2003年 直島特別例会
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◆大西 平一(岡山政経塾 二期生)
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直島例会に参加して
瀬戸内海の島々のうつくしさにあらためて魅了された2日間だった。直島の自然と人々と現代アートが自分をシンプルにしてくれた。
この例会中、3人の講師による講演が行われた。それぞれの講師がそれぞれの生き様を語るのを聞き、社会の問題だけでなく、個としての「わたし」を見つめなおす良い機会となった。 正直、衣を脱ぎさる開放感には、童心に帰る楽しさがある。が、裸になった自分の至らなさを恥ずかしく思ったのも事実だ。
闇に浮かぶ白いタペストリー
現代アートめぐりの中でも、特に心に残ったのは、南寺のジェームズ・タレルの作品だった。
安藤作品の黒ずくめの大きな倉(寺)に入ると、そこには今まで体験したことのない暗闇が広がっていた。目を閉じる暗闇よりもさらに暗く、目を開けていても自分の手のひらさえ見ることが出来ない。子供のころ、目を閉じると次に目を開けたときには世界がなくなっているのではないかと怖くなることがよくあった。まさしくこれこそ闇そのものだった。その闇は、心の動揺にあわせて、時には近くせまり、時には遠く深く変化していった。
どれくらいの時間がたっただろうか。実際には10分程度であろうが、それよりも遥かに長く感じられた。ぼーっとした白い影が現れては消えていく。最初は眼前に小さく見えていたものが、次第に大きく遠くにあるように感じられた。手を前に差し出し、一歩一歩足を踏み出していく。徐々に周りの人の姿も確認できるようになり、暗闇だけの世界は回復していった。そして、ついに白いタペストリーの空間を手を入れた。
自分の世界を一旦ゼロに戻し、目を凝らすことによって新たな世界が見えてくる不思議さ。自分が生まれかわる、あるいは変化する時に味わう不安と、その不安を超越し、新たな自分を発見する、まさに目覚めの瞬間に出会ったような体験だった。
「自分の言葉」で語る安藤忠雄氏
安藤先生の言葉1つ1つが「自分の言葉」で出来上がっていた。相手が総理大臣であろうが、私たちであろうが関係ない。同じ言葉で自分の考えを伝えることが出来る人だと感じた。それはきっと、先生がゆるぎない自分の考え方を持っているからに違いない。先生は「感性」という言葉を使っていたが、人間には自分自身の目でものの本質をみる力が必要なのだ。
人は、権威者・評論家・他人の目を気にして発言をする事が多い。私の中にも、それらを気にせずにはいられない自分がいる。しかし、安藤氏の建築した美術館を見学している時、他人の目を気にするより前に、ただ感動している自分がいた。頭で考えるのではなく、実際に体験してみることで、素直な自分がみえてくるのかもしれない。(現代教育を受けた私にはここら辺りが限界かもしれないが。)
直島文化を創る福武幹事
福武幹事のお話は、資本主義システム維持・発展を目的とする業界で、しかもアメリカに本社を有する会社で働いている自分にとって、日ごろ痛感している問題に触れられていたので、非常に共感する部分が多かった。自分も証券業界で働き10年を越え歳も35になるが、経済的に豊かになることだけでは幸せを実感することはできないことを痛感する。お金を追いかければ追いかけるほど、その無限地獄に陥り、自分の求めている物とは違って来る。いつのまにか手段が目的化する逆転現象が起こってくる。正直、今の自分は、この逆転現象が慣習化してしまった状態にある。今の自分を見つめ直し、自分の人生をかけられるものを見つけたいものだ。「直島」「現代美術」「ANDO建築」をみて廻った後だっただけに、幹事が話された「文化が上位であり経済が下部構造である、経済は文化の僕である」というお話は、理想ではなく現実的な話として納得できた。東京・地方という対立軸の中、時代がかわろうとするとき、過去の主役(東京的なもの)は否定され、新しい主役は地方から生まれてくるという信念のもと、その1つの取り組みとして直島をここまでにしている、福武幹事の志の実践に感銘を受けた。
豊島問題を語る石井氏
石井氏の話には本当に感動し、涙が出た。人の話を聞いて考えさせられることはあっても、涙することは少ない。私に感動を与えたものは何か?それは、豊島の人々・石井氏の人生をかけた闘いの美しさだったと思う。
夕食時に聞いたが、石井氏はおじいちゃんに「これからの人生を俺に下さい。」と運動に協力を求めたという。都会でのコンビニエンスな生活は豊島にはないかもしれない。けれども、都会では得ることが難しい地域社会に生きている実感、自分の存在意義がここには存在していると感じた。豊島の住民は、自分を大切に思う人がいることを実感できているのではないだろうか。石井氏がいった「コミュニテイ」の必要性は、この意味においても大きいと思う。
また、ゴミ問題が社会システムの歪みを象徴している。何故私は今までこの問題を大して深くも感じずにいたのか。 一つには、ベルトコンベアの流れ作業のようになってしまった日本社会に問題があるように思う。分断された社会生活と言っても良いかもしれない。製品を作り、使用し、捨て、廃棄物処理となるサイクルの中で、私は使用し捨てる所までしか、実感できていなかった。ゴミを袋に詰めてゴミ置き場に行くとき、少々不快な臭いを嗅いでおしまいである。石井氏が話したように、都会では文字通り、「臭いものには蓋をする」ことで、問題を実感する機会をなくしている。これがもし、都会から過疎地へのゴミの移転によってと処理するのではなく、都会の中で処理することになれば、廃棄物処理の当事者になり、問題意識をもつようになっていたはずだ。
ゴミ問題と同様、分断されたことによって、当事者意識が欠如して起こっている事件は多くなってきているように思う。たとえば、雪印食中毒、偽装食肉の問題もそうであろう。当事者意識をつくる地域完結型の社会をつくっていくことが大切に思う。
ゴミ問題の解決が、なぜここまで長い間かかってしまったのか。また、なぜ県民の奉仕者である県が、住民のために動けなかったのか。そして、20年もかかった運動が、わずかこの数年の間に大きな成果を得ることができたのか、今後政治分科会で話し合って行きたい。
後記
研修担当塾生、栗尾さん、妹尾さん、垰さんお疲れ様でした。講師、幹事、スタッフ、松下政経塾の皆さんありがとうございました。楽しくもあり、非常に考えさせられた研修でした。
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