入したといえる。

 これからは、誰もが、自分の足で立つことを考えなければならなくなった。けれども、単なる怠け者が沢山いることも事実である。特に私は、為すべき義務の前では、常に怠け者である。だから、取り組むべき事は、趣味や遊びを楽しむように、積極的に働きかけなければならない。