岡山政経塾 チーム21

 

◆岡山市中心市街地の現状と未来への取り組み◆
〜市民の声から〜


第二章  取り組むべき現状と課題、そして未来のための対策
 第5項

                   6期生 大原 正


 (1)岡山の文化発信の現状と課題

1. はじめに

 『文化』は“人間の生活様式の全体”であり、“人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体”である。あわせて、それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。
 なぜ今あらためて『文化』を取り上げるのか。それは“本物を見る眼を取り戻す”必要にせまられているからである。
 数年前まで時代の移り変わるスピードの速さをドッグイヤーと呼んでいた。これは犬が人間の7倍の速さで成長し老いていく所以である。それにも増して今では、さらに18倍のマウスイヤーのスピードで世の中は変化しているという。人々は激しい変化に対応していかなければ社会から振り落とされてしまうと信じ、物事の本質を見失って行動し、目の前のものばかりに気を奪われてしまうようになった。その結果、金融危機の影響をまともに受け、人が人の中で孤独になり、悲しい事件・事故の報道を目にしない日の無い日々が続いている。
 いまこそ目先の激しい変化の中においても、ゆっくりと流れている本物を見る眼を取り戻し、さらに磨きをかけて、人間の尊厳と可能性を伸長させていく必要がある。そうしなければ、現在の混迷から脱出できないままその極みに達し、やがて絶望にたどり着く可能性がある。
 幸いにも岡山には時を経て形成された無形と有形の文化が数多くある。有形の文化には文化財があり、果物・ジーンズなど製品として親しみのあるものも、その歴史をたどると有形の文化であることを認識することが出来る。
 文化に造詣を深めると本物を見る眼を取り戻すことが出来る。岡山の歴史・文化・魅力を今まで以上に上手に発信・伝達すれば、やがて人を呼び、人に伝える過程において相互交流が生まれ、さらに岡山の文化そのものが発展していく。まずは岡山県民・市民一人一人が岡山の文化に理解を深めるべく努力することが重要である。それと同時に岡山市中心市街地の役割も、岡山の歴史・文化・魅力の発信に極めて重要である。そのためにどうあるべきか。現状と課題について述べることとする。


 
2. 現状
 岡山市都市ビジョン2007では、めざす都市像を実現するために7つの柱からなる都市づくりの方向を明らかにしている。その7番目に『文化力で岡山の誇りを高める』とある。岡山を代表する文化歴史エリアである岡山カルチャーゾーンへの来場者数は、平成17年度に249万人であった。目標となる成果指標は、20年後の平成37年に約20%アップの300万人が来場することをめざすとしている。魅せる歴史と文化として指定された岡山カルチャーゾーンは、私たちの定義する中心市街地にその一部が属している。
 

 この来場者数には心得ておくべきことがある。仮に1人が1日に5施設に来場すると、来場者数は5人とカウントされる。平成17年度に249万人であったとされる来場者数は、実は発表数字の1/5程度の50万人前後しか来場者がいなかった可能性がある。さらに観光客に絞るとその半数程度。およそ25万人前後の来場者数である。出来るだけ多くの人に来場していただくため、歴史・文化・魅力の発信について改めて考え直さなければならない。なぜなら文化は相互交流により発展していくからである。
 


3. 岡山県の文化力再確認
 『文化力で岡山の誇りを高める』。これを実現していくために岡山県の文化を再確認したい。三例を取り上げる。
 
@ 岡山後楽園
 文化財保護法に基づいた岡山後楽園についての位置づけを示す。
 文化財保護法第109条において“文部科学大臣は、記念物のうち重要なものを史跡、名勝又は天然記念物(以下「史跡名勝天然記念物」と総称する)に指定することができる”とある。また、第2項には“文部科学大臣は、前項の規定により指定された史跡名勝天然記念物のうち特に重要なものを特別史跡、特別名勝又は特別天然記念物に指定することができる”とある。
 1922(大正11)年、初めて名勝庭園に指定されたのは岡山後楽園であり、兼六園(石川県)・栗林公園(香川県)も指定された。そして1952(昭和27)年、初めて名勝庭園のうち特に重要な庭園が定められ、岡山後楽園は特別名勝庭園に指定された。つまり、格上げである。このときの指定は他に、東京都の小石川後楽園・旧浜離宮庭園、京都府の西芳寺庭園・天龍寺庭園・大徳寺方丈庭園・大仙院書院庭園・慈照寺(銀閣寺)庭園・醍醐寺三宝院庭園であった。岡山後楽園以外はすべて東京都もしくは京都府に属している。地方にありながら指定された意味は、論ずるに及ばない価値があると認められたからである。
 このように1922(大正11)年と1952(昭和27)年の双方に、いずれも初年度に指定されているのは、岡山後楽園だけである。日本全国の庭園の国宝とも言える最高の格付けを得ている。
 
