岡山政経塾 チーム21

 

◆岡山市中心市街地の現状と未来への取り組み◆
〜市民の声から〜


第二章  取り組むべき現状と課題、そして未来のための対策
 第4項 (2)観光客や訪問者が楽しむことのできる街について

                   7期生 富田 泰成


  (2)観光客や訪問者が楽しむことのできる街について

1. 「岡山屋台村」構想 企画概要

 では、前述の現状や課題を元に、観光客や訪問客が楽しむ事の出来る街を考えてみます。そこで出てくるのが、「拠点」としての「岡山屋台村」構想です。

(1)岡山市に「屋台村」を作る背景をまとめてみます。
 
●本論文の目的
政令市に指定された地方都市として、外から見た街の求心力を高め、訪れた人にとって魅力を感じることで人が戻ってくる街にすることを目指す

●目標と重点戦略
岡山市の観光活性化に向け、岡山市の年間観光客数を2008年現在の430万人の状態から2013年までの5年で100万人増やし530万人にする

―2つの戦略の方向性:優先順位と緊急度の高いもの―
@「招聘(招きいれ)」
岡山県外から岡山市来訪者を増やすための計画である。そのための施策としては、「やり方」・「対象」・「想定交通機関」の3つの観点で、PRする方向を見直していく。

A「街づくり」
呼び込むことができた来訪者を、満足させ、再度訪問したみたいと思わせる魅
力と求心力を街に持たせる計画である。そのための施策としては、「人の流れ」・
「拠点」・「ルート」の3つの方向で充実させていくことで、街の変革を推進し
ていく。


●施策の方向性
―重点施策―
@招聘(招きいれ)→対象を変える・・・観光目的外の平日来訪者を休日に岡山に呼び込む。そのために、岡山駅利用者(平日の出張者が対象)への街のPRと満足度向上策を実施する。     
A街づくり→拠点作り・・・そこに来れば岡山を感じることができる、岡山の魅力を集積した「場」をつくる

−観光客をリピーターに変える施策実現のステップ−
はじめて観光客と接触する場面から、同じ人が何度も訪問するまでの一連の流れをずっとつなぎ、離さないような仕組みを想定しておきたい。
・第一次接触:岡山駅利用者と触れるチャンスを逃さない 〜(岡山市:「歓迎」/お客様:「満足」)
・リピーター見込み発掘 〜(岡山市:「満足の提供」/お客様:「魅力」)
・リピーター創出 〜(岡山市:「期待の提供」/お客様:「感動」)
・リピーター継続 〜(岡山市:「もてなしの姿勢」/お客様:「馴染み」)

(2)「岡山屋台村」構想
 (1)で説明した背景の下に、招聘(招きいれ)と街づくりの両面から、より少ない打ち手で効果が見られる施策を考えることにした。

 そこで、岡山市の玄関口である岡山駅周辺(立地については後に説明する)に、はじめて訪れた人にも岡山に満足してもらえるような魅力ある「場」をつくり、そこが岡山の味と風情と人情の集積地として、発信拠点になることにより、より効果的に宿泊を伴う観光客になっていくことが可能になると考えたのである。また、岡山の観光客も、そこを訪問し、他の観光ルートを巡る拠点になっていくことで、街に人の循環をもたらす相乗効果の高い場を想定した。つまり、戦略の柱として、この「拠点」づくりを全ての最優先に置き、そこから各施策に効果が波及派生する道筋を考えたのである。そして、その戦略的な「拠点」として、岡山市の中心地に「屋台村」をつくることを想定した。(下図@参照)
 
 
 では、なぜここで「屋台」村でなくてはならないのか。今までの考察を通じて説明しておきたい。
 
 まず、「招聘」(招きいれ)の面では、岡山駅に立ち寄る遠方からの出張者を想定し、その来訪者が、岡山独自の人情と、風情と、味に満足できることで、観光者として戻ってくる働きかけになることを考えたのである。
 
 また、「街づくり」の面では、リピーターを創り出す魅力と求心力のある「場」の特性として、下のようにまとめてきた。
 
《場の求心力を高める4つのポイント》を組み込んだ「場」作り

 @ 過去・現在・未来を貫く連続性が感じられること。(時間の連続性)
 A あらゆる仕組みが、あるメッセージで一貫してつながっていること。 (風景の連続性)
 B 水面下の期待感を増幅させる、目に見えない部分へのこだわりを重視し
   ていること。(底の深さ)
 C その場所にこそ存在するものを感じることができること。(独自性)
 
