2008年 100km Walk
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◆荻野 朗 (岡山政経塾 7期生)
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「2008年5月3・4日 岡山政経塾100キロ歩行レポート」
2008年5月2日事前部分作成、2008年5月10日本番以降部分作成
0.はじめに
「貴方が、こんなことをする人だと、思わなかった。」
上記は、100キロ歩くことが決まった時の家内の第一声だった。
私は、歩くことが大嫌いな人間である。300m先のコンビニに行く時もスクーターに乗るタイプの人間である。
入塾の面接に行った2月5日、「これはえらいことになった。」と思った。
その日、たまたま事務局にいらっしゃった、6期の大原さんや丹生さんの「今日、家まで歩いて帰った方がいいですよ。」という言葉の意味を、その時まだ理解できていなかった。
1.100キロ歩く意味を考える
私は、物事の意味を考え、納得しないと動けない人間である。
100キロ歩行の意味は、何度も考えた。都度、いろいろと考えが変わった。
・ある程度練習をした時点で、タイムトライアルレースと勘違いした時期もあった。
・「7期生全員の完歩」を真剣に考え、如何にリーダーシップをとるか?と分不相応なことを考えていた時期もあった。
最終的な結論は、
「自分で決めたことは、やらないといけない。」という単純なことだった。
「約束を守る。」 …言葉にすれば簡単だが、実行は極めて難しいことへの実践だった。
「誰との約束か?」…当然、「自分との約束」である。
加えて、「最愛の娘達との約束」でもある。
と勝手に定義付けた。
2.準備期間
(1)2月10日、自転車を購入
2月5日に、大原さんと丹生さんから「通勤時に歩け。」と真顔で言われた。
「では、自転車にします。」と答えると、
「自転車と歩きは使う筋肉が違うよ。」とあっさり却下された。
「やらないより、マシだろ。」と心の中で回答して、9日の例会参加の翌日、清水の舞台からの心境で大枚2万円を払い自転車を購入した。翌週から自転車通勤が始まった。
約3週間、自転車通勤を経験した後、本番コースを歩いてみたいと思い、万富から東岡山の約12キロ(実は、この時点で平島を回るというコースを知らなかった。)を歩いてみた。ここで痛感したのは、前述した「自転車と歩きは使う筋肉が違うよ。」という言葉だった。「自転車通勤では100キロは歩けない。」3月8日の入塾説明会の日の午前中にこのことを初めて理解した。
(2)通勤時(片道7.5キロ)歩くことを決意
「私は家庭人である。」、「そこそこ忙しいビジネスマンだ。」
「100キロ歩行の為に、わざわざ練習時間など取れるか!」
3月8日の時点で、私は上記の通り、まだまだ甘い考えだった。
練習は通勤時に行うことにした。
入塾決意以前の私は、「8:20に家をでて、スクーターに乗って、8:40に職場に出社していた。」 その私が、「7:20に家をでて、自転車に乗って、8:00に職場に出社した。」という3週間の期間を経て、「6:40に家をでて、歩いて、8:00に職場に出社する。」という生活に変わった。
(出社時間が早くなった理由は、自分でもよくわからない。)
行きを歩くのだから、どんなに遅くなっても帰りも歩くしかない。一番遅かった日は、帰宅時間がAM2:40という日もあった。
これには、自分自身よりも、家族や職場の同僚達の方が、驚いていたようだ。
このころには、私の頭の中は100キロ歩行しかない状態だったようで、周りの自分を見る目の変化にも気がつかない状態になっていた。
(3)事務局主催の練習会に参加
「3月10日から事務局主催の練習会が始まる」と聞かされた。最初、私は練習会に行く気はなかった。前述した「通勤での練習で充分」だと考えていたからだ。
