2010年 直島特別例会
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◆西村 公一(岡山政経塾 七期生)
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松下政経塾・日本青年会議所・岡山政経塾 直島合同合宿レポート
『直島合宿を未来に生かすために』
はじめに
アフリカ大陸の東に浮かぶ島、マダカスカル共和国の英知の言葉に、「人と出会える一日は百日分の価値がある」とあります。
今回の直島例会は岡山政経塾、松下政経塾、日本青年会議所の共催であり、「出会いは宝」との思いで、瀬戸内海の宝島である「直島」への船に乗り込みました。
地獄の長い箸(はし)
慶応大学の清水浩教授の講演を拝聴していたら「地獄の長い箸」の話を思い出しました。
地獄にいる人たちは、目の前に並べられたご馳走を食べられずに苦しむ。自分の腕よりも長い箸が邪魔をするからです。一方、天国では同じように、長い箸を手にしていたが、皆、楽しそうだった。なぜか?長い箸を利用して、他の人の口にご馳走を運び合い、お互いの食事を可能にしていたからです。
地獄と天国の違いは「環境」ではなく、人の「心」にあることを示した話です。これは、人のために尽くせば、わが心も幸せになることを教えてくれます。
現代社会は、過剰な個人主義が蔓延し、「助け合う」精神が生まれにくくなっているように感じます。富や権力を追及する物質主義、利益優先の経済主義のもとでは、他者への思いやりも期待できなくなるのでしょう。
しかし、清水教授が代表取締役社長を務める(株)SIM−Driveは、現代社会の行き詰まりを打開する大きなヒントを与えてくれます。同社の企業理念には「電気自動車についての最高の技術と情報をこの分野に関わる全ての皆様に極めてわずかな費用で提供する」とあります。すなわち富や利益よりも、「環境とエネルギー問題の解決になる車」、「乗る人に新たな価値と喜びを与える車」、「車体価格、ランニングコストがこれまでより安価な車」を地球上に普及させることを目的に走り続けている企業です。
私は、これまで、個人の幸福が集まって国の幸福になり、国の幸福が集まって世界の幸福になると信じていました。しかし清水教授の講義から「自分個人の幸福、家族の幸福を願うのならば、まず、国の繁栄、世界の平和を祈り、行動しなければならない」、「社会の繁栄、平和があってこそ、個人の幸福の達成も可能になる」と発想の転換ができたように感じています。
物質主義には平和も幸福もありません。私たちは、物質的な繁栄だけでなく、人間自身のこと、そして人間の連帯、共に生きる責任について関心を持つ必要があるのではないでしょうか。
勇気ある前進
世の中には知事や市町村長と呼ばれる人がたくさんいるようですが、これらの中で、政治に対する自らの理念や政策を自分の頭で考え、自分の言葉で、夢というハーモニーを奏でながら語ることができる人は多くはいないと推察します。役人が書いた作文を棒読みする人は多くいるようですが。
益田市の福原慎太郎市長は、地域の自主独立の気概と地域への自信と誇りを胸に、益田市の明るい未来に向けて、市長自らが先頭に立って益田市を変えようとされています。その熱い情熱が講義の中に滲み出ており、市長が語る理念と政策と夢が聞く者の心を鷲づかみにしていました。
益田市には素晴らしい財産がたくさんあります。高速交通網の要である萩・石見空港、天然鮎が遡上する水質日本一の高津川、5,000頭以上の牛を飼育する日本最大級の松永牧場、梅毒の特効薬「サルバルサン606号」を発見し、世界の化学療法の第一歩を印した益田市出身の秦佐八郎博士の人類への偉大なる貢献など、希望の種が益田市にあふれています。しかしこれらの潜在的な魅力を発揮させるためには、有能な市長が先頭に立って、勇気を出して一歩踏み出すことが大切なのでしょう。
福原市長は益田市を「一流の田舎まち」にしたいと考えられ、人間、経済、視覚の三つの側面から益田市を変えようとなさっています。第一は、人間的側面であり、益田に住む一人ひとりが「地域のつながりを基に、誰もが自信と誇りをもって元気に生きるまち」にすることです。第二は、経済的側面であり、「感動を呼ぶものづくりとサービスのまち」にすることです。第三は、視覚的側面であり、「美しい風景、文化が息づくまち」にすることです。いずれにも福原市長の熱い思いが込められていたように拝察しました。
さて、私が知事や市町村長の話をお聞きする際には、特に注目している点が二つあります。一つ目は教育政策、二つ目は中央集権から地方主権へ向けての具体的な取り組みです。
【教育】
福原市長は市長当選後の市議会での所信表明において、「これからの益田市の鍵を握るのは「人」であり、益田市を担う人づくり・教育に今後重点的に力を入れてまいります。中でも最も重要なことは、自分やふるさとに自信と誇りを持つことであり、学力向上はもとより、ふるさと教育の更なる充実、日本語教育の充実など「自分やふるさとを自らの言葉で語れる自立した人間」の育成に全力で取り組み、「教育は益田で」と言われる益田市を目指すとともに、教育委員会改革など制度改革にも取り組んでまいります。」と述べられています。
