2010年 直島特別例会

 
◆小林 孝一郎(岡山政経塾 九期生)
松下政経塾・日本青年会議所・岡山政経塾  直島合同合宿レポート
  『ゼロから物事を発想する』



1.はじめに
 今年の直島合宿は、松下政経塾と日本青年会議所との合同合宿ということで、例年以上に充実したスケジュールが組まれていました。目的には、「見る・聞く・体感する。考える力を身につける。発想の転換をする」とあります。直島は現代アートの聖地で、アートと瀬戸内海の自然が見事に融合した夢の島であることは認識していましたが、実物を見ないまま私は過ごしてきました。今回、私は、「なぜ直島に現代アートなのか」、「発想を転換するとはどういうことか」、この2点に着目し、アートや講演を自分の目で見て、聞いて、体感することでこれらの疑問を解決するとともに、私自身の今後の生き方や価値観を見つめなおすターニングポイントにできたらと思い、合宿に臨みました。


2. 知恵と努力、そして発想の転換 〜講演に共通していたもの〜
 慶応大学 清水浩教授による「21世紀社会と電気自動車」では、日本が世界に誇る技術力に希望の光を見ました。「19世紀に発明した技術を今も使い続けていることこそが、地球温暖化の真の原因ではなかろうか」、この発想に私は頭を打たれました。太陽発電や水力発電から得た自然エネルギーを、日本で発明・実用化されたリチウムイオンで蓄電し、動力や照明、熱や電気自動車へと利用することで、95%のCO2削減が可能になり、まさに「21世紀における新たな技術革新、技術の普及こそが、地球温暖化を防ぐ有効な手段となりうるのだ」ということを学びました。
SIM-Drive社による電気自動車普及戦略では、技術製品3原則や自動車価値3原則に応える形で開発を進め、他の電気製品の普及スピードを例に「普及スピードは最終的にはユーザーが決める」というお話から、電気自動車が開発途上の夢の乗り物から、実用化され、普及間近に来ていることを実感しました。
 「1社のみが勝つ時代ではない、みんなが勝つことが普及の条件」「情報は出せば出すほど戻ってくるので、隠すよりははやく広めろ」「国益より地球益を考えろ」「普及すればマーケットも拡大する。真似されてもまた、真似仕返せばよいだけ。マーケットはさらに拡大し、みんながハッピーになる。」教授が最後に言われたこれらの言葉に、21世紀社会におけるものづくりと新技術普及のカギが込められていたように思います。

 福原慎太郎益田市長による「益田を一流の田舎まちに」では、市長の故郷・益田市に対する愛情と政治に対する情熱を感じました。益田アイデンティティを打ち立てるべく、「欧米・東京しこう(思考、志向、嗜好)からの脱却」を謳い、歴史・文化・伝統を尊重し、人間・経済・視覚の3つの視点からまちづくりを進める発想に、私は地方自治の本来あるべき姿、原点を感じました。
 特に印象的だったのが、視覚という視点です。田舎の「日本の原風景」を生かすべく、景観デザイン課を作ったことです。「デザイン的に優れた商品が長期使用に耐えうる」「技術者は同時に芸術家でなければならない」という本田宗一郎氏の言葉に代表されるように美的センスを重んじることは、私にとって極めて斬新な発想でありました。倉敷、直島にあって岡山にないもの、それは魅力的な景観であり、美的センスでしょう。ある町を一目見て(at a glance)、その町だと瞬時に認識できるのは特徴的景観があるからです。それは奇をてらった新たな建築物ではなく、その町に昔から大切に保存してある特徴的風景でしょう。その意識に美的センス、デザインセンスが必要であるという考えに、これまた頭を打たれました。センス、感性を磨くことに地域づくりのヒントが隠されているように思いました。
 そして、リーダーに求められる資質として人間観を挙げられました。人間を知り、人情の機微を知り、人の長所を見抜き、それを活かすことがリーダーには求められ、リーダーは共鳴を得られる「理念と哲学」を持ち、現場で人や現実を知り、「絶対やりとげる」という強い覚悟が必要であるということを教えていただきました。

 同志社大学 村田晃嗣教授の「国際関係の中の日本」では、これまでの政治史から見た政治の現状と未来への課題を「タイミング」と「アイデンティティ」という2つのキーワードをもとに学びました。議席を減らすことを恐れて解散のタイミングを失うことで、結果的に大惨敗し、政権交代につながった先の衆議院選挙や、動かすことのできない政治日程をもとに逆算して行動を起こす必要性など、政治はタイミングがいかに大事であるか、また、リーダーはその「勘所」を認知する能力がいかに重要であるかということを教わりました。
 2010年にGDPで中国に抜かれ、世界第3位の経済大国となった日本。18世紀に始まった産業革命は世界中に広がり、産業革命以前の領土や人口といったものが21世紀の大国の条件となる中で、日本は世界に対してどんな国ですかという問いに対する答えが言えなくなっています。かつての「世界第2位の経済大国」という答えに変わる national consensus、national identityが見えなくなっているのが問題です。今の日本の政治に「理念や哲学」といった、この国の将来をどうするのかという大局的な視点が必要とされていることを痛感しました。
 そして、30台の国会議員が極めて少ないことを1例として、日本の唯一の資源である「人材」について、100年に1度の不足に直面していることに警鐘を鳴らされました。進駐軍で来日したジョージ・アリヨシさんの一片のパンの話「幼いマリコに」を引き合いに出され、全てのことが容易に手に入る時代となった現代の日本人に対し、靴磨きの少年の家族や国を思う気概と苦闘をもう一度考えるべきであると、メッセージをいただきました。日本人が忘れてしまった精神を取り戻し、10年、20年先を見据え、地域が、市民が厳しい監視の目で若い人材を優れたリーダーに育てあげていくことが、この国の将来を希望に変える礎になるということを学びました。