練習会が始まり1週間は行かなかった。「物は試しに一度行くか!?」くらいのつもりで3月17日の練習会に初めて参加した。ここで西村さんと難波さんとの出会いがあった。2人の異次元な歩き方を見て、「通勤での練習で充分」という私の甘い考えは一変した。以降は、練習会で、西村さんや難波さん、西江さん、佐藤さん、高梨さん、櫛引さん、端山さんなどとの競い合いが最良の練習方法だと考えを改めた。
(4)本番コースの研究
本番コースへの興味は、2月の時期からあった。先輩方のレポートを拝見して、記載されている地名を元に推測していた。
また、もう一つコースを知る手がかりと考えていたのが、「100キロの師」と勝手に決めていた大原さんのレポートにあった「2.5キロごとの目標物」だった。
3月8日の懇親会の場に岡山県地図を持ち込み、男前な方にコースを書き込んでいただいた。翌9日にはスクーターで本番コースを走っている自分がいた。
結局、本番コースは6回確認した。最初はコースを覚えること、最後の方はコースの各箇所の左右どちら側を歩く方が有利か?の分析&裏技ルートがないか?の分析を行った。これは西村さんとの共同作業で行った。本番直前には西村さんと不思議な信頼関係が築けていた。
(5)本番コースでの練習
人に声掛けした本番コースでの練習は3回行った。
・4月5日(土)「伊里中ローソン⇒リバーサイド」
参加者:西村さん、難波さん、荻野
・4月19日(土)「リバーサイド⇒平島」
参加者:善木さん、安木さん、小河原さん、西村さん、難波さん、荻野
サポートいただいた方々:滝口さん、源さん、永野さん、仲達さん
・4月26日(土)「平島⇒後楽園⇒沖田神社」
参加者:西村さん、櫛引さん、荻野
中でも、19日の練習会は、先輩方が「サポートの練習だから」と言って参加してくださった。サポートって何なのか?が、わかっていなかった自分にとって、この日は言葉にできない感動を味わった。100キロ歩行は、こういう方々のご厚意で、チャレンジさせていただけているということを強く認識した。
歩行中、源さんからいただいた肉まんの味は、一生忘れないと思う。
本番コースでの練習は、チャレンジャーにとって以下の点で大変有効である。
・本番コースを歩いた自信になる。
・車での視察では気がつかないコースの細かい状態がわかる。
(歩道の有無や良悪の状況など)
・その場所を本番歩くと想定される時間に行うことが最も有効である。
(「閑谷付近の暗さの体感」や「実は目標物が夜だと見えないなどの気づき」や「日中、日陰がどこにできるかなどの体感」など。)
3.本番当日100キロの道のり
(0)スタート直前
4月28日(月)本番まで1週間を切ったこの時、不覚にも風邪をひいてしまった。
私は結構練習好きなのだが、29日以降一切練習ができず、風邪を完治することだけが目標となった。
なんとか、当日、スタートラインに立つことができた。
スタートは、父と家内・娘達が見守ってくれた。73歳の父が突然現れたことは、サプライズだった。
「水分補給が大切だ。イオンバランスのよいスポーツドリンクをしっかりとりなさい。」
「極力、同じスピードで歩くこと。」
どこで調べたのか、父は同じことを何度も何度も繰り返した。
父の気持ちがとてもうれしかった。
(1)スタート〜18.5キロひかり薬局
5月3日(土)当日の天気は晴れというより、猛暑という感じで太陽の日差しが強かった。
10時スタートした。実は、私は西村さんと最後まで一緒に歩く約束をしていた。スタートで飛び出すつもりはなかったのだが、結局、私達は飛び出した。予定通り、時速6キロ強で歩き続けた。このスピードは、練習にて30キロ地点までは持続できると確認していたスピードだった。でも、練習と本番は違った。練習では経験していない強い日差しがかなりの障害となったと思われる。結局、わずか7キロ地点で西村さんと別れた。私がスピードについていけなかったのだ。私は時速6キロのスピードを持続した。現実は持続というより、私を政経塾に導いてくれた職場の同僚であり5期生の横田さんがいる18.5キロ地点のひかり薬局まで意地でこの速度をキープしていた。横田さんの腕をぐぐっと握り、ひかり薬局を通過して以降、苦しくなった。