私は、無限の可能性を秘め、未来を切り開く能力を備えている子供たちを日本という島国やさらにその一部の小さな地方に押しこめておく必要はないと考えています。日本や地方だけで通用する学力ではなく、世界で通用する専門的な技術、いわばグローバリゼーションの波の中でも食べていける力を世界で学ばせることがものすごく大切になってきていると感じています。
今の教育は中央集権体制のもとで選択肢が限られています。しかし地方主権になって地方独自の教育が可能になれば、子どもたちに、世界には多様な価値観があり、進む道は無数に広がっていることを知らせてやることができ、世界を舞台に活躍できる子どもたちを育むことが可能になります。中央集権が生み出した、すでに過去のものとなった教育をいつまでも続けていると、地方の力は削ぎ落ち、日本が沈没してしまうことを恐れます。
子どもたちは未来を生きます。我々が作った国と地方を合わせて1,000兆円を超え、現在も増え続けている借金を返済するのは子どもたちなのですから、子どもたちには、未来を生き抜いていく知恵と力を与える教育が必要になってきています。これからの地方は、中央集権から地方主権を目指し、教育について思い切った発想の転換をし、子どもたちの夢をかなえてやる教育を行う責任があると考えます。そのためには地方が連携を取り合って、地方には権限を渡そうとしない国と対峙する必要がでてくるのではないでしょうか。今の時代ほど、地方自治体の長の、時代を先読みした勇気ある前進が求められているときはないと思えてなりません。
ちなみに私が自治体の長ならば、優秀な子どもたちは積極的に海外の学校で学ばせ、やがてはハーバードやケンブリッジなど世界の名門校に進学できる教育政策を推奨します。勉強よりもパティシエや美容師といった技術の世界で勝負したい子どもたちも、積極的に海外の学校で学ばせ、世界をマーケットに活躍できる人材を育てる政策を推奨します。その際、民間企業のノウハウを活用することはもちろんのこと、必要に応じて就学援助の補助金を出します。しかしこの未来への投資は、公民館やテーマパークをつくったり、予算消化のための土木工事を繰り返すよりも、はるかに投資価値があるお金の使い方であると信じています。また補助金を投入した子どもたちが、世界で活躍できる人材として登場することが、地方のブランドになり、地方の励みにもなると考えています。
最近、都市部では日本の教育方針に見切りをつけた父母が、愛するわが子を小学校の時から、専門的なスキルを修得できるインド式教育の学校に通わせるケースが急増しています。また日本から脱出して、海外の学校に通わせるケースも増えています。日本の教育の限界を、時代の変化を感じます。
【地方主権(税の地産地消)のすすめ】
私たちは税の6割を国、4割を地方に払っていますが、私たちへの行政サービスは6割を地方、4割を国が行っています。言いかえれば、地方は行政サービスの6割を行っているのに地方の税収は4割に過ぎず、国は行政サービスの4割しか行わないのに国の税収は6割もあるという仕組みになっています。この不均衡を是正するために、国が地方に対して国庫支出金や地方交付税により税の再配分をしています。
このような、一旦、国が税を集めて、その一部を国が地方に再配分するという作業には無駄なコストがかかります。しかし税を地産地消として、「地方から集めた税は地方が直接使う」、言いかえれば、「地方に必要な税は地方から直接集める」ようにすれば、国から地方への税の再配分にともなう国による中間マージンの搾取という無駄がなくなるとともに、地方の税の使いみちについて国が口出しをすることがなくなるので、地方は、それぞれの地域の特性にあった行政サービスや教育政策を実施できるようになります。すなわち税財源を国から地方に移譲することが地方主権への一番の近道と考えられます。
また、税を地産地消とすれば、地方は国から再配分される税を頼りにできなくなるので、地方自らが努力して税収を増やさなければならなくなります。現在の税制では、大きな政治力を背景に、国から地方にお金をぶんどってくる国会議員がいれば、地方は努力しなくても国からお金をもらうことができるので、税の再配分に地域間格差が生じることがあります。このような全体の利益よりも個々の利益を優先する政治家を好む国民が多いという傾向は、今も昔も変わりありません。しかし税を地産地消とすれば、地方は政治家や国を頼りにできなくなり、自らの知恵と努力によって税を集めなければならなくなります。努力する地方は繁栄し、努力しない地方は衰退することになります。このような努力よって生じた差を格差とは呼びません。
これからの地方は、目標を決め、現状を変える勇気を持ち、自らの努力によって活力あふれる地方を創りあげていかなければなりません。その際、地方の目標の決め方がとても大切になります。だからこそ市町村長には、明確で具体的な目標を決め、強い政治的リーダーシップを発揮し、地方を変えていく責任があります。
もはや、これまでの中央集権システムでは、この国の未来に夢をいだくことはできません。国のために地方があるのではなく、地方のために国があるはずです。しかし国は地方に負担を押しつけても地方を愛してはくれません。
