2010年 直島特別例会

 
◆高田 尚志(岡山政経塾 九期生)
松下政経塾・日本青年会議所・岡山政経塾  直島合同合宿レポート
  『直島例会での学び』



◇直島例会に臨むにあたり
「南寺」の暗闇の中で、ハッキリと見えてきたものが一つある。
それは、前方にうっすら見えてきたスクリーンではない。
見えたのは、今回の直島例会の目的である「見る・聞く・体感する。考える力を身につける。発想の転換をする。」に対する、自分なりの答えである。

「目的意識を持て」
これは、先の自衛隊合宿で学んだことの一つである。自分には、初日の講義と二日目の現代アートに触れることの意味の共通点があるような気がしてならなかった。自分は二日間の例会を通じて何を得ようとしているのか。講義を授けることで知識を得て、興味と関心を寄せることも一つであるが、それ以上の何かを得るために、我々はこの島に来たのだと考えていた。講義を聴くだけなら、事務局でもどこかの会議室でもかまわないはず。「直島」だからこそ、それ以上の何かを得たい。二日間、これを自分のテーマとして例会に臨んだ。


◇「講義から得られた学び」と「現代アート」
4名の講師の方々から学んだことと現代アートから学んだことの共通点は何だったのか。

講義による具体的な学び
@ 三宅親連元町長の直島街づくりのキーワード「清潔・健康・快適」。1934年当時に、直島を観光地として開発したいと夢を語り、その思いを引き継いだ人達によって今日のような形にまで成されてきたことの凄さ。また「あるもの活かして、新しいものを創る」をテーマとして勧めてきた家プロジェクトや、ミュージアムなどのクオリティーの高さ。そして、それらを支えている住民や多くのボランティアの方々が、島に誇りを持っていること。形だけではない見えない部分、つまり人の心まで喚起させている瀬戸内の小さな島が、世界に向けて情報を発信していること。
A ガソリン自動車から電気自動車へ。個人益よりも地球益の為に、技術や情報を公開すること。
B 経営・政治に一見無縁に見える「美的センス」を取り入れること。街づくりを進めていく上で「美的センス」も必要であり、その感性を養うためには芸術に触れることが重要であること。
C 日本の真のリーダー不在の現在。日本の唯一の資源となる「人」を育てるための教育は、優れたフォロワーの存在によって初めて成り立つということ。グローバルに活躍する人ばかりではなく、ローカルに通用する、支える人材の育成も必要であること。

現代アートによる学び

直島でしか創ることのできない作品、直島のその場所でしか創れない作品、直島のその場所でその時にしか見ることの出来ない作品。それを見ることが出来、それが特別だと感じることが出来たのは、説明をしてくださった西美さんのお陰である。作品が出来るまでのストーリーや作者の思い。それらを知ることで、一つ一つの作品が尊いものであると感じた。


◇南寺の中で
正直に言うと、今回出会った作品の中で、心を奪われたものはわずかしかなかった。作品に自分の気持ちを無理やり移入させて体感しようとしても、皆が賞賛した有名な方の作品であったとしても、自分の心には留まらないものもある。こればかりはどうしようもなかった。しかし、それでも認めざるを得なかったのは、それぞれの作品のコンセプトや着眼点、製作手法などはやはり普通の人では思いつかない、感性や世界観があまりにも「独創的」であるということであった。

例会も終わりに近づいた頃、「南寺」に行った。それまでの自分は、二日間の成果は何なのかを考えていた。「現代アートの楽しみ方は、その人がどう感じるか・・です。正解はありません。」と、案内の途中で西美さんが言われていたのを思い出した。
南寺を出てほどなくして、自分は、「南寺」というものを、以下に記すように感じた。そして、そこでの体験あったからこそ、この例会で自分が何を学んだのかを明らかにする事できたように思う。

「南寺」の暗闇の中では何も見えず、目を開けているのか、目を閉じているのかも分からなかった。しばらくして、前方にうっすらと輪郭が見え始めた。「あぁすごいなぁ」と単純に思った。そして前に進みスクリーンの前に立った。僕は、それを疑いもせず「壁」だと信じていた。手を伸ばせば触れることも出来るスクリーンだと思っていた。しかし、それは光のカーテンで触れることはできなかった。
驚いた反面、常識にとらわれていた自分を感じた。
と同時に、これを意図的に作り出したジェームス・タレル氏の凄さを感じた。


◇まとめ
                「発想の転換をする」
このフレーズが自分を最後まで悩ませた。だからこそ、その先にある学びを得ることが出来たように思う。つまりそれはこう言うことだ。
何かを新しいことを始めるときには、常識にとらわれていてはいけないということ。講義の中でも、自らが触れた現代アートにも言える共通点は、そういうことであると思う。講師の方々のお話はどれも、常識にとらわれていない。だからこそ、新たに得られた知識の新鮮さに、私は喜びと興奮を体感できた。
現代アートも然りだ。作者の独創性と、常識をぶち破る、「発想の転換」が人々を驚かせ心を奪ってしまうのだと思う。それは、芸術に疎い自分にさえ、体感することで(つまり無理やり暗闇の中に放り込まれること)気づかせてくれた。

瀬戸内国際芸術祭2010、企画そのものも常識をぶち破っている。かつて、こんなにスケールのでかい芸術祭があったのだろうか。直島の三宅町長の、普通では考えられない想いから始まったリゾート計画。それはもはや、観光地の枠に収まるものではなく、世界の芸術文化の拠点となっている。

「見る・聞く・体感する。考える力を身につける。発想の転換をする。」
直島の今日までの歴史やアートが、それを身をもって教えてくれたから、すべての講義の内容がより説得力を持ち、私に染み込んで行ったのだと思う。
常識をぶち破り、新しい価値観を創出できる人間になりたい。
これが私の直島例会での学びである。