2009年6月 岡山政経塾 体験入隊 特別例会

 
◆山田 浩三(岡山政経塾 二期生)

『自衛隊体験入隊レポート』




初心忘れるべからず
 今回、自衛隊体験入隊に参加させていただくことに関し、自分が決めた原則は「初心忘れるべからず」である。
 第1回の昨年は36名の大所帯。私たちも、受けていただいた部隊の皆さんも試行錯誤しながらの例会。前回の体験があるだけに良いとか悪いということではなく、どうしても比較してしまう自分がいるであろうと考えた。
 何を体験し、何を学べるか。原点に戻りたいと思いて参加させていただいた。

かたち、ケジメ、セレモニーの大切さを痛感
 着隊して被服調整。産まれて初めて着用する作業服と半長靴。8期生は初めてで戸惑っている様子。しかし、迷彩服を経験しているだけに半長靴以外は淡々と作業を進め、私物を整理していく自分がいる。やはり初心に返るのは難しいのか。
 基本教練、戦車試乗と続いての「申告」 
 これは、自衛隊の空気に慣れてからという配慮だと思うが、逆に最初にセレモニーを行なっていただくことで、何のために学ぶのかという「意識付け」をいただいていれば、学びの姿勢が違ったのかと思う。

 試行錯誤の昨年は、君が代斉唱に続いて自衛官の心得から教えられた。
「挑戦」「献身」「誠実」 隊員の命を守るために体力が必要。規律が必要。
わが祖国日本を守るために「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務める」
与えられた任務をこなすために訓練があり、すべてに意味がある。
 協調、情熱、仲間、絆の大切さ。これを聞いてから、シャバとのケジメをつけた塾生が多かったと思う。期もバラバラの36名に心のケジメをつけたのは「意識付け」だと思う。

基本教練
 これは、教官の皆さんが相当悩んでプログラムを組んでくださったと感じた項目。
おそらく小学校以来の「気をつけ」に「右へならえ」を学ぶ相手に対して、本当にやりにくかったのであろうし、流れを見ながら現場で組んでいかれたのかと感じた。
停止間動作も基本を押さえて、次々と進む。行進間動作に移行し、今度は塾生同士の教練。正直に8期の習熟の早さに驚く。
「なんということでしょう」まるで「ビフォアー・アフター」の感想。第三者の視点でいるだけに、バラバラだった隊列が真っ直ぐに並ぶようになるのがわかる。
 もちろん自衛官の皆さんと比較すべくもないが、朝まで何も経験したことのない人たちが、キレイに揃うことには頼もしく、嬉しい感動があった。
 1班と2班の教官のキャラが異なることが、刺戟になったとも思う。
 しかし、カッコいいぞ、塾生。

宿泊関係
 ひとりでは出来ないベッド・メーキングを協力しあいながら実施。また、大部屋に大人数で泊まるしいう営内生活経験は、どこでも出来るものではない。
 いびき話も翌朝聞いたが、個人が自分のペースを通していたら乱れてしまうのが団体生活である。これを体験出来たのは、良い体験になったと思う。

肉体年齢は正直
 行進訓練、コンパス行進、最後のほふく前進でバテた。トドのようにのたうち回る姿は人に見せられない。自衛官はこれに装備と小銃を持っている。苦しい時間だった。
身体は思うように動かない。終了まであと3分というところで軽い熱中症に。これは情けない。
 体力がないと前線で国は守れないと痛感。

お互いの関係
 教官の側としては「やりにくい」団体だと思う。また、その感想も聞かせていただいた。
 新入社員ではないし、教官より年上で年齢はバラバラ、職種もいろいろなので「どのように接してよいかわからない」 一般的には戸惑って当然だと思う。
 ところが、学ぶ側には教官が思うような意識がない。
 純粋に学ぶ姿勢を持つ人たちの集まりは、外から見たほうが凄さを感じる。
 つまり、年下に命令されたくないとか、言葉の選び方など、まったく意識しておらず、「ひたすら素直に聞く」ことしか考えていない。
 教え方に「うまい」とか「へた」という評価を考えていない。

 去年の教官も「やりにくい」と同じ感想を聞かせていただいたが、自衛官として「黙々」と「使命感」を伝えることに徹すると述べられた。教えるというのではなく、自分達を見てくださいということであった。
 その姿勢に塾生は凛としたことを思い出す。

私たちは、このどちらの側にも立っている。
社会人として、親として、人間として。
学ぶ姿勢の大切さと、素直さは大事にしたい。

 結果として比較してしまう自分から脱することは出来なかった。しかし、前回とは異なる生活体験は自分を見つめ直す鏡が増えたと思う。
 可能であれば、後輩塾生に学んで欲しい例会だと思う。

最後に
 体験入隊を担当していただいた中隊長、教官の皆さん。日本原駐屯地広報の皆さん。岡山地方協力本部の皆さん。幅広いアドバイスをいただいた永岑先生にお礼申しあげます。
 また、身体を張って支えてくださった小山事務局長に感謝します。


自衛隊のつらい立場
 国防軍なのに、創設以来正当な立場が与えられることはなく、言いたいことを言うことが許されず、国民に使命を語ることすら制限される。
 どの国家も防衛のための国軍を保持するが、専守防衛を掲げる国などない。
交戦権を禁じた憲法9条の存在により、日本本土での防衛が自衛隊に課せられた任務となっている。
 つまり、太平洋戦争で体験した、沖縄の地上戦が前提となった防衛である。本来ならば本土で地上戦を実施する時点で「負け戦」というのが国際常識と考える。
日本の防衛は「負け戦」が前提であり、口だけで現実には国民の命を考えない防衛体制を構築しているのは政治ではないだろうか。
そのような状況の中でも、黙々と訓練に励み、使命を全うしようと努力する自衛隊・自衛官に対し敬意を捧げる。
 専守防衛はアメリカ頼み・依存である。これは戦後の状況から出来上がってきたものであるが、いつまで引きずるのだろうか。そこに担保されているのは日本国民の生命である。 
日米安全保障条約には日本が攻撃された場合、アメリカが出撃する義務は明記されていない。仮に近未来において、K国やC国と交戦状態になったときに、アメリカが重要と考える国はどこであろうか。
 アメリカと敵対する必要などまったくないが、日本が国家としての矜持を持たない限り、防人である自衛官は悩み続けるであろう。繰り返すが、国民のために命を賭ける自衛官に対し、私たち日本国民は少なくとも名誉と誇りを捧げることは必要ではないだろうか。
 悲しいかな、安全保障に関して日本には軍事だけを考える視野の狭い人かぜ少なくない。食料、資源、文化、エネルギー、技術など総合安全保障が必要である。
同じ敗戦国であるドイツは反省を未来につなげる意思表明をした。国を主体とする永続的な個人補償の枠組みを作った。ドイツが未来の信頼を勝ち得るために何を為すべきかを悩んだ末の方針である。
 日本も未来につながる戦略を掲げて欲しいと希望する。
 アメリカの機嫌を損なうことなく、アジア諸国の懸念に真剣に取り組み、国民の意思形成を固めていくことは不可能ではないと思う。
 
 おそらく、講話で語られることはないであろうが、多くの誇り高き自衛官が心の中で訴えたいことは、以上のようなことではないだろうか。
 国民が学び、意識を持ち、行動することが必要なのかもしれない。