2019年5月 
 丸亀商店街視察

丸亀町商店街視察を通して

黒田 新士 (岡山政経塾 18期生)

● はじめに
 香川県高松市で生まれ、高校まで高松市を生活の場としていた私にとって、今回の丸亀町商店街の視察は特別なものであった。今から25年ほど前になるが、高校時代には、当時の丸亀町商店街は頻繁に往来する生活の一部であった。他の商店街と合わせ、高松市中央商店街は全国一の全長2.7kmを有するアーケード街で、人通りの多い活気のある商店街という印象を持っていた。その後、丸亀町商店街の再開発事業に関して少し噂を耳にしたことはあったが、実際大学から高松を離れてこの方25年余り、商店街を散策する機会を持てず、今日を迎えていた。そんな中、この岡山政経塾の年間予定に丸亀町商店街の視察が予定されてていると知り、しかも非常に重要なイベントの一つとして組み込まれているということで非常に楽しみにしていた。


● 丸亀町商店街の散策
 まず、丸亀町商店街の北の端のA街区に整備されたドーム広場(札の辻)に集合した。休日の午後、イベントも行われており、人通りも多い。周りの建物も含め非常に整備されており、商店街の端に位置するが、確かに中心的な象徴としての役割を果たす場所なのだろうという印象を持った。と同時に違和感も生じた。なぜか懐かしさが込み上げてこないのである。25年前には確かにこの場所を何度も行き来したはずなのに。
 約1時間ほど商店街を散策することとなり、皆と一緒に南に商店街を進んでいった。整然と高級ブランド店が立ち並ぶA街区、飲食店で賑わうB街区、フィットネス・医療施設など健康指向のC街区、人々の集いの場となっている丸亀グリーンを有する丸亀町商店街南端のG街区。家族連れから、カップル、友達の集団など老若男女、様々な人が行き交っている。手には何も持たずに、ただゆったりと時間を過ごしている人も多い。そう、我々が休日に大型ショッピングモールで時間を過ごしている風景と似ている。特に明確な目的がなくても、そこに行けば楽しいひと時を過ごすことができる、いわば憩いの場のような。

 ただ、全長470mの丸亀町商店街をAからG街区まで歩き終えても、いまだ25年前の懐かしさのようなものが込み上げてこない。我々は、アーケードで一続きとなっている商店街をさらに南に歩みを進めた。南新町商店街から田町商店街へ。少しずつ人通りが減ると同時に、ただの通行人と思われる自転車に乗った人が増え、閉店したと思われる店舗も散見されるようになってきた。すると逆に25年前の記憶が蘇り、毎日横目に見て通っていた店舗や交番など、懐かしさが込み上げてきた。踵を返し再び人々で賑わう丸亀町商店街へ。そう、やはり丸亀町商店街を通っても懐かしい思いがあまりしなかったのは、大幅に再開発されたからだ。そしてそれが大成功していることは誰の目にも明らかであった。ただ、どうして。その答えを求め、古川理事長のご講演が楽しみになった。

● 古川 康造 氏(高松丸亀町商店街振興組合 理事長)のご講演
 まず、再開発事業へと取り組むきっかけとなった当時の背景について説明があった。1988年(昭和63年)本州と四国を結ぶ連絡橋・瀬戸大橋が開通し、当時小学生であった私も心を躍らせたことを覚えている。しかし、古川さんたちにとっては厳しい時代の幕開けとなることが予期され、そしてそれは現実のこととなった。大型店舗の流入、しかも人口100万人に満たない香川県に5店舗もの、明らかなオーバーストアの状態。この中で、丸亀町商店街がいかに対抗していくか。

・失敗側から学ぶ
 過去の事例では、駅前の一等地が駄目になると、役所が土地を買い、そこにビルを建て、テナントを見つけて営業をスタートさせる。このようなプロセスには多くの問題があり、再開発事業失敗の典型的な例であるという。行政はマネジメント機能を持っていないため、開発を開発デベロッパーに丸投げする。開発デベロッパーの目的は街の開発ではなく、ビルをオープンさせることであるため、土下座外交により破格の値段で大型のキーテナントを誘致し、ビルがオープンとなると報酬を得ていなくなってしまう。その大型店は満足のいく売り上げが得られなくなると、ある日突然いなくなり、また新しい空きビルとなってしまう。そしてそこにまた行政が入り公費が投入される、、、典型的な負の連鎖である。この失敗の轍を踏まないためにはどうすれば良いのか。

・土地の所有と利用の分離
 地権者の出資で作ったまちづくり会社がすべての商店の地権者と定期借地権契約を結んでその使用権を取得し、同社が建物を整備・所有する。土地の使用権をまちづくり会社が一括して持つことで、利害調整に手間取ることなく思うようなテナントミックスを行うことが可能となる。そしてその売り上げの一部が地代として地権者に支払われる。自分たちの街を自らリスクを負い自治権を持って運営を行う、前例のない(官主導では絶対不可能な)民間主導の新しい自治組織の在り方を目指した。成功のカギは土地問題の解決であり、土地の所有と利用を分離することによって初めて可能となる施策である。


・居住者を取り戻す
 郊外に進出してきた大型店に取られた顧客を取り戻すという発想ではなく、居住者を取り戻すという発想に転換した。居住者が増えれば、放っておいても顧客は増える。そのために商店街に医食住の充実したコンパクトシティの整備を進めてきた。一時は75人まで減少した居住者も、今では整備された200戸のマンションには高齢者を中心に入居済みで、建築中のマンションも予約で埋まっているとのこと。将来的に400戸、1500人の定住を目指しているようだ。古川さんは、「自分自身が高齢者になった時に住みたいと思える生活環境をイメージしてまちづくりを行ってきた。」とのことである。

・新しい地域医療の形
 私自身医療人であり、岡山政経塾への入塾のきっかけが、まさに岡山の地域医療の在り方を考えることであった。今回の古川さんのご講演で、地域医療に関する内容を伺えるとは全く予期しておらず、しかもその内容は目から鱗のまさに理想像であり、それをすでに実現していることに驚きを隠せなかった。
 地域医療の問題は、広大な過疎地域に高齢者が点在し、それをカバーする医療資源と人材の不足である。古川さんたちは前述の通り、高齢者が住みやすい生活環境をイメージしながら整備を進めてきたため、高齢者が自発的に集まってくる魅力的な生活環境が整っている。高齢者の入居している集合住宅自体がすでに各人の病室としての役割も果たしていると考えると、商店街には少数の診療所を構えるだけで良く、往診も容易に行える体制となっている。近くには総合病院があり有事の際にはすぐに対応を依頼することが可能である。まさに地域医療の目指すべき方向性がここにあるように感じた。


● さいごに
 地域の活性化には、「人」の存在が欠かせない。そしてその「人」も外部からの顧客・訪問者だけでは不十分である。一見良さそうに見えても長続きすることはない。本当の永続的な活性化のためには、そこに根付く内部の「人」が増える必要があり、その仲間に加わりたいと思う魅力が必要なのだと思う。前例のない再開発事業に民間主導で取り組み、日本国内のみならず世界からも評価されるところまで成功を遂げた背景には、古川理事長をはじめとする丸亀町商店街の皆様の、先見の明と団結力そして成功への確固たる信念の3つが備わっていたに違いない。今回の丸亀町商店街視察で得た知見は、業種を問わず様々な領域に生かすことができるのではないかと思う。そして最後に、今回の視察を通して、生まれ故郷である高松をさらに誇らしく感じられるようになった。たまにはJRを使って、丸亀町商店街を散策しながら、実家に帰ってみようと思う。