(2)18.5キロひかり薬局〜40キロ備前体育館
当初の予定では、40キロ地点の備前体育館まで休憩は取らないつもりだったが、26キロ地点の入江百科店で休憩をとってしまった。24キロ地点の石碑のところで栗山さんの奥様(たぶん?)からいただいたスポーツドリンクに感動した矢先の休憩であり自分の弱さが悔しかった。ここからの道のりは未経験の苦しさだった。足が本当に痛かった。ペースは時速5キロ前後まで落ちていた。その時、携帯がなった。前を行っているはずの難波さんからだ。なんと箕輪の交差点で道を間違ってしまったという。あまりの悲惨さに他人事ながら悲痛な思いを感じた。30キロ地点の飯井の交差点で江草さんから冷えたキュウリをいただいた。おいしかった。うれしかった。その時、背後に人影を感じた。道を間違えた難波さんが背後に迫ってきていた。追いついた難波さんに西村さんは我々の8キロ前にいることを告げた。私は難波さんと一緒に歩くつもりだったが、難波さんは「西村さんを追いかけます。」と言って、あっという間に姿が見えなくなった。難波さんの心の強さを感じながら、追いかけられない自分が辛かった。30キロ地点からは地獄をみた。足が痛かった。気持ちは折れなかったが、足が前に出なくなるのではという恐怖が続いた。なんとか40キロ地点の備前体育館についた。
(3)備前体育館
備前体育館では少しだけ休むつもりだった。そこで大原さんから冷静なアドバイスをいただいた。「まだ60キロある。ここで時間をかけても構わない。しっかりテーピングを直した方がよい。」どんどん通過する他のチャレンジャーの動きに焦りはあった。でも師である大原さんの言葉に従った。ここでの判断が結果的に「外傷無しでのゴール」につながった。
(4)40キロ備前体育館〜58キロ閑谷学校
備前の湾岸は本当に長かった。ここはずっと富田さんと一緒に歩いた。気心しれた富田さんとほとんど会話をしなかった。互いに口を開く元気もなかったからだ。穂浪橋についた時、日は暮れていた。6つ目のおにぎりを食べた時、体はもう受けつけなかった。「汁物を食べたい。伊里中のローソンまでがんばろう。あそこにはうどんがある。」本当に弱い自分がいた。伊里中で3度目の休憩をとってしまった。声がけしてくれた新田さんは憲法の会では見せない優しさで接してくれた。スタートした私を(多分)多賀さんが、「夜行タスキをしていない。」と追いかけてきてくれた。「日中に迂闊にもゴミと一緒に捨ててしまった。」ことを告げると、タスキを貸してくださった。伊里中以降は、すべて練習で歩いた経験のある道だ。これが唯一の支えだった。なんとか、閑谷まで登った時、横田さんがいた。
(5)58キロ閑谷学校〜69キロリバーサイド
横田さんは1キロ弱を並歩してくれた。別れ際にアイポッド?を貸してくれた。「こんなの使ったことがない。」辞退したが、「操作は簡単、ぜひ、持っていけ。」という。そこには「本当に元気になる19曲」が入っていた。滅茶苦茶に勇気付けられた。21:30からゴールする6:12まで何度同じ曲を聞いたのだろう?「ニンタマの100%勇気」が始まる度に、歩きながらガッツポーズをしていた。
閑谷からの下り坂で地元の方が何かサービスをしてくださっていた。吉永のローソンの前にもサポーターの方が多くいた。大変恐縮ながら通過させていただいた。「リバーサイドまでは休まない。」休むとその分辛くなることは、嫌というほど経験済みだったから。
(6)69キロリバーサイド〜77キロ万富サンクス
リバーサイドには23:46についた。10分だけと決めて休憩した。源さんの奥様手作りのトン汁は本当においしかった。10分の休憩だったがやはり足は動かなくなった。かなりヤバいと感じた。「時速3キロでも完歩できる。」というサポーターの方々からの声は受け止められなかった。動けなくなってしまうことが怖かった。ここでまたサプライズがあった。職場の同僚であり5期生の池田さんが突然車で現れた。出張から戻り駆けつけてくれたのだ。今度は高級車が私の前に止まった。西原幹事だった。おしぼりをくださった。今、振り返ると一番苦しい時だった。人の情けがボロボロの体にじわっと染み込んでいった。