 
この4つのポイントを条件にあてはめ、また融合し、「屋台村」を考案した意義を下の4点にまとめた。

その1 「時間の連続性」
 「屋台」は、世界で最も古い取引の場の形である。
 地方都市の、喧騒の営みの中に、昔から続く(「時間の連続性」)懐かしい街の風景を切り取って、自然に溶け込ませることで、そこで来訪者をもてなすのをずっと待っていたかのような温もりの空間を、「屋台」の姿で表現することを目指す。しかも、常設で、人が一息休みを取るのに適しており、その場を利用して昼間でも様々な催しをするのに適している。
 その効果としては、いつも岡山の面白い一面をみることができるため、「場」に、全体を見せない「底の深さ」(第3章参照)を持たせることができる。

その2 「空間の連続性」
 「屋台」であれば、それぞれが別の営みをしていたとしても、同一の狙いとコンセプトで全体を一貫した雰囲気で満たすことができ、一貫性あるテーマが伝わり、魅力を感じ取ってもらいやすい。

その3 人と人の距離の近さ:ハード面だけでなく、ソフト面を重視することで「底深い」場にする
 どんなに雰囲気の優れた施設を作っても、その中身が空虚では、底の浅い空間になる。よって、目には見えない部分であるが、人と人との触れあいの接点に厚み持たせた空間にしていくことを重視する必要があると考えた。
 「屋台」であれば、人と人の距離が自然と近くなる。そこに来ればコミュニティーが生まれる可能性も高い。そのような、「内輪」(地元)と、外から来た人をつなげるためのコミュニティーの場になることを目指す。尚、観光客との第一次接触から、別の「場」への誘導の足がかりがつかみやすく、人に直に岡山市の魅力ある旅路をPRするのに適している。

その4 「そこに行けばこそ在る物」=地産池消
「屋台」であれば、敷居も低く、身近に感じてもらえるため、地域の魅力をふんだんに織り交ぜた味と人情と風情を、より多くのバリエーションで、試してもらうことに適している。また、実際に味や人情に触れてみることで、魅力発信の場になりうる。(第2章のアンケートのフリーアンサーに「(ご飯が)美味しくない。岡山のご飯ならここだ!というのがない」「どこに行けばいいかわからない」という言葉を紹介したが、それを解消する意味でも、岡山の魅力を集積した身近な場が要求されている。)

 以上より、屋台という「場」により表現できることが、岡山の玄関口として、魅力を発信できる可能性を多大に秘めていると想定したのである。

●実行項目  
 岡山市の玄関口である岡山駅付近に「屋台村」を創出。

●「屋台村」の大テーマ
 味と人情と風情
 「味」=地のものへの徹底したこだわり
 「人情」=徹底した「もてなし」の心
 「風情」=徹底した懐かしさと温もりの演出
 
●「屋台村」の企画概要
―企画概要―
@名称    「岡山屋台村」(仮称) 

A日時   2011年8月オープン

B場所  岡山市西川緑道公園沿い・まとまった公園であれば条件は尚更良い。

 観光で、興味をもって歩いて見廻れる限界が300M〜400Mと言われている。岡山駅から西川沿いであれば、その範囲であり、また西川から「表町商店街」までであれば、もう1拠点を挟めば歩いて移動できない距離ではない。
 また、シンフォニーホール周辺から、美術館周辺へ、更に岡山城、後楽園までの距離も、同様に拠点を挟めば飽きずに歩行可能な距離となる。
 課題は、岡山駅から他へ広がる第一拠点が存在しないことと、「場」が分断されて、岡山の魅力を伝えるためのストーリーの一貫性が失われていることである。
 まず、第一拠点を西川もしくは、その付近に常設し、上記ルート沿いの「表町」などの商店街や、通りの風景にも同一のテーマ性を持たせて再整備することができれば、岡山駅からの自発的歩行による観光客の流れが確実に活発になると考えるのである (図A参照)。
 

