“国産ジーンズ発祥の地、児島”から“世界中から愛される、Kojimaデニム”に向けて
『児島初(発)!! 新しいデニムファッションのムーブメントを提案』
8期生 森田 明男
8期生 多田 英起
1.はじめに
岡山県倉敷市児島、この児島地区が“繊維のまち”と呼ばれてきたことは多くの岡山県民に知られている事実だと思います。なかでも,“学生服”は国内シェアの9割を一時占めたほど、児島の繊維産業を牽引してきたことは言うまでもありません。江戸時代の“真田紐”が児島の織物のルーツとするならば、その変遷は時代を経て“足袋”へと移り、そして“学生服”に。さらには、今回のチーム21産業・環境分科会で取り上げさせていただくテーマ“ジーンズ”へと繋がっていくのです。
児島のジーンズ産業は、数々ある岡山の魅力のなかでも、“国産ジーンズ発祥の地(日本ジーンズの聖地)”と呼ばれ、岡山が誇る、地場を代表する産業のひとつです。「メイド・イン・ジャパン」ジーンズのルーツが児島にあることは大変素晴らしいことです。生地や縫製・加工技術が世界で認められているが故に、世界に冠たるトップブランドのジーンズがこの地で生産されている、その凄さがこの児島にはあるのです。
近年、ユニクロやイオン等の大手流通小売り業者が発売した1,000円を切る低価格の格安ジーンズ攻勢や、100年に一度の大不況と言われ、世界中を襲ったリーマンショックでの景気低迷など、複合的な要因も加わって児島のジーンズ産業は大きな打撃を受け、活気を失いかけています。今こそ、真に“世界中から愛されるKojimaデニム”ムーブメントを作りたい。そんな熱い思いを込めて私たちは、児島ジーンズ産業の新たな魅力づくりに挑戦したいと考えました。
2.本場アメリカでの“リーバイスジーンズ”の起源
ジーンズ、Gパン、オーバーオール、デニム。ジーンズを総称する呼び方はいろいろありますが、多くの人がジーンズと聞いて思い浮かべるのは、鮮やかな藍色のインディゴブルーの、ちょっと厚手のごわごわした綿素材でできたパンツではないでしょうか。ここでは、最初にジーンズが生まれた起源を簡単に紹介いたします。
1870年、ゴールドラッシュに沸くアメリカ・サンフランシスコでジェイコブ・デービスという人がリーバイ・ストラウス(リーバイス社オーナー)からキャンパス生地を仕入れ、胴リベット(ポケットの端など力のかかる部分を補強するために打ち込まれたびょう(びょうー)のこと)でポケットの両端を補強して作ったワークパンツを鉱山夫に販売しました。これが人気を博し、多くの注文が舞い込んできました。この技術をジェイコブ・デービスはリーバイス社と特許申請したことが、1873年にリーバイスのジーンズ衣料として市民権を得ることに繋がりました。これが本場アメリカでのジーンズ黄金期の始まりです。
このようにジーンズはもともとの生い立ちが鉱山夫の作業着から出発をした衣料品です。しかしその後、アメリカでは、“マーロンブランド”や“ジェームスディーン”に代表されるような名俳優が映画のなかでジーンズをカッコ良く履きこなすシーンなども描写されたことでアメリカの若者を中心に大きな影響を与え、カジュアルファッションのなかのアイテムのひとつとして市民権を得ていったのです。現在でも世界3大ジーンズブランドと言えば、アメリカのジーンズメーカー“Levis(リーバイス)”“Lee(リー)”“Wrangler(ラングラー)”の名前を挙げることができます。今では世界中で愛されるファッションアイテムとなったジーンズですが、その源流はアメリカ発でした。
Gパンという呼称は日本独特のものですが、昭和の太平洋戦争終結後の日本でG.I(アメリカ軍人の俗称)が履いていたパンツだからGパン、他にも日本にジーンズを紹介した人物の名前がジーン(jean)でJパン、それが元の発音に近いGパンに変化したなど諸説存在しているようです。いずれにしても日本では、昭和20年代以降に普及したカジュアル衣料で、若者を中心にファッションアイテムとして40年代に急速に広がっていきました。
3.児島の人々が持つ開拓精神と児島繊維産業の歴史
「元来は、海に浮かぶ島だった。」と古事記にも記されている岡山県倉敷市児島。奈良時代より新田開発のための干拓が広がっていき、その後、安土・桃山の戦国時代、江戸時代、明治時代と大規模な干拓事業として引き継がれていきました。最終的に干拓地は拡大の一途を辿り、最後には陸続きとなった児島ですが、新田は増えたものの、塩分を含んだ土壌であること、また瀬戸内海沿岸特有の降水量の少なさなどから、米作には不向きな農地でした。
このような自然条件のなかで、綿花栽培が江戸時代中期から盛んに行なわれ、児島、下津井の港から上方の大阪や京都へ出荷されるようになった綿は、三河綿と並ぶ高級綿として重宝されるようになっていきました。さらには、江戸時代の岡山藩、池田藩主が「児島沿岸に位置する由加山、瑜伽大権現と海を隔てた讃岐の金毘羅大権現に両参りすると御利益が高まる。」という信仰を説いたため、児島の由加山参道が大勢の参拝客で賑わいました。その参拝客を対象にした商売として、綿を加工した“真田紐”、“小倉織”そして“雲斎織”による小物や土産物が開発されました。これらの小物、土産物は後に、“足袋”や“袴地”、“着尺”そして“厚司”などの繊維製品へと進化を遂げていきました。