「もう休憩なしで行く。」決心したのに万富のサンクスでまた休んでしまった。自分の弱さを痛感した。
ここには、職場の同僚であり4期生の竹内さんがいた。休憩しているとドリンクを買ってきてくれた。「なんでここまでしてくれるのか!?」本当にうれしかった。
(7)77キロ万富サンクス〜100キロ後楽園
万富をでた後も苦しかった。瀬戸署に着つくころ、私の体に異変がおきた。
なぜなのか? 理由は今でもわからない。「体から一切の疲労や痛みが消えた。」
「しめた!」私はペースを上げた。「行けるところまで行くぞ!」ペースは時速6キロに達していた。
(後でわかったことだが瀬戸署から後楽園の18キロを3時間8分で歩いていた。)
平島を過ぎ89キロの辺りでまたサプライズがあった。政経塾には関係のない職場の女子社員が朝4時過ぎだというのに1人で応援に来てくれていた。「俺は必ずゴールする!後ろに富田と林部がいる。行ってやってくれ!」と言って通り過ぎた。東岡山駅には家内が応援に来ることになっていた。そこで最後の休憩をとるのが当初の予定だったが絶好調の状態を切るのが嫌だった。もう不要となった懐中電灯を家内に手渡して通り過ぎた。
西村さんから電話が入った。「荻野さん、どこ?」「高島保育園の手前です。」「まってるからね。」
井上さんが車から声をかけてくれた。続けて新田さんも。高島保育園には大原さんがいた。竹田橋には中屋さんと竹内さんがいた。蓬莱橋が見えてきた。
蓬莱橋の上に人がいた。目視で確認できないが、誰であるかは明白だった。涙が流れた。
西村さんに「待たせてすまない。」という気持ちと、100キロの道のりが走馬灯のよう駆け巡った。
大声をあげて泣きながら6:12にゴールテープを切った。
(他にも、本当に多くの方に応援をいただきました。記載できず申し訳ありません。)
4.感謝の気持ち
源サポート隊長様:源さんの細やかな準備・気配りと判断力・実行力、すべてがとにかくすごかったです。
事前段階から本番、そして事後処理まで、本当にありがとうございました。
石川・井上・中屋・三宅サポート副隊長様:事前段階から本番当日、本当にありがとうございました。何度、車からの声援に勇気をいただいたでしょう。特に、井上さんには大富三叉路で逆方向を指示いただいたり、いっぱい弄っていただきありがとうございます。
サポートいただいたすべての皆さま:本当にありがとうございました。皆様はどうしてそんなに優しいのか?不思議なくらいすごかったです。皆様自身が100キロ完歩経験者だからと言われてもまだ理解できません。来年、私もその優しさを理解して、皆さまとともにサポートさせていただきます。
河野実行委員長様:辛いお立場での実行委員長、お疲れ様でした。来年、歩いてくださいね。応援しますよ。
小山事務局長様・西原幹事様:想像もできない多くの責任を背負われていると思います。無事、100キロ歩行を終えられて本当によかったです。チャレンジさせていただきありがとうございます。
小河原さん:小河原さんのゴールは7期生参加者のゴールでした。ビクトリーロードはもっとゆっくり歩いて欲しかったなぁ。まさか、あそこで走りだすとは、想定外です。
櫛引さん:4月26日は練習に参加してくれてありがとう。西村さんについていけたあの練習が自信になったのでは? あの時の女性によろしく!?
岩井さん:かなりハンディがある中で下見もなしの完歩すごいです。驚きはその後仕事をされたということ。信じられません。
藤井勲さん:箕輪あたりまでご一緒できましたね。同じ40代、これからもよろしくです。
端山さん:前半からマイペース、前・後半のタイム差が少ない歩き方お見事ですね。
西江さん:実力者の西江さん、あの暑さで、上下黒のジャージがきつかったのでは?