C 「屋台村」に来て欲しい人
  
・岡山の魅力に気がついていない人
・岡山の美味しいものを食べることができる場所を探している人
・岡山のどこに行けば楽しい(旅ができる)のかを知りたい人
 
D 成功イメージの着地点:
  「屋台村」来訪者の「何度来ても岡山は面白い」という言葉
  
●「屋台村」から波及できる企画とメリット
@ 屋台村に屋台風のツアースタンドをつくる(「街あるきコンシェルジュ」)。
・客のニーズから、ルート、店、移動手段、岡山県観光の紹介を逆提案。
・地元大学生によるアルバイトなど。
A 屋台村全店舗とルート上の商店街加盟店で使える地域限定スタンプカード。
・店舗、或いは、岡山市の名所を回る回数に応じてスタンプが押され、安くなる仕組みをつくる。次回訪問時にも使用できる形にする。
・同時にこれを手にしている人の数とスタンプ台紙の工夫でリピーター人数の
検証ができる。
B 表町商店街に、100円市を各店舗の前に設置。
・表町商店街の各店舗の商品を店先に100円で売り出し、それを呼び水に、店
舗に人を呼び込むことを目指す。これは、全国でも成功例があり、より多くの
店舗が参加することで効果があがることがポイント。 
C 屋台村、土日の昼間〜夕方は地元の特産物を持ち込んだマーケットを実施。
・生協、JAなどとの連携をはかる。
D 屋台村に、平日の昼は、弁当屋がでる。
・ビジネスマンが弁当を片手に休憩できる場所にもなる。
・オフィスも周辺にたくさんあり、「コンビ二弁当では味気ない。食べに行くには高い」と思う人が買いに来る。
E 地元のタクシー・バス会社・ホテルとの連携(タクシーのポイントカード
と連携した割引サービス、夜間バスの臨時停留所設置)。路面電車の環状化企画
とのリンク
F 岡山駅〜西川〜表町〜美術館エリア〜岡山城〜後楽園の想定ルート沿いに
雑木や同じテーマの木などを植える。ルートの目印も、木で質素に作り、さり
げなく歩行者を導くことができるようにポイント毎に配置する。
G 屋台村人気店は、将来表町商店街にも出店でき、人気レストランも商店街
に徐々に増えいくような人材育成と、街全体の活性化の意図も考慮する。
H 地元大学生の積極的参加を促進したイベント等の開催を通じて、学生の地元貢献の拠点にもなり得る形を目指す。
I 農業高校の作物を、商業高校の子が売るイベントの開催も行なうことで
生の勉強を経験できる場の提供も行なう。また、その保護者が来ることで、地
元の人の交流にも影響を与えたい。

●実施までのスケジュール 概案
2009年2月末 論文提出
2009年4月〜6月 実地調査・研究深化・場所の候補選定
2009年7月  立ち上げ推進チーム結成
2009年9月  公共機関関係各所などに打診と相談・資金集め(〜2011年)
2009年10月〜12月 表町商店街、その他店舗との折衝・場所の確保の活動
2010年1月〜3月  各関係機関との調整・法的課題クリア
2010年4月〜 屋台村周辺環境工事承認降りる・屋台村店舗の募集
2010年8月〜 「屋台村」周辺環境の工事着工 
2011年1月〜6月  「屋台村」着工  
2011年8月  「屋台村」完成 スタート

●想定される予算(概算) 
詳細は試算中だが、資金集めがもっとも重要、かつ難解な課題である。
 まず、より多くの人の理解と共感を得るために、県や市、企業や商店街、市民団体、一般市民との対話を繰り返すしかないだろう。
 資金を集めることは、そのプロセスで信頼を前提とした共感が必要とされる。考え方を変えれば、そのプロセスの中で培われる挫折を味わっても折れない情熱と志があればこそ、「屋台村」は、確固としたメッセージを発する場になるに違いない。

 以上考えてきたように、岡山市に「屋台村」実現の筋道と具現化への道筋を立てていきたい。

2. 「屋台村」が岡山市の住民にもたらす利益    
 岡山市の観光客を5年で100万人増やし、2013年に530万人にするための施策として、「屋台村」の創設を考案しているが、地域への経済効果のみならず、当然地元の住民の心からの理解と歓迎と協力をなくして進めることはできない。
よってこの章では、地元住民に対してのメリットと安心について考えてみたい。