A 白桃
 岡山の桃づくりは1875(明治8)年から今日まで受け継がれている。当時、中国から導入された「上海水蜜」「天津水蜜」をきっかけに、本格的な桃づくりが行われるようになり、温暖な気候と熱心な先人たちの手により改良・開発が続けられ、今までに30品種以上の桃が誕生しています。なかでも最も広く作られるようになったのが「白桃」です。白桃は上海水蜜を改良し、1901(明治34)年に誕生した品種で、ほかの生産地では見られない白さときめ細やか口あたりであっという間に岡山の名産になりました。
 岡山の桃の一番の特長は、その上品なまでの白さ。この白さの秘密は、岡山ならではの袋掛栽培です。まだ青くてピンポン玉くらいの実に一つ一つ手作業で袋をかけていきます。たいへんな作業ですが、太陽の光を直接浴びない桃は赤く色づかず、透き通るように白くてなめらかな口あたりの桃に育ちます。日光だけでなく、桃を傷つける風や雨、虫などからも桃を守るため、より美しい桃が育つわけです。
 袋一つをとってみても、色や紙質など種類もさまざま。袋掛栽培は、長い間の研究を重ね、先人たちが工夫に工夫を重ねてきた「伝統技術」とも言えます。
 特に清水白桃は、香り・食感・外観・品質ともに最高品種です。1932(昭和7)年に岡山一ノ宮地区で発見され、現在では県下のもも園の35%が栽培してます。しかも全国では岡山でしかつくられていない「最高の白い桃」として全国に「白桃」ブランドが確立されています。関東地区では赤い桃が主流となっているが、たゆまぬ努力で岡山の白桃を日本一にした土壌と気候、更には技術は岡山の誇れるものと言ってよいだろう。
 2006(平成18)年における岡山県の白桃の生産量は2,940t。全国シェアの38.3%を占めている。堂々の1位である。
 
B ベンガラ
 ベンガラとは、インドのベンガル地方(インドの西ベンガル州とバングラデシュ東部)で産出したことからその名がつけられた赤色顔料のことです。岡山県高梁市成羽町吹屋地区で作られていた吹屋ベンガラは、澄みきった赤色が表現できるとあって、その衝撃的な赤が印象に残る名陶の人気は、日本国内にとどまらず、西欧諸国にまで広がりました。その時代とは今から300年も前の江戸時代のことです。江戸幕府の鎖国政策のなか、唯一の貿易港である長崎出島から西欧諸国にもたらされました。日本最初の磁器であり、赤が印象に残る名陶とは伊万里です。この伊万里の赤絵付け顔料のほとんどすべてが岡山県高梁市成羽町吹屋地区で作られていた吹屋ベンガラであったといわれています。
 西欧の専門家からは、現在の伊万里の赤がこの当時の赤に遠く及ばないことを指摘されているほど、非常に高い評価を受けています。しかし、近代化学工業の発展で副産物的に早くしかも安く作られるようになり、吹屋で手間隙かけた伝統的製法は、効率という美名の前に価格競争に敗れ、製造業者は次々と廃業し、ついには1974(昭和49)年をもって幕をおろしてしまいました。江戸時代の中期に始まり、明治、大正、昭和と栄華を誇った吹屋ベンガラの生産は終わった。同時に吹屋ベンガラの色は、磁器の世界では完全に幻の色となってしまったのである。


 
4. 課題
 歴史の中で文化は育まれ、その時代を生きた人によって伝達され、後の世代に受け継がれる。しかしながら、どのように素晴らしい文化でも余程うまく伝えないと、30〜40年で衰え始め、それをなぞっても超えることは決して出来にくいといわれている。
 岡山市中心市街地は、岡山県の県庁所在地であり、2009年4月には政令指定都市となる岡山市のなかで、最も人の集まりやすい要素を持つべきである。言い換えれば、岡山市中心市街地には岡山県を代表して岡山県全体の歴史・文化・魅力を発信する責任がある。
 岡山後楽園から文化を学ぶにはそこに足を運び、文化を肌で感じ取ればよい。白桃から文化を学ぶには、一つ一つ手作業での袋掛栽培を思い起こして食せばよい。吹屋ベンガラの澄みきった赤色から文化を学ぶには、江戸時代中期の伊万里を自らの目で見るとよい。いずれも基礎知識は必要であることは言うまでも無い。そこからさらに深く掘り下げてゆけばよい。
 正しい理解と認識が備われば必ず人に伝えることができる。そのために私たちに学ぶ義務がある。岡山市中心市街地がメディアであり、スポークスマンの役割を持ち、県民・市民は文化発信のセールスマンとなることが課題である。
 岡山に訪れた観光客の皆様に感動していただければ、その方々はリピーターになり、やがて新たな観光客を伴って再び岡山に訪れることになる。そしてそれは、岡山の文化がさらに発展していくことにつながっていく道標となる。