「地方から国を変える」、「地方から国をよくしていく」以外にこの国を救う道はありません。夢を抱く子供のように、地方は無限の可能性を秘めています。地方は未来を切り開く能力を備えています。
今こそ、税を地産地消とすることで地方主権を実現し、私たちの愛する地方を私たちの手に取り戻す必要があります。税の地産地消で地方の未来、日本の未来を変えることができると信じています。
知の巨人
私が学生だった頃、政治学の教授から「君たちは大学というところは、モノを教えてくれるところだと勘違いしてはいけない。大学とは君たちに知的好奇心を与えるにすぎないのであって、それさえできていれば、それは名講義だと断言できる」と言われたことがあります。
直島例会で同志社大学 村田晃嗣教授の講義を拝聴した後、無性に新聞や本が読みたくなりました。もっともっと深く考えてみたいという知的好奇心が湧きあがってきました。村田教授の講義は、点と点をつないで線になり、線と線をつないで面になり、面と面が組み合わされて立体になり、その立体が勢いよく膨れ上がっていくようなダイナミズムが感じられます。何の原稿も見ないで1時間30分をパワフルに語りきり、あらゆる質問にもスラスラと解答されるお姿を拝見して、「知の巨人」という言葉が浮かんできました。
村田教授の講義を拝聴するのは三度目ですが、国際政治を始め、いつも興味深いタイムリーな話題が多く、また裏読み先読みされた内容に圧倒されてしまいます。
知の巨人の講義を、世界が注目するアートの島「直島」の安藤忠雄設計のホテルで拝聴できるという最高の贅沢を堪能させていただきました。
不可解な未知との遭遇
アートの力とは不可解な未知との遭遇を通して人を変えることだと思います。美術館は、外界からの多すぎる情報をいったんシャットアウトし、芸術家が作った強い世界観に触れられるところです。そこで自分の生き方などの世界観を再確認できるのがアートの一つの役割だと考えます。
本来、アートは規則性や安定性を揺り動かして、私たちを知らない世界へと誘(いざな)う力を持っています。一方で経済はこれまで予測可能な上に成り立っていましたが、先のリーマンショックのように予測しなかったことが起きることがあります。極論すると、現実がアートを超えているところがあるように思います。今のような経済では、失職して再就職できずに引きこもったり、孤独死に陥ることもあります。そのような時に現実と社会との接点を持たすことができるのもアートの力だと思います。
現代人には、もっともっと身近にアートを感じることができる場が必要ではないでしょうか。
直島にはあちらこちらにアートが点在し、優しく人を迎え入れてくれます。またアートを縁として島のおじいさんやおばあさんとアーチストや若者の交流が活発に行われています。
岡山政経塾生と直島銭湯「I love 湯」に行きました。裸で現代アートを体感できるユニークな銭湯です。女湯には若い女性の楽しそうな黄色い声が響き渡っています。見あげると、男湯と女湯の境にはゾウさんが立っています。湯船の底には、なにやらエロティックな絵が描かれています。「混浴ならば、子宝の湯にしたいなあ」と楽しいことを考えていたら、湯船には、私一人が取り残されていました。
LEE UFAN美術館は大きな古墳のように感じました。まず、入口がどこにあるのか分かりません。あれ?あれ?と思いながらコンクリートに挟まれた通路をくねくね歩いていると、やっと入口に到着です。設計者のニヤッ!とした笑顔が垣間見えた気がしました。いざ、美術館の中へ。鉄板と石が向かい合って鎮座している。「なんじゃこれは?」と首をひねりました。しかし幸いなことに、自分好みの可愛い学芸員さんがいたので、アートの意味を尋ねてみました。すると、薄暗い中で、つぶらな瞳をキラキラさせ、しっとりと潤った唇をゆっくり動かしながら優しく解説してくれます。何だか妖しい気分になってきたので、「そうだ!アートとは「男と女が仲良くなれる道具である」と定義されていた方がいた」と思いだし、勇気を出して「今の貴女も素敵だけど 次の世で会えるなら 少年と少女で出会いたい」と言いかけたその時、「西村さん、帰りますよ!」との掛け声が背中へ飛んできました。ひと夏の恋は終わりました。不可解な未知との遭遇は、一人きりで楽しみたかったです。
おわりに
直島では多くの人に出会えました。直島銭湯「I love 湯」の周りでは地元のおじいさんやおばあさん、子ど もたちに取り囲まれてしまいました。「あんたI love 湯〜やろ?」、「ええ湯〜やろ?」、「今日はどこ泊るん?」と気兼ねなく話しかけてくれます。とにかく明るい、人懐っこい。屈託のない笑顔。直島銭湯を自分の宝物のように自慢してくれます。
私の住む岡山市では、知らない人から気軽に声をかけられることは極めてまれです。直島において、幸せとは、本当の豊かさとは何だろう?と考えました。人は幸せで豊かになるために生きているはずです。そのために、がむしゃらに働き続けることが必要なこともあると思います。しかし、今の時代、何か大切なものを見失っているのではないでしょうか。直島に行けば、あのおじいさんやおばあさんの笑顔に出会えると思うことが、今の私の大きな救いになっています。
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