● 期待される経済効果 金額ベース の目標
 岡山県の「観光調査」によると、観光客の平成18、19年2ヵ年の1人あたり
の消費額の平均が、日帰り客で6199円。宿泊客で26,907円(表C参照)。

 これを岡山市に適用して考えると、2013年、岡山市100万人の観光客の増加を見込んだ「戦略案」では、そのうち、遠方からの取り込みを主に重視するため、宿泊客の増加が想定できる。よって、平成19年度、岡山県への観光客の日帰り観光客の割合が32.4.%であることから、これを45%まで増加させることを目標とし、シュミレーションしてみたい。
 
 「戦略案」により新たに観光客化した100万人のうち45%の45万人が宿泊。55万人が日帰りとし、それぞれの一人当たりの消費平均額を掛け合わせると下のような試算ができる。
 (450,000人×26,907円)+(550,000人×6,199円)=1,210百万+3,409百万=4,619百万(円)
つまり、46億円規模の観光による消費が、今までの消費額に加えて岡山市内に毎年もたらされる試算となる。また、これを経済効果の目標とし、岡山市民の商業活性化の起爆剤としたい。

●表町商店街の活性化に還元する
 2008年の「第22 回岡山市商店街歩行者通行量調査結果報告書」によると、表町商店街の通行量は、休日11万9258人(平日7万4284人)である。本「戦略案」では、観光客を2013年までに、100万人増やし、2008年の430万人段階から19%の増加を見込んでいる。
 参考に、その係数を、通行量に掛け合わせ、表町商店街の通行量の試算をすると、商店街の日曜日だけで14万人強の通行量が期待できることになる。
 つまり日曜日だけで1日に23000人規模の通行料を表町商店街に新たにもたらすことにつながる試算となる。その試算から、「日曜日に15万人の通行者」を目指すことを2013年までの表町商店街活性化の目標としたい。
  
 また、屋台村との相乗効果と観光ルート内での位置づけの明確化、また、新たな商店街独自の取り組みによる結果、商店街における消費額の増加も期待でき、あわせての商店街活性化に貢献できるものとしたい。
 また、屋台村で人気が出た飲食店を、表町や、その他の商店街にも移植することで、人気要素を街に波及させていくことも想定できる。

●地産地消と地域コミュニティー
 屋台村の「岡山の味・人情・風情の拠点をつくる」とした理念の下に、地域の農海産物を積極的、かつ最優先に使った食材を毎日定期的に消費することで、安定的な利益を、個人農家、市の農業、漁業関係者に提供することができる。
 また、個人農家が作った大根や、家で漬けた漬物、梅干、果物などを、夕方までの屋台村の場を使って販売することを計画していることで、作った人から食材を身近な感覚で買うことができ、市民に安心した食を提供したい。
 同時に、市民の買い物そのものを楽しくできるようにすることにも貢献する。
 更に、特に年配者が作ったものを直売できる場を持つことで、自尊心を高め、また、老人が買い物を楽しむ風景を日常に作り出すことができる。
 
 このように、地域で地域のコミュニティーを育てることが実現し、結果的に、観光客が日常の「連続性」を感じることができる空間づくりにも一躍買うことにつながる。

●環境面、治安面の発信基地になる
 環境面では、すべて再利用できるものを使用することを義務付け、学生のボランティアが定期的に集い、川沿いの清掃を行う運動の拠点にもしていく。
 更に治安維持面では、屋台村内に、岡山政経塾OBの山田氏の「岡山・・・・・」の立ち寄り場所を設置することで、街への治安面の象徴的存在になり、観光客や往来の市民の安全を市民の力で守っていく場所になることを想定している。

 以上のような、「拠点」がもたらす相乗効果により、岡山市民への経済的、精神的利益と安心をもたらす場としての貢献を確実に積み上げていくものとする。つまり、地域活性と観光振興の正しい関係を重視しなくてはならない。