佐藤さんと林部さん:2人は後半ずっと一緒ですよね。あやしい関係ですか?どちらが牧師でどちらが修道女なの?
富田さん:ゴールシーンが印象的でした。かなりの距離を一緒に歩いてくれてありがとう。
山崎さん:一番印象に残っているのは貴方です。記憶が確かなら7〜8回私を抜きましたね。私が抜き返す時はいつも貴方が休んでいる時で・・・。貴方には気持的にボロボロにされました。(笑)
高梨さん:後半きつかったのですね。まさか高梨さんに追いつけるとは思いませんでした。
池田さん:やっぱり九州男児はすごいです。札幌の時計台前からの写メールがまだ届かないのですが・・・。
吉冨さん:まったくついていけませんでした。完敗です。
上田さん:7期生最年長!すごすぎます。事前のメールは何だったのですか? ずるいですよ。これからついていきます。リーダーシップを発揮してくださいね。
多賀さん:多賀さんは前半より後半の方が速かったことをご存じですか? さすが若さですね。
西村さんと難波さん:さすがM2! もう同じ括りで扱わないでくださいね。
永岑先生:最高齢完歩! おめでとうございます。歩かれている時もゴール後も先生の紳士なお姿、感銘を受けました。
栗尾さん:憲法の会でお世話になっている栗尾さん、おめでとうございます!
沢良木さん:いつも練習会に来られていましたよね。賭ける物を感じていました。おめでとうございます。
安木さん:19日の練習時にいろいろ教えていただきありがとうございます。我々にはわからない物を背負われていらっしゃったのですよね。安木さん、5期生の皆さま、おめでとうございます。
加藤さん・平田さん:練習会ではお世話になりました。お2人のゴールシーンに感動するとともに、応援・伴歩される6期生の方のお姿に感動しました。
今井さん:2年連続完歩なのですね。来年も歩かれるって本当ですか?
家内へ:マイホーム主義だった私が、入塾決意以降、家庭を顧みない生活を続けていて本当に申し訳ない。
いつも「好きにすれば。」と言いながら、支援を続けてくれて本当にありがとう。
6歳・4歳の娘達へ:最近の口癖は、
「パパ」、「政経塾」、「100キロ」、「自分で言ったことはしないといけない。」のお前達も、父が100キロ歩いたことなど、すぐに忘れるだろう。
できれば、いつの日か、この父の書いたレポートを読んで欲しい。
父は、自分のとの約束、そしてお前達との約束を果たす為に、100キロを歩いたのだから。
一番大切な事は、自分との約束を果たすことである。
これからお前達は、何度も難易度の高い決心をするであろう。
その時、決して諦めない人間になって欲しい。
自分との約束を果たし続けられる人間になって欲しい。
父も自分との約束を果たし続けられる人間であるよう努力をするから。
5.雑感「7期生全員完歩に対する私見」
私は、冗談で「7期生全員完歩」をよく口にしていた。
冗談とは若干の謙遜もあるのだが、具体的なアクションは前夜に「ここまで来たら気持ちを強く持とう。各自、自己責任で完歩しよう。24日は皆でうまい酒を飲もう。」とメールしたくらいなので、冗談と言う言葉が適切である。
なんと、7期生は参加者全員完歩をしてしまった。すごいことである。
勝手ながら、これに対する私見を述べたい。
(1)7期生が特別な能力を持った集団か?
多分違うと思う。西村さんや難波さんなどの例外者を除き、普通の人間の集まりであると思う。
(2)7期生が特別に練習をしたか?
多分違うと思う。先輩方がどれくらい練習をしたか?知らないので、比較のしようもないが。
(3)7期生の為に情報は整備されたか?
多分違うと思う。年々情報が整備されているのは間違いないが、劇的に情報が変わったとも思えない。
(4)当日に有利な条件はあったか?
