岡山政経塾 チーム21

 

◆岡山市中心市街地の現状と未来への取り組み◆
〜市民の声から〜


第三章  実現可能な未来の目標に向かって、さぁ!行動を起こそう。
 第1項 政治の責任・行政の責任

                   チーム21



 政治は、中心市街地の空洞化に対して、どのような対策を講じてきたのだろうか?
 政治は、中心市街地の商店街の崩壊に対して、どのような対策を講じてきたのだろうか?
 緑を植えただけで、利用する人が少なくなった西川緑道公園に対して、どのような対策を講じてきたのだろうか?
 残念ながら私たちは、政治の意思や痕跡をこの中心市街地から見つけ出すことは出来なかった。
 勿論、政治の責任だけではなく、当事者責任が最も大きいことは、間違いない。
 しかし、政治と行政の責任は大きい。当然、大店法を改正する時の、セーフティーネットは不可欠だったし、「まち」のコミュニティーの崩壊、それによる地域で支えなくてはならないのは、教育や治安、そして高齢化社会への対応等々の課題が先送りされていると言わざるをえない。
 商店街の崩壊は、地価の下落につながり、廃業・転業・倒産が後を絶たない。
 
 西川緑道公園においては、整備をしようとした原点を大切にし、先人に学び、両脇の道路は歩行者専用道路にすべきことは申すまでも無い。
 岡山市を南北に流れる西川沿いの公園は、四季折々の草花を楽しむことができるとされているが、この草花を楽しんでいる人は少ない。市民は、繰り返し西川緑道公園の活用を求め続けてきたが、今や駐車場通りと化し、一歩横道に入れば、風俗案内所が点在し、目を背けてしまう。
 
 平成10年、中心市街地の衰退に対処するために、省庁の枠にとどまらず、総合的に活性化策を展開しようと、「中心市街地活性化法」が整備された。
 平成12年、大規模小売店舗立地法が施行され、同じく、12年には都市計画法を大改正した。いわゆる「街づくり三法」である。これによって大型店の立地規制と中心市街地再生の法制度が整った。
 そして岡山市は、計画策定に着手し、基本理念として「様々な人が暮らし賑わう生活交流都心」を掲げ、「人と環境にやさしい都心の再生」を目標とした、「岡山市中心市街地活性化基本計画」を11年に発表し、市民も商店街も大きな期待を持った。
 今年、平成21年を迎え、「街づくり三法」がほぼ10年を経た今、商店街は活性化したのだろうか。私たちの血と汗と涙の結晶である税金をどこに投入したのだろうか。その予算をつけることによって、中心市街地は活性化したのだろうか。
 私たちは、幾度も岡山市の中心市街地を車で走り、そして何度も中心市街地を歩いた。私たちの目には、中心市街地が活性化したとは写らない。通行量も激減し、空き店舗は増え、空き地が点在し、コイン駐車場が乱立している。
 
 ある日、岡山市役所の経済局の商店街担当部署に足を運んだ。「岡山市に商店街はいくつありますか?」と質問すると、表町商店街・駅前商店街・奉還町商店街・医大前商店街を羅列された。西大寺地区の商店街は、言葉に出て来ない。でも、私は商店街の数をお聞きしたのであって、商店街連盟として組合を設立している数と名前を聞いたのではない。質問に答えてくれない。
 次に、「商店街の空き店舗は、いくつありますか?」と聞いた。すると「表町商店街は53軒。駅前商店街は10軒。奉還町商店街は30軒」との返事が帰ってきた。
 私は、「たぶん商店街は、あなたが言われる箇所だけではないし、空き店舗はもっとあると思いますが???」と言うと、「いや、目視ですが、調査結果です」と確信に満ちた返事が返ってきた。「では、2階が店舗になっていて、空き店舗になっているところも含まれていますか?」と問うと「当然入っています」との返事。
 商店街連盟に加入しているところだけの空き店舗をカウントしているのだ。でも、それだけが商店街ではない、と思うのは私たちだけだろうか。
 
 政府は平成18年、中心市街地活性化法を抜本改正し、中心市街地における都市機能の増進及び経済活力の向上を総合的且つ一体的に推進するための処置をするとした。
 私は次に、「中心市街地活性化法改正に基づいて、岡山市中心市街地の活性化計画はありますか」と質問すると「今、策定中です」とのこと。「では、いつまでに計画ができるのですか」と問うと「それは解りません」との返事。
 「でも、目標と期限を持って取り組んでおられるのでしょう。目標と期限がないと努力していることにならないし、結果が出ても出なくても良い、という判断だと受け取れますが」と聞くと、返事に窮す市役所職員。
 平成18年の抜本改正から既に2年半が経過している。これが岡山市の行政の現状。いや岡山市政の現状と言える。
 