3.日本青年会議所、松下政経塾との交流
 懇親会の場では杯を交わしながら、青年会議所の方から活動やその精神について直接うかがい知る機会を得ました。松下政経塾の塾生さんとは、100キロ歩行の話題に始まり、医師研修制度や地域医療のあり方、医療財政問題などの医療政策について持論をぶつけ合いました。地域の課題から国が抱える問題まで、組織を越えて本音で話し合えたことは、何事にも代えがたい貴重な経験で、新たなつながりができました。
翌朝の早朝研修(体操、雑草抜き、ジョギング)と朝会では、松下政経塾の生活を体験し、切磋琢磨と感謝協力の精神を心に深く刻みました。自分自身の日々の生活においても、この取組みを一日の始まりとして取り入れていこうと思いました。


4.見えて見えず、知って知れず
 ベネッセ直島事業室長 笠原良二さんからアートサイト直島の説明をいただきました。アートサイト直島の発展に、三宅親連元町長の地域経営としてのまちづくり基本構想があり、3次産業の開発に努めた功績を知りました。理想を掲げ、困難に負けず、パートナーとの出会いを待ちつづけた10年を思うと、福武哲彦氏との出会い、そして福武總一郎氏に継承され、現在に至るアートサイトの発展は決して偶然ではなく、必然の産物であったように思います。直島に現代アートが根を下ろし、島民が参加した一大プロジェクトに変貌していった理由がわかりました。
 ベネッセハウスミュージアムで印象的だったのが、「タイム・エクスポーズド」です。水平線を撮影した作品が本物の瀬戸内海の水平線と同じ高さに展示され、一部が岬の崖に展示されていました。これは屋内にとどまらず、島の地形、風景をも作品に取り込んだサイトスペシフィックワーク、コミッションワークの醍醐味を実感した瞬間でした。地中美術館では、安藤忠雄氏の大胆なデザインと、自然光を取り入れ、表情が刻々と変化する地中ならでの建築空間と作品展示に驚愕の連続でありました。さらに、空き家を活用した家プロジェクトでは、角屋に代表されるように、そこにあるものを生かし、島民も作品作りに参加した素晴らしい取組みであることを知りました。
 こうして現代アートを見てまわりましたが、各々の作品や建築空間において、私自身、アートの意図するところ、示唆するところをきちんと受けとめているかというと、十分に受けとめていないように思います。ウォルター・デ・マリアの作品にあるように、まさに「見えて見えず、知って知れず」の心境です。現代アートとは、現代の問題や矛盾を提示したものだと認識しています。それを観賞する人が、どう受けとめ、何を感じ取るかは、その人次第といったところがあるのかもしれません。今の私には、まだ十分に理解できていません。この先も理解できないのかもしれません。しかし、アートとどう向き合い、何を感じ取るかは、その鑑賞者に委ねられているのかもしれません。発想を転換し、感じる眼、捉える眼を養うことができたとき、南寺のジェームズ・タレル「バックサイド・オブ・ザ・ムーン」で得た体験のように、見えなかったものが見えてくるようになるのかもしれません。



5.ゼロから物事を発想する
 アートサイト直島は最初から、周到なマスタープランがあったわけではなく、試行錯誤しながら築きあげてきた。しかし、根底には、常に「あるものを活かし、新しいものを創る」という明確なコンセプトが存在し、自然とアート・建築と人をコンテンツとしてbenesse=良く生きるについて考え、体験する場所を創るということは首尾一貫していた、と笠原さんは言われました。私は良く生きるとは、まず、「よく考える」ということだと思います。よく考えるとは、今までの既成概念にとらわれず、ゼロから物事を発想することだと思います。サイトスペシフィックワークやコミッションワークというコンセプトは、別の場所で出来た作品を持ってきて展示するのではなく、その場、その空間から発想しうるものをアートとして表現し、アートがその固有の空間との間で時間とともに表情を変えていくという発想です。これは、作品そのものが場所を選ばぬものとして永久保存されるような、これまでの美術品に対する概念を根本から覆す新たな発想であると、直島のアートを見て直感しました。
 同様のことは、まちづくりにもあてはまるのではないでしょうか。日本中どの場所に行っても同じような町並みで、同じような地域づくりでよいというのではなく、今やその都市やその地域に固有の、特色あるまちづくりが求められています。それはまさに、サイトスペシフィックシティ、コミッションシティとでも言うべきコンセプトではないでしょうか。私は分科会のテーマとして医療を中心としたまちづくり、「医都・岡山の創造」を掲げました。岡山が、これまで大切にしてきた医療に関する財産を生かし、新たな発想で、産業としても、経済としても、サービスとしても他のまちにない、医療を生かしたまちづくりの取組みを目指したいと考えています。
 直島では、島民のおじさんと20代の若い女性のつながりができているそうです。女性は島民のおじさんに会える楽しみがあり、おじさんも若い女性を案内する楽しみがあると言います。一見すると考えられないような人間関係ですが、これこそが発想の転換の産物ではないでしょうか。私は岡山政経塾の入塾式で「自分自身の変革に挑むこと」を決意表明しました。「自ら設定していた限界を取り払い、ゼロから物事を発想する、そんな人間に生まれ変わることを誓います。」と宣言しました。今回の直島合宿で、私が言った「ゼロから物事を発想する」ということがどういうことか、直島の現代アートがその答えを体現していました。人と人とを結びつける文化とアート活動、お年寄りの笑顔が絶えない地域活動をつぶさに見た直島合宿は、私自身の生き方における発想の転換となった実り多き2日間でありました。