2009年6月 岡山政経塾 体験入隊 特別例会
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◆森田 明男(岡山政経塾 八期生)
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自衛隊体験入隊レポート
『戦争と平和じゃなく、本当は、愛と平和。』
5月の24時間100km歩行の次も、どちらかと言えば、気持ちが滅入ってくる体育会系の行事がこの6月の自衛隊体験入隊です。日頃、自衛隊の駐屯地にお邪魔する機会などはほぼ皆無なので、自衛官の方が普段どのような生活をし、どのような訓練をし、そしてどのような気持ちで国防を考えられているのかなどを知ることができる絶好の機会だとは分かってはいるものの、「自衛隊見学」ではなく、「自衛隊体験」ということでさまざまな訓練を自らにも課されるのかと思うと、またまた暗い気持ちになるのです。
規律と協調の重要性を学んだ生活体験。
当日は朝9時に日本原駐屯地に到着。持参した荷物を置き、支給された制服に着替え、班分けされて簡単な説明を受け、いよいよ体験スタート。あらかじめ配られていたスケジュールからしても、分刻みの時間割りでビッシリと二日間で体験すべき内容が決められており、果たして自分の体力が持つのか不安は募る一方だが、もうここまできたらやるしかない。基本教練、戦車試乗、体力検定などを予定時間通りにほぼ消化していく。訓練現場から一般宿舎へ帰る時も、また食事や入浴などの時も集団行動、団体行進が基本であり、この組織のなかでは同調性を持った社会規範が前提となり、また規律の遵守、時間の厳守等が完全に絶対条件であることを改めて認識しました。当たり前のことではありますが、集団を統制していくこと、特に自衛隊のような国家防衛、災害派遣、国際貢献などの特殊任務を行う集団を統制していくためには、共通の目的達成に対して個々が有機的に動くことよりも、指揮に従って忠実に指示を実行することが求められるということを改めて実感した次第です。私たちも、企業や団体、組織といったものに何かしら属してはいるものの、ある程度の自由さと裁量を与えられ、その代わりに使命と責任を担うような生き方をしています。今回は、生活体験という凝縮された入隊経験のため、詰め込み的なプログラムとなっていた面もあるとは思いますが、かなり抑圧された不自由さを感じたのは私だけだったのでしょうか?ただ逆に如何に普段の生活が曖昧であり怠惰であったか、また年齢だけではない肉体の鍛錬不足など、体力的な老い、衰えが自分の想像を超えて進行していることを痛感するなど、考えさせられることも多かったのは事実です。なかでも3000メートル走は、成人女性よりも早く走れないタイムで、もし今後、救助される場面があると仮定したらお年寄り、赤ちゃん、小さいお子さん、そして女性の順番で助けてもらわないと助からないなぁなどと自分は既に高齢者の域だと認識するような始末。若かりし昔は「日本拳法」という武道で肉体を鍛えていた自分が懐かしくもあり、また今のポッチャリな肥満体型の自分が恥ずかしくもありを感じる訓練内容でありました。そして初日の夜は自衛官の方との懇親会、ここでは現役の自衛官の方といろいろお話しができ、例えば隊員の方達は任務に誇りを持たれ、また機密保持にも努めてはおられるものの、もっと一般社会で自分たちの活動を知ってもらいたいというような想いも内面にはある等の本音的な声を伺えるなど、さまざまな意見交換ができた貴重な時間だったと思います。そしてその後は宿舎へ戻っての就寝。明日のプログラムのことが脳裏に浮かび生存欲求からか究極の疲れからなのか即寝してしまいました。横のベッドで私のイビキの被害に遭われた津村さん、本当にごめんなさい。そして二日目。やはり6時起床ではなく、有事想定ということで5時に叩き起こされた。やっぱりと思いながらも3時でなくて良かったなどと思いながら革靴の靴紐を眠い目を擦りながら締めてのスタート。そこから、また地獄の訓練が始まりました。まずは、交替で25kgのリュックサックを背負っての10キロ行軍。距離はGWに100キロを歩いているため精神的には堪えなかったですが荷物はズシリと重く、足腰、そして肩、背中などが痛くなりました。それが終わるとコンパスオリエンテーション。これがラストの訓練プログラムでした。最後の訓練ということもあってか、自衛官の方の親愛なるサプライズ指示「匍匐(ほふく)前進」「突撃行進」もあり、体力メーターはほぼエンプティに。午後からは最後の締めとして防衛講和を聞かせていただいて、そして除隊。この生活体験では規律の重要性や集団での協調性など、普段の社会生活にも転用できる意識や方法、その効用などが学べた有意義な機会となりましたが、あまりにもそれらが私にとってハード過ぎ、いろいろと考える余裕を奪われた感もあったことは少し残念でもありました。