多分違うと思う。当日は30度を超える暑さだった。良い条件だったとは思えない。
(5)では、なぜ、7期生は参加者全員完歩できたのか?
これだと思っていることが一つある。
それは、「6期生の先輩方の7割以上が完歩された。」という事実を知っていることである。
エベレストでもマッターホルンでも、人間が登れると証明されていない中で最初に登頂した方と何人も登ぼったことを知って登頂する方とでは、「自分はできる」という気持ちの持ち方が違うと思う。
100キロ歩行は、誰もが未経験の挑戦をする訳であり、「できる」、「やれる」、「やるんだ」と思って臨める気持ちの高まりが7期生を歩かせたのだと思う。
この私見が正しければ、8期生の方も全員完歩されるはずである。
(6)何を言いたいのか?
全員が100キロ完歩しても良いのではないかと思う。
100キロを完歩することの物理的な難易度や苦しさは、昔も今も何も変わらないはずである。
「心が折れる」という名言がある。
100キロ完歩は、心が折れる瀬戸際の挑戦だと思う。
「心が折れるか?否か?」は極めて主観的な物であり、気持ちの持ちようで変わる物だと思う。
ゴール後、何人かの7期生に聞いたが、心が折れそうだった者はいない。
先輩方が積み上げてくださり、そして今回7期生が更に積み上げた「心の勇気」が、
今後も継承され続けると確信している。
6.参考情報:後進の方の参考になれば(自分が知りたかった情報を記載)
(1)私の当日の着用物・持参物と自己評価
a.着用物:
白の長そで速乾性シャツ:これより良い物は思いつかない。白でよかった。
薄手のベージュの綿パンツ(ポケットが多い):自分では不都合はなかったが、テーピング機能を持つスパッツを着用されていた方がうらやましかった。(お金がなかった。)
白のキャップ&タオル&洗濯ばさみ:帽子も日光を反射する白色が一番。2枚のタオルで横・後ろの日よけ対策をして洗濯ばさみで固定した。恰好など気にしていられない。
5本指ウォーキングソックス:1500円也。私にしてはお金をかけた。かけた効果はあったと思っている。備前の体育館で一度交換した。
ウォーキングシューズ:18000円也。はっきり言って失敗した。買って最初の7キロの練習で豆が2つできた。よほど、返品してやろうか?と腹がたった。そこから改造を繰り返した。1ケ月半の間、毎日履き続けた。唯一よかったのは職場でも入塾式でも履ける真っ黒の物を選んだ点である。とにかく気になる部分は削る・張るを繰り返して、本番までに完璧なマイシューズが出来上がった。靴は自分で作ったくらいの自負がある。お見せしたいくらいの力作である。
ウエストポーチ:首にヘルニアの持病を持つ私にとって、リュックサックを重くすることは避けたかった。2つのウエストポーチを改造して1つにして、極力、物はウエストポーチに入れるようにした。
ウエストポーチのベルトをキツメにした。腹を引き締めたことは効果があったと思う。
リュックサック:安物のペラペラの物。とにかく軽さを追求した。
手袋:積水ハウスの新築見学会でいただいた薄手の綿の白色の物。これが最高に良かったと思う。日焼け対策・夜間の防寒対策の両方になった。備前の体育館で一度交換した。
b.持参物:
ウエストポーチの中身:財布、500mlのペットボトルドリンク、アミノ酸6袋、飴(小梅ちゃん)書類、簡易のクツベラ
リュックサックの中身:夜用ウインドブレーカー(ペラペラの物、色は白)、靴下の替え(3枚、使用したのは1枚)、キネシオテープ(備前の体育館で足の指にも張った。)、頭につける懐中電灯、夜着替える為の速乾性半そでTシャツ1枚(日がかげり始めた備前体育館からゴールまで着用した。)、エアーサロンパス1缶(26キロ地点の入江百科店で一度使用したのみ。気持ちはよかった。)
多分、他の方に比べかなり少ないと思うが、軽さを追求した。上記で問題はなかった。