 (2)岡山が誇る歴史・文化・魅力の発信について

1. 生涯学習の理念
 『文化力で岡山の誇りを高める』ためには、県民・市民一人一人が岡山の文化に触れ、学び、習得しなければならない。今までに岡山文化の知識を習得するためにどれほどの機会を持つことができたのであろうか。
 教育基本法の前文、第一章(第一条から第四条)には、教育の目的及び理念が定められている。そのうち第三条を以下に記す。
 
 (生涯学習の理念)第三条  国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
 
 法律に“その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。”とある。県民・市民が岡山文化発信のセールスマンとなり、岡山市中心市街地はメディアであり、スポークスマンの役割を持つことができるように、県民・市民一人一人は岡山の文化の力を信じ、知識を習得し、本物を見る眼を育み、そして人に伝える技術を習熟できる仕組みづくりを始める時である。
 
2. 提案
 岡山の文化の力を知り、県民・市民一人一人がセールスマンとなるために、次の3点を提案する。
@ あらゆる機会において、岡山文化を学ぶ時間を設ける。
A コミュニケーション能力を高める指導をする
B プレゼンテーション技術を教授する
 人に伝えるには自らに自信を持つことが大切である。知識不足が原因で自分に自信を持つことが出来なくなり、折角の機会に岡山の文化を伝えることに躊躇し、メッセージを発信出来ない可能性がある。しっかりとした自信を持つことが出来るように教育する機会を設けるべきである。
 また、より良い人間関係を築き上げていくためには、コミュニケーションの能力が大事です。岡山の文化を学び知識を習得しても、自分が話そうとすることをうまく伝えることが出来なければ、話し手も聞き手も不幸になります。
 そして、プレゼンテーション技術の習得です。岡山の文化はとても奥が深い。歴史の変遷のなかで様々な工夫を凝らした伝統的文化が存在する。「なんとなく理解できた」という状態のままでは、人に正しく伝わらない。伝えるべき要点を整理して、効果的に相手に伝える技術をトレーニングによって鍛える必要がある。
 
3. 文化の習得・発信・伝達
 義務教育の段階でなにをすべきか。まず、授業に岡山文化を学ぶ時間割を設けることを提案します。
 たとえば、「白桃」をとりあげるとする。
 小学校低学年では、まず、知識を習得するための時間割設定です。「白桃」の持ち方、食べ方、歴史など、基礎知識から袋掛栽培の袋の材質の意味、一つ一つ手間隙かけて袋掛けをする工程を教えて欲しい。現地現場での生産者の授業も是非取り入れて欲しい。日本は少子高齢化社会からすでに高齢社会に入っている。そして人口が減少している。あわせて伝統文化を生きた言葉で語ることのできる人々が、これから加速度的に減少する。子供たちの澄んだ心の中に、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感をもって伝統文化を伝えることを希求します。「白桃」はお金を払えばお店で買うことが出来ます。しかしお店に並ぶまでの時間と生産者の手間隙を惜しまない努力の賜物が岡山の「白桃」であることを、小学校低学年の生徒に教えていただきたい。
 次に小学校高学年では、発信と伝達の時間割です。「白桃」が大好きな生徒が県外に出かけたとする。「岡山は何が有名ですか」とか、「岡山は何がおいしいですか」と質問されたときに、迷わず「白桃」ですと答え、「○○の理由で私は白桃をお勧めします」と相手に自信を持って伝えることが出来るように、学んだ知識をまとめていくトレーニングを積む教育をして欲しい。自らが学んだ知識をまとめていくことが出来れば、何を伝えていくべきであるかということが明確になります。生徒が「白桃」について伝えたいそれぞれの事柄を整理整頓して、伝達する技術(プレゼンテーション能力)を磨いて欲しい。「白桃」文化を学んだ岡山の人々が「白桃」を語ることが重要です。ここに至るまでの「白桃」の歴史、生産者の方々の努力を知らない人が、数値化された桃の糖度だけを指標として「白桃」を評価するという薄っぺらで無機質な行いがあっても、決して惑わされることなく、岡山の文化に信念と自信を持てるよう教育を施していただきたい。
 さて最後に中学生です。以上のように「白桃」について学んだことを、英語で伝える時間割を組み入れていただきたい。外国語は多々あれど、現実問題としては英語が良いのではないか。海外に行き岡山のことを英語で話す機会に恵まれたときには是非、岡山のセールスマンとしてしっかりと「白桃」文化を伝えて欲しい。
 小学生・中学生より年長者においても岡山文化を理解しえていない人々が、まだまだたくさん存在します。その方々に学んだことを伝える先生となる機会を積極的に持って欲しい。人に伝えることを繰り返し行うことにより知識が豊富になり、コミュニケーション能力が向上し、プレゼンテーション技術が進歩します。子供たちの力を借りていくことは、岡山文化の発信と伝達に大いに役立つと考えます。その結果、教育基本法における生涯学習の理念の遂行が可能になります。
 