3.「岡山屋台村」の設置に向けた課題と打開策
さて、岡山に「屋台村」の設営をするといった場合、法的規制、保健衛生面
の規制、治安面の規制、立ち上げ組織、場所の課題など、かなり多くのハードルを乗り越えなければならない。
 まず、日本における屋台の規制の詳細を考えてみたい。
 「屋台」は、江戸時代の享保年間(1716〜1736)に出現し、天明(1781〜1789)以後に盛んになった。現在の屋台の期限は、昭和20年(1945)の第二次世界大戦後の闇市などで、戦争引揚者や戦争未亡人や戦災で店舗を失った人たちが生活の為に始めたものと言われている。
 戦後全国のどこの都市でも商売の主流であった屋台であるが、食品衛生法(昭和23年施行)・消防法(昭和23年施行)・道路法(昭和27年月施行)・道路交通法(昭和35年施行)などの法律によって規制された。また、昭和39年(1964)に開催された東京オリンピックを契機に、戦後色を残したものや非衛生的なものを一掃しようとして全国一斉に排除されてきた歴史がある。
 
 屋台で有名な福岡市のHPでは、下のように述べられている。
 屋台の営業における規制は数多く、詳細に渡る内容となっている。
@保健所の食品衛生法に基づく許可や県警の道路交通法に基づく道路使用許可が必要。
A使用許可手数料も徴収される。
B営業できるのは間口3メートル、奥行き2.5メートルまで
C店外にテーブルやビールケースを出したり、歩道を占拠する営業は違法。
  博多の屋台の場合、以上に加えて更に厳しい規制が課されている。
@営業場所と大きさ(3.0×2.5m)が厳密に決められ、1cmでもズレたりはみ出してはいけない。
A上下水道などの設備を持たない屋台は法律上の扱いは露店になるので、メニューにはなまものや冷たいものは出せない。客に出す直前に熱処理した温かいものに限られる。
B営業時間は夕方の六時から翌朝の六時までの夜間に限られる。
C昼間は収納した屋台を営業場所に置いておくことはできない。      (福岡市屋台に関する表記 HPより抜粋)
 
 これらの規制は、全国的にもおおよそ適用されており、正式に許可を得て運営されている屋台は、博多(福岡)の他、小倉(福岡)・呉(広島)・仙台(宮城)などごくわずかの場所で合法的に営まれている。
 
 このように見ていくと、岡山屋台村を設置することにおける規制をどのように解決していくかを考慮しなくてはならない。
 しかし、これらの規制に、熱意とアイディアで挑み、屋台村創設を実現し、地方都市の活性化と観光客の呼び込みで成果を出すことに成功している事例が既に存在している。
 次章では、帯広市の「北の屋台」と八戸市の「みろく横丁」挑戦を元に、岡山市が学ぶべき点をまとめてみたい。


4.屋台による都市活性化の事例

(1)帯広の事例
 帯広の屋台の活動開始は、1999年の「まちづくり・ひとづくり交流会」からはじまり、2000年2月から協同組合の形で、本格的に始動している。
 
 「帯広市 北の屋台ホームページ」によると、「主な活動地域北海道帯広・十勝であるが、三方を山に囲まれた十勝平野のほぼ中央に位置する積雪寒冷地にある。日本屈指の大規模畑作、酪農地帯で、人口約17万3000人、総世帯数は約7万900世帯であり、2000年には、人口の停滞状態にあるほか、高齢化率15.3%、少子化率(15歳未満人口比率)15.6%で、子供と高齢者の人口がほぼ同じ状況にあった。
 また、既存大型店の増床や郊外移転、郊外部への新規出店とあわせ、中心市街地への来街者の大幅な減少が続いていた。帯広駅周辺では、JR線の鉄道高架化と駅周辺土地区画整理事業により、駅周辺の街区や道路が整備されたが、商業・業務系の土地利用が進んでおらず、中心部の空洞化が深刻な状態にあった」という。
 
 そのような状況のなか、その苦境を打開するために、自分達の資金と行動力でまちづくりに参加しようという人々や他のまちづくり団体等から数十名が集まり、「まちづくり・ひとづくり交流会」(後に行政や商工会議所の人々もメンバーに参加し「北の屋台づくりネット委員会」に変更。※)を有志で設立した。(「北の屋台」の運営管理を行う実施主体は北の企業広場協同組合)
 
