2009年6月 岡山政経塾 体験入隊 特別例会

 
◆津村 泰弘(岡山政経塾 八期生)

『岡山政経塾自衛隊体験入隊レポート』



★はじめに
 私は、どちらかと言いますと、日本の国防に関しては興味がある方である。と言っても一般の人と、さほど代わらない、レベルである。私の会社には同僚で年に5日間の訓練を受け、有事になったら駆けつける言ってみれば、後方支援 部隊(昔で言えば志願兵?)に所属している仲間がいます。その仲間の話を少しを聞いたこともあり、自衛隊の人の 本来の姿を、少しでも、経験出来る事を、嬉しく感じたのであった。

★入隊してみて
  自衛隊の方々の自己紹介を聞いていて感じた事は、とにかく姿勢が正しく胸を張って大きな声で話している姿だった。中でも、中山三曹の自己紹介の時は気合いがみなぎっていて正直、怖そーな人だなーと感じた。
 その後、服を着替え1班と2班に分かれ、私は1班になり班長は先程、怖そーに見えた、中山三曹だった。
 最初に基本的な縦列行進などを教わったが、頭で理解していても体がそれに反応しない、もどかしさを感じた。
  中山三曹が言った言葉が「最初から、どーのこーの説明しても出来る訳がない、俺たちは体に染み付いてて、体が覚えてるから出来るだけで、誰も最初からは出来やしない、出来たら逆に凄い。俺たちの立場がない」と言われた事を覚えています。怖そーに見えても気配りの出来る人だなーと感心さされました。
 中山三曹は見た目は凄く怖そーに見えますが時折、笑顔や優しい言葉を言って下さるので緊張感が少し和らぎました。そーこーしている内に午前中はあっという間に過ぎ、午後から体力テストでした。
 100キロ歩行の時は、自分なりに少しは練習しましたが、体力テストに関しては、まったく練習なしで、ぶっつけ本番でした。結果、腕立て伏せ20回、腹筋29回、3000メートル走15分52秒で、体力検定6級でした。
 多分1番下の級だろう。体力ないなーと、実感しました。
 その後、2日目は足の膝の裏の筋が伸びてダメになったのか、ベットから起き上がれず、小山事務局長、永峰先生 山田さん、自衛隊員の方々、8期生の同期の方々に大変ご迷惑をかけてしまい、申し訳ありませんでした。
 3000メートル走が最後の種目なら全力で走ればいいのに、翌日の事も考えず、無理して走った自分がバカに思えました。2日目の貴重な経験を実践出来ず、後悔しか残っていません。

★感じた事、学んだ事。
 私は、中山三曹の魅力にとりつかれ、中山三曹の話の中で交わした言葉は今でも、すごく印象に残っています。
 懇親会の時に質問をしたのは以下のとうりです。
 私が、例えば中国、北朝鮮と戦争になった時、戦場に行きますか?との問いに、中山三曹は、「上官に行けと言われれば、行くしかない。確かに少しは怖いけど、やらなければ、やられる。それなら、相手に対して一撃を与えたい」
 その言葉には、すごく重みを感じた。私情を捨てて国家の為に、愛する家族、恋人の為に自分が戦う事によって、1分でも1秒でも相手からの侵略を遅らせたいと言った気持ちが、あるのではないかと。
 しかも、中山三曹は27才で、こんなに若い人が命を捨てる覚悟が出来ていると感じた私は、自分が逆の立場だったら、どーするか考えてみた。
 私も戦う方を選ぶだろう。死ぬかも知れないと解った戦いなら、逃げるより戦って死んだ方が悔いも残らない。
 今の世の中は平和ボケしていて、戦争にはならない。仮になったとしても、自分には関係ない、自衛隊が、日本を、守ってくれる、それに付け加え自分の財産も命も守ってくれると考えている人が多いのでは?
 その様に思っている人がいるとしたら自衛隊の人と近づける機会があれば、その人たちの考えも、少しは変化していくだろうと思いました。
 やはり自衛隊員の方々は陰の功労者です。

★最後に
 別れの挨拶の時、中山三曹が言った言葉は「俺たちは戦争になったら、ぶっちゃけ人を殺さんといけんのじゃー、殺さんと、殺されるからな」と言われました。
 前日の懇親会の時に質問した答えと似た様な言葉でした。中山三曹は、お酒が入っていても、入ってなくても常に、同じ志しを持っていらっしゃる方だと感じました。
 自分が犠牲になっても部下を守る人だと感じました。

 硫黄島の戦いで栗林忠道陸軍中将(後に大将)が最後に打った電報で「予は常に諸子の先頭に在り」と重なって、思えました。
 日本には陸、海、空、合わせて約24万人の自衛隊の方が、いらっしゃいますが、中山三曹と同じ考えを持たれた方が大半を占めるなら、今以上に更に強い自衛隊になり、抑止力も強まるだろうと感じました。
 とにかく、私は凄い人と出会えたのが、とても嬉しく感じたのです。
 この様な機会を与えて下さった、小山事務局長、永峰先生、山田さんに感謝の気持ちで、いっぱいです。
 有難う御座いました。