4. 岡山藩郡代津田永忠の功績
 岡山後楽園の造園に尽力した岡山藩郡代津田永忠の数ある功績のひとつを紹介します。それは百間川の開削と沖新田の開発です。
 当時、岡山城下を流れる旭川は、流れが浅く、洪水の被害が絶えませんでした。そこで、永忠は、城の上流地点で土手の一部を低くして(荒手堤)、東の中川までつなぎ、洪水時には旭川の水がそこで分流されるようにしました。
 さらに、後には、この百間川を排水路として延長し、その河口に南北4km、東西5kmという大干拓を成し遂げます。工事はわずか6ヶ月という驚異的な速さで完成し、造成された。1,900haにも及ぶ干拓地は沖新田と呼ばれました。また、百間川河口部には、高度な排水機構である「唐樋(からひ)」が考案、設置されましたが、この唐樋は、1967(昭和42)年に新河口水門ができるまで実に263年間の長きにわたり、岡山を高潮の被害から守り続けました。永忠により開発された新田は、全て合わせると2,800haを超え、藩の財政を大いに助けました。
 津田永忠の行いは、一見すると洪水から人々を守るということに重点が置かれ、あたかも緊急事項に対応したかのように考えられますが、結果的に河川の氾濫などで土砂が堆積して出来た新しい土壌を肥沃な土地に変えていき、現代の岡山の農業の礎を作ってくれたといっても過言ではありません。
 現世のみならず後世を生きる人々のために、自然を破壊せずに変化させていった津田永忠の功績は、その精神そのものが岡山文化である。文化に造詣を深めることから本物を見る眼を取り戻し、物事の本質を捉えながら行動するために、津田永忠の功績から学び得ることは余りにも大きい。私たちは貴重な誇るべき文化を持っている。
 
5. 『文化力で岡山の誇りを高める』
 雲ひとつ無い、澄んだ青い空を日本晴れという。空を見上げると心が落ち着く至福を感じる。澄んだ青い空は明日以降も見ることが叶うだろう。しかし吹屋ベンガラの澄んだ赤色はもう見ることができない。経済優先の環境破壊が進むと、やがて澄んだ青い空も見ることが出来なくなるかもしれない。失ってしまえば、取り戻すことが容易でなくなり、二度と取り戻せないものもある。
 現在日本は100年に1度といわれる経済危機の真只中にいるという。松下幸之助さんは生前「好況よし、不況さらによし」といわれた。不況のほうが気を引き締めて真剣になるから道も見つかりやすいということだそうです。何事もうまく行き過ぎると安易になり、大切なものを見失いがちになります。いずれ景気が回復し、再び目の前のものばかりに気を奪われてしまいそうな時代になったとしても、本物を見る眼で必ず物事の本質を捉えながら行動しなければなりません。
 本物を見る眼を取り戻し、物事の本質を捉えながら行動する訓練をするには、今が一番良い機会である。今こそ文化に造詣を深めるときである。そして習得し、技術を磨いて発信し、伝達しよう。決して内に閉じ込めることをせず、外に開くことを心がけながら文化を発信する。本物であれば本物であるほど、他との摩擦によりさらに磨かれ、成長する。文化は相互の交流によって発展していく。
 岡山県民・市民一人一人は岡山の伝統ある文化を大切に思い、本物を見る眼を養い、そして未来に生きる人々に伝えなければならない。
 文化力は岡山の誇りを高めることができるからである。