 何度かの会議を経て、「街には中心部というへそが必要である」という共通認識を持つに至った。更に、商業や街の歴史の研究にも踏み込んだ結果、「屋台」というキーワードを見つけて本格的に調査と研究を始め、「北の屋台づくりネット提案書」を作成した。

 そうして「北の屋台」の取り組みが始まったわけであるが、開業には課題が山積しており、冬の寒さが厳しい十勝での屋台には大きな壁もあった。その上、法律・気候などの大きな壁?、行政や警察が管轄する道路法・道路交通法・公園法や、保健所が管轄する食品衛生法などの法律上の問題でのしばりが多かった。 
 更に、1代限りの営業権しか認められていない商いであり、新規参入ができないことが判明した。そこで、新しい屋台の開発に向けて、何度も保健所・警察署に通い、委員会を重ねてきた。
 その解決策を海外視察等も含めて研究を重ねて、十勝型オリジナル屋台が完成した。
 
@ 厨房部分を固定方式、その前方に移動式の屋台をドッキングした手法を開発。
A 民有地を使用して、上下水道、電気、ガスを完備した今までにない衛生的な屋台を開発。
B 既存の屋台は、法律上出す直前に火を通す温かいメニューしか出せないが、上記の新しい形の屋台では、保健所から飲食店としての正式な許可が取れるため、食堂と同じようになま物や冷たいものも出すことができるようになった。

 店のラインナップは豊富で現在19軒あり、ラーメン、串焼き、馬肉、ワインバー、飲茶、ブラジル料理、魚介居酒屋、チーズ生ハム、農家の店、そば、無国籍料理、など店構えも食べさせるものもバリエーションに富んで、洒落たものが多い。しかしテーマとして重視していることは、「ゆったりふうど」と「地産池消」としており、地の物を扱うことに徹底的にこだわっている。
北の屋台夜の風景 広場を利用した昼間の農作物市
夏と厳しい冬にも対応した、暖房器具付き、固定式屋台。水道、トイレもあるため衛生的

(2)八戸の事例
 八戸でも、帯広の常設型屋台の成功事例に学び、地域に人の循環をもたらすことを目指し、「みろく横丁」と称す屋台の集合地が立ち上がった。
青森の「食」を扱う屋台を配した食プランを考え、平成15年2月に青森屋台村の構想を立ち上げ、平成17年1月に建築が始動し、平成17年4月25日完成に至った。
 年商は、「みろく横丁」全体で、初年度から4億円を越え、07年度には5億5千万を越えるまでに成長し、その人の流れで八戸に人が循環してきたという。

 中心になって企画を推進した中居雅弘氏は、「みろく横丁ホームページ」に次のように語る。

「1人より2人。2人より3人。3人より・・・。というように、いろんな人が自然に集まり、何か楽しいこと、おもしろいこと、できれば身体にも心にも気持ちいいことをはじめたい。そんな情熱がカタチになった、八戸屋台村。おもしろいこと、愉しいことの真ん中には、いつもおいしい食べ物がある。忘れられない料理がある。ということに気がついたら、あとは早かった。
八戸周辺には素晴らしい食材があり、おいしい家庭料理があった。これも幸いしたかも知れない。でもそれ以上に、八戸というこの街が好きだから。北国の、なんの変哲もないところだけれど、どこへ行っても必ず帰ってきたいところだから?そんな気持ちが、八戸屋台村をつくったのです。
たとえば新幹線でやってきた遠くの友人をつれてきても、きっと自慢できるもてなしどころ。それが、八戸屋台村なのです。」

 「みろく横丁」には7つのコンセプトが通っており、その例外を全店舗に一切認めていないところが注目に値する。
@新幹線・八戸駅開業におけるお客様へのおもてなしの目玉とする。
A中心市街地を活性化する。
B日本初の環境対応型屋台村とする(全再利用など)。
C八戸の情報発信基地となる。
D若手企業家を育成する。
E八戸のオーガニック食材を利用し、八戸の郷土料理、新名物料理を提供する。
F飲食とともに会話や交流を楽しむスローフードを推進する。
 