c.持参した書類:
・配られた地図にポイントを自分で手書きで加筆した紙。(A4両面で2枚)
・大原メモ改良版…自分のペースを確認するのに最良。(A4で1枚)(別途添付(Excelファイル)。実績は、携帯電話の発信履歴で保管。例えば、5キロ地点を10:47に通過したら、「104705」と発信してすぐに切った。)
・サポーター配置図…あの人がここにいるという情報として。(B4の紙の必要部分のみ)
(2)当日食べた物:
・おにぎりを6つ:スタート時に4つリュックに入れておいた。1時間強おきに1つずつ食べた。備前市街のコンビニで2個買った。18時くらいに6つ目のおにぎりを食べた時、食欲の無さを感じた。時間ロスと休憩時間が伸びることからの疲労の為、厳禁と考えていた汁物が食べたくなった。
・うどん1杯:休憩を兼ねて伊里中のローソンでうどんを食べた。おいしかった。道中のすべてのコンビニに何があるか?事前に調べておいた成果でもあった。ひたすら続く備前の湾岸を歩く時、伊里中でうどんを食べることを楽しみにしてがんばった。(ただし、ロスタイムが長い。とても推奨はできない。)
・トン汁1杯:リバーサイドで源さんの奥様の手作りの物。味も源さんの奥様の気持ちも目茶苦茶においしかった。
・アミノ酸:できるだけ摂取した方がよいと考えて日中に3回飲んだ。効果の程はよくわからない。
・キュウリ2カケ:飯井の交差点で江草さんからいただく。キュウリには体を冷やす作用があるそうだ。さすがは食育を研究されている江草さんだと思った。冷たくおいしかった。
結局、食べた物は、上記のみである。
(西村さんは100キロの道のりを休憩無しで歩き、食した物はバナナ2本だけというから驚きである。)
(3)当日飲んだ物:
スポーツドリンクを無くなれば買うというスタイルを計画していた。当日は暑く、日中10本くらいの500mlのペットボトルの飲料を飲んだ。途中、スポーツドリンクの甘さが嫌になり、好物の緑茶と交互に飲んだ。20時以降は2本しか飲んでいない。やはり日中の暑さがつらかった。
購入方法は自動販売機を推奨する。コンビニのレジに並ぶ時間はいらつく。
(4)歩行前後の体の変化:
体重は3キロ減った。体脂肪率が5%も下がったことが驚きだった。
上記数値を冷静に計算すると、脂肪を約4kg燃焼して、筋肉を約1kg作成したことになる???
家に帰り、風呂から出た時の自分の体をみて、プロボクサーか?と思えるほど、体の変化は感じた。
(すぐに元のだらしない体に戻ったが。)
(5)テクニック
テーピング:
私は人のうわさ話を単純に信じることができない捻くれた性格の持ち主だ。テーピングに関しては、本を4冊読んだ。記載内容に大差はなかったが、一番わかりやすかったのが、以下の本だった。
「いちばんわかりやすいテーピング図解テクニック」齋藤隆正著 大泉書店¥1000
最終的に、本番で実践したテーピングは、上記本のP52、P58、P70、P82、P94に掲載されている事項だった。中でも、万人に絶対に有効だと確信したのは、P58の足の裏のつかれをとる(人工的に「つちふまず」をつくる方法)である。
3回、本番を想定した20キロ前後の練習を行ったが、その際、いろいろとテーピングの実験も行い、上述の結論を導きだした。結果は上々だったと思う。
カーボローリング:
私は実践していないのだが、マラソン選手などが本番前に取り入れる食事の方法で、本番7〜4日前に「タンパク質中心の食事」をして、本番1〜3日前に「炭水化物中心の食事」に切り替えて、スタミナを極限に高める方法です。
家庭持ちの私には実践はできませんでした。前日の昼食はカツカレー、夕食はトンカツと全くだめだめです。(カツを揚げてくれた嫁さんの気持ちはうれしかったが。)
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