 私は改めて商店街に足を運んだ。何度目だろうか、何度も歩いた。商店街を歩き、また調べた。少なくとも、駅前商店街は、一階部分だけの空き店舗に限っても、10軒を越えている。奉還町商店街は、一階部分だけで、100軒程度の空き店舗・シャッターが下りて、営業していない店舗を確認した。
 表町の空き店舗数が53店舗とはとても言えない。千日前商店街は、完全崩壊している。確かに、今は空き店舗ではなく、コイン駐車場だから、空き店舗と表現できないかもしれないが、以前は間違いなく店舗があった。そして西大寺町と新西大寺町の商店街も空き店舗は、30軒近い。とても、私の視点では、表町商店街の空き店舗が53軒とは見えない。
 
 岡山市役所では、岡山市の中心市街地の未来図は見えてこなかった。この事実に言葉に窮し、ただ机の前でたたずむ、私たちチーム21のメンバーがいた。
 過去に学び、現状を分析して、未来を創造しなくてはならない。しかし、原点である現状の把握が出来ていない。現状を把握していない市役所に、未来図は描けない。描く資格は無い。岡山市の中心市街地に、新しい未来は訪れない。
 私たちは、ただ見ているだけの、いや目を背けているだけの行政では、崩壊する中心市街地の未来はないと判断した。
 いくつかあるNPOの活動もイベント屋でしかない。イベントをして商店街が賑わっても活性化にはならない。商店街の活性化とは「買い物客で賑わう」ことだ。個店が魅力を持ち、消費者を引き寄せる、そこで通行人が増えて賑わう様相が出てこなくてはならない。
 完全崩壊したと言える千日前商店街に、「福福饅頭」を打っている店がある。夏には、カキ氷を食べに来る客で賑わい、土日には並んで待っている人がいるほどだ。この店の個性と魅力がお客を呼んでいる。私たちが行くラーメン屋は、真冬の深夜0時にもかかわらず、客が並んで待っている。この店の持つ味に、人が集まる。
 私は、商店街の活性化策は、個店の魅力を出す、伸ばす事以外にないと確信している。行政は、その個性と魅力を創出するためのサポートを徹底すべきだと考える。
 同時に、市民が自ら決起することが必要だ。
 
 では、岡山市の文化の発信はどのようになっているのだろうか?とHPを調べた。すると、岡山国際音楽祭・岡山市芸術祭・岡山市文学賞などが掲載されている。
 岡山市の文化を発信はこれで良いのだろうか?他府県の人たちが、この発信で岡山を訪れてみたいと思うだろうか。
 岡山市には、長い歴史と多くの先人が築き上げてきた伝統ある歴史と文化がある。
 栄西・宇喜多秀家・池田光政・黒住宗忠・緒方洪庵などの偉大なる先人が築いた岡山の歴史と文化。先人達は、50年、100年、200年先の郷土に想いをはせながら、その時代を生き抜いてきたと思います。だからこそ、今の私たちが、先人の想い・理念や哲学、文化に学ぶことが大切である。
 大勢の人が集まる観光地には、メッセージがあります。京都や奈良、鎌倉にはメッセージがあります。私たちは、岡山に訪れる人たちに、私たちの誇る先人の文化を届けたい。
 そして岡山の食文化は、世界に誇ることができる果物がある。何故か、タイヤメーカーが作成したミシュランガイドは、世界の素晴らしいレストランを掲載し、美味しい料理を伝えている。でも、食は料理するものだけではない。料理人の手を経なくても、岡山の果物は絶品だ。世界中のどの国のどの果物と比較しても、「白桃」「マスカット」「ピオーネ」「桃太郎葡萄」は、三ツ星ならぬ、「五つ星」だ。私たちの誇る先人が築いた果物は素晴らしい。これを岡山の食の文化として、全国の、世界の人たちに知っていただきたい。送り届けたい。それが、今を生きる私たちの責任である。
 
 岡山の文化のメッセージを届けなくては、岡山という街は、全国のどこにでもある、平凡な田舎街に過ぎないことになる。いや、素晴らしい文化があるにもかかわらず、それを発信することの大切さ、文化を理解していない岡山の県民性を疑われる。
 中心市街地から、岡山の誇る歴史と文化を発信することで、岡山に訪れる多くの県外客で心市街地が賑わうと確信する。同時に、岡山の歴史と文化の知識が少ない、次世代の子ども達に、より理解してもらうことに繋がる。
 
 世界遺産に名乗りをあげている江戸時代の岡山藩士・津田永忠が手掛けた閑谷学校や後楽園、倉安川吉井水門などの遺産、そして京橋の歴史文化等々多くの文化遺産がある。
 
 私たち岡山市民は、歴史と文化に学ばねばならない。だからこそ、岡山の歴史と文化を学ぶための文化祭であって欲しいと願う。文化の発信として、文化祭を開催することが目的であってはならない。何処でも聴くことができる音楽が文化振興ではない、と考える。
 
 政治は、未来に責任を持たねばならない。未来への責任を果たせねばならない。
 10年後、20年後、私たちの子どもや孫の時代に、胸を張って素晴らしい岡山の中心市街地を送り届ける責任が政治にある。同時に、今を生きている私たち市民にある。
 今は、非現実的であろうとも、近い将来に素敵なデザインを描いて、市民をリードし、未来を創造する責任を果たして頂きたい、と強く願うものである。
 勿論、私たち市民は、当事者としての努力をおしまない。