 この7つを徹底してきたことに、「場」が持つ一貫性が保たれ、来訪者に魅力を発信し続けてくることができた秘訣があったのではないだろうか。
 尚、特にAにあるように、「みろく横丁」は、中心市街地全体の活性化を目指しており、06年には、それらを組織化した「八戸横丁連絡協議会」を設立し、点在する8つの横丁と店舗を紹介した折りたたみのパンフレットの製作をおこなったりしてPRの発信基地の役割を果たしている。
 また、街の通りのスナックやバーにも共通理解を仰ぎ、各店の前に共通の看板を出してもらい、ビールとつまみの値段を表示するようにしてきたという。それによって、出張者でも、気軽に見知らぬ店に立ち寄れる流れができたという。 (以上、「みろく横丁ホームページ」・「繁盛商店街の仕掛け人」鶴野玲子著参考)

(3)事例から岡山に汎用できること
 以上、帯広と八戸の前例を見てきたが、これらの取り組みから当企画に応用できるところは数多く発見することができる。
その要点を以下にまとめてみたい。
@屋台は据え付け型で全面を屋台の形をとり、瀬戸内の生ものを食せるようにする(地産地消)
A上下水道・電気・ガスを完備(衛生面重視)
B街全体のことを考え、街に人の流れをつくる源流の役割を果たす(情報発信拠点)
C昼間の有効活用ができること(市やイベント)
D屋台村で働く人材が商店街活性化の起爆剤になるような育成機能を果たす
Eプロジェクトチームで有志を募って活動をする。

 以上、屋台村を岡山に設置する際に汎用できることとして想定しておきたい。

さて、実際に「屋台村」立ち上げに向けて行動に移すとなった時に、Eにもあるように、必要なことは協力者と組織の存在である。その点を次章では触れておきたい。
 
 
5. 「岡山ふるさと屋台村」プロジェクト発足

企画実現に向けたプロジェクトチーム結成についてこの章では考えてみたい。
 
 岡山市の都市計画課に、屋台村構想の概要をメールで伝え、実現可能性について問い合わせてみた。
 都市計画課からは、下のような回答があり、行政職員の街を思う気持ちに共感するところがあった。

(以下岡山市都市計画課からのメール回答)
「私たちの国には、祭りや花見、朝市など、様々なかたちで公共空間を利用してまちに賑わいをつくってきた文化的・歴史的伝統があります。
 これらまち中の公共空間を利用した活動を通じて賑わいを作り出し、快適で楽しいまちづくりを進めていくことが、中心市街地や地域の再生、まちの魅力を高めていくうえで重要になってきています。しかし、公共空間の利用については、交通混雑の防止、管理責任問題、食品衛生上の危惧等から多くの制約があることも確かです。
 道路法・道路交通法・都市公園法・河川法・食品衛生法などの許可について、詳しくは各担当課によるものとなると思いますが、その前提として、公共空間の利活用ということもあり、賑わい形成自体の公共・公益的な意義の明確化や地域の合意形成、管理責任を明確化した実施運営主体の構築などが求められると思います。(中略)
 お問合せに対する答えとはいかないかも知れませんが、我々岡山市としても、まちの賑わい創出や歩いて楽しいまちづくりの推進のため、このような(NPOの活動など)住民主体の活動を支援していくこととしていますので、よろしくお願いいたします。」

 この行政担当者からのメールを読んだときに感じたことは、市民の役割とい
うことについてである。
 
 この街に住み、この街を歩く時、政治の決断の方向性に不満を感じる部分は多々ある。しかし、市民の役割として当事者意識を持ったものが変えていかなくてはならないことを自覚し、積極的に動かなくてはならない責任がある。
 特に街づくりを語る時、往々にして魅力あるものは、網の目のように張り巡らされた法律や決まり事の枠の中に、行儀良くそのまま収まるものは少ないのではないだろうか。その意味でも、魅力ある街にしていく施策に対して、恐れることなく声を上げることができるのは市民をおいて他には無いはずである。
 その市民であればこその大胆な企画を、より多くの人たちの納得を得られる形で実現していくために、多くの市民のかけ声と、それを受けた政治の決断と、行政の積極的遂行が求められる。
 そして、それをつなぐものは、この街をよくしたいという「志」をおいて他にはないのであろう。             
これまで描いてきた「戦略案」も、このような「志」の上に位置づいており、
そのための賛同者と、「志」を同じくする人たちとのプロジェクトによる共同作業を通じて、この論文の企画実現を図っていきたいと考えている。