自衛隊の意義は国防にあり。
5月の例会で、元自衛官であった永岑講師の講演「わが国の防衛問題あれこれ」を聞いてから、同期でもわが国の国防問題や自衛隊の存在意義などの議論が少し出たことがありましたが、議論が白熱するまでには至りませんでした。私も発言を躊躇したなかの一人でした。(他の方全てが発言を躊躇されたわけではないと思いますが)なぜ躊躇したのかと言えば、私にとってあまりにもこのテーマは身近さがなかったうえに、今まで深く掘り下げて考えてこなかったこともあり、また迂闊な発言が許されないテーマだと思ったからです。しかし、それは逃げでもあると思います。自衛隊の体験入隊の二日間を経験したからと言って、劇的に意義ある考え方を得たわけではありませんが、国防を使命として日々過酷な訓練を行ってくださっている自衛官の方達の姿を直接目にすると、私たち日本人はこのような責務を担ってくれている人達が存在してくれているからこそ、平和な社会で暮らしていけるのだということを肌感覚で実感できたことは大きな収穫であったと思います。自衛隊の存在理由は、もちろん国家防衛が中心。そのなかで警備行動や防衛交流、国際貢献などがあります。また災害派遣や治安出動、国民保護活動の任務もあります。ここで私なりの意見ですが、侵略をしない防衛のための武力行使を行う組織集団、自衛隊とはやはり軍隊であり、その基本責務は国防であることを違憲、合憲などと言わずキチンと社会基盤として存在を世の中に公然と定義すべきだと考えます。そのうえで、活動に焦点を当て、社会にその存在理由と活動内容をキチンと広報すべきであるとも思います。それでこそ自衛官の方は本当に誇りを持って有事に命を懸けて臨めるのであり、その俎上をキチンと作り上げるのが政治なのではないかと思うのです。世界平和が究極の人類共通の目標ではありますが、戦争、紛争は世界各地で必ず起こっており無くなっていないことも事実です。新たな戦争、テロもますます巧妙化、高度化してきています。寂しく悲しい話しではありますが、戦争は日本がどう考えようが、他国が仕掛けてくれば起こるものであり、その脅威は今、日本を取り巻く近隣諸国にも蔓延していると思います。原爆被災の地である広島の現・市長であられる秋葉氏がある委員会でスピーチをされ、「オバマジョリティ」なる言葉で核廃絶を訴えられましたが、あくまでも日本国民の共通の願いは、平和を希求することであることは間違いないことですが、一方では有事に備えた対応、対策などを含め、国民の意識のなかに国防問題をもっと警告すべき時が既に来ていることも現実的な話しではないかとも思っています。それらが法整備含め、社会基盤として再構築され、そして併せた倫理教育、思想教育も行われるのが望ましいのではないかと私なりの意見ではありますが述べさせていただきました。
最後のまとめとして。
今回もこの貴重な体験の機会を与えてくださった小山事務局長と永岑講師、そして政経塾OBの山田顧問に深く感謝いたします。小山事務局長の満面の笑顔での「どう?」という質問は、これは“S”以外の何物でもないことは付け加えておきます。(笑)また日本原駐屯地で私たちの面倒を見てくださった自衛隊第13特科隊の方々、二日間ありがとうございました。これからも誇りを持って任務の遂行をお願いいたします。そして最後に、このレポートの標題でもあり、使い古された言葉ではありますが、世界が「戦争と平和」という対極的な発想から「愛と平和」というような親和性があり、同義的な発想で満ち溢れた世界になっていくことを願って止みません。戦争にもそれぞれの大義はあるのでしょうが、その結末、結果は人の恨みを増幅させるだけのものでしかなく、人類最大の過ち、誤りだと思います。
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