“雲斎織”は、ジーンズへ。 “厚司”は、帆布へと後に製品革新していくわけですが、さらに言えば、児島周辺にはジーンズが生まれるべくして生まれた染色の技術が以前からありました。福山、井原などの地方では、文久絣という伊予絣や久留米絣と並ぶ備後絣が特産品で、藍染めの技術が発達していたということです。児島の綿花栽培と福山、井原の藍染め、児島ジーンズの創生を予感させる組み合わせがこの地区にはあったのです。
大正時代には、“足袋”の生産で全国トップシェアを誇った児島。日本人の生活様式が徐々に欧米化するにつれ、“足袋”の需要が激減していくと、その厚手の“足袋”の生地を裁断したり、縫製したりする技術を転用できた“学生服”や“作業服”を中心とした繊維産業、それらがさらに後にジーンズ衣料の製造、販売へと変化していったのです。
このように時代の変化に適応しながら繊維産業の内部構造を変化させていく児島。この変革の源泉、歴史を考えると、倉敷が生んだ大財閥「大原家」、児島が生んだ塩田王「野崎家」などの革新的な開拓者精神も産業転換を促す原動力となり、多分に影響を与えている気がしてなりません。窮地のなかに活路を見出し、新たな需要を模索して新しい製品を創造する。そのなかで脈々と息づいている昔からの栽培、機織、染色、縫製、加工などの産業集積もうまく活用する。そのパイオニア気質が日本のジーンズの一大産地にこの児島を押し上げたのです。
4.児島での学生服産業からジーンズ産業への変遷
太平洋戦争終結後、“繊維のまち”、“学生服のまち”として栄えていた倉敷市児島。昭和15年、「マルオ被服」を創業した尾崎小太郎は縫製業を始めました。「マルオ被服」が取り扱った製品も当初は“学生服”でした。しかし、新繊維素材が新たに開発され、テトロン(現・東レと帝人のライセンス商品)が主流となると、興和紡のビニロン素材を使っていた「マルオ被服」の学生服は徐々に売れなくなっていきました。そこで、東京や大阪で売れているアメリカ製の中古Gパンにヒントを得て日本製のジーンズを製造、販売することを決意したのです。中古Gパンを取り扱っていたマルセルからの依頼もあり、“学生服”から“ジーンズ”へと自社製造商品をシフトしていったのです。
当初は、アメリカのデニム生地メーカーであるキャントンミルズ社の生地を仕入れることで、ジーンズ製造委託権と箱根以西での販売権の契約をその生地を日本で取り扱っていた大石貿易と結びました。その年は東京オリンピックが開催された1964年のことでした。
さらにジーンズを一気に世の中のブームに乗せるため、独自のブランド名も開発することとし、尾崎小太郎の「太郎」が日本でのポピュラーな名前であることから、アメリカで最もポピュラーな名前である「ジョン」に、「小」という意味の「スモール」ではなく、「大」の意味である「ビッグ」を付けて「ビッグジョン」と名付けました。この「ビッグジョン」ブランドで東京以北での販売も可能となり、伊勢丹や西武などの大手百貨店も販路としてどんどん拡大していきました。そしてその後はレディスでは「ベティスミス」、量販店ブランドとしては「ボブソン(尾崎小太郎の実弟が経営)」などの別会社も立ち上げ、幅広く全国展開していきました。
昭和40年代になると日本人の生活様式はますます欧米化し、ジーンズは反体制、反戦争のシンボルファッションとして大勢の若者に支持を集めました。一方、「マルオ被服」の社名改め「ビッグジョン」ブランドを展開するビッグジョン自体も革新的な広告活動を展開、国産ジーンズメーカーとして最大手の地位を確立しました。ただ、現在では量販ブランドから専門ブランドまで多品種生産していることも影響してか、相対的なブランド価値はやや低下しています。その顕著な例が1,000円を切る低価格の格安ジーンズが世間を席巻した2009年の年に起こった「ボブソン」ジーンズの商標売却と言えるのではないでしょうか。現在では、「エドウィン」などの東京ジーンズメーカーが市場では大きなシェアを持っています。
5.日本におけるジーンズマーケットの動向と流行
それでは一般的なジーンズカジュアル市場についての動向などを見ていきましょう。矢野経済研究所の調査によれば、2009年のカジュアル全体の小売市場規模は5兆9537億円と縮小しています。2000年に6兆円を突破してから微増傾向を維持していましたが、2009年は一気に下落しました(図1)。そのなかのジーンズカジュアル小売市場規模も同様で1兆1946億円とマイナス成長でした(図2)。ジーンズの販売チャネルは約8割がジーンズカジュアル専門店で、その他が百貨店、GMS、通販となっていますが、1,000円を切る低価格の格安ジーンズ旋風も一段落し、単価下落も底打ち感が出始めており、2010年を境に回復基調になるのではないかと予測しています。

本数ベース(2008年度データ)で見ると、ブルージーンズは3,519万本、うち、男性は1379万本、女性は1,949万本となっています。なお、ブルージーンズに加えて、カラージーンズ等を加えたボトムスの市場規模は約5522万本。トレンドとしては右肩上がりだった市場も、ここ数年間は縮小傾向が続いています。特に女性の落ち込みが激しいです。ローライズジーンズの流行も一段落、消費者の中にも飽和感があるようです。
ここでジーンズ自体の直近の流行傾向とメーカー各社の最近の取り組みに目を向けてみます。1990年代には、ヴィンテージジーンズが人気を集めました。そのヴィンテージジーンズの良さを追求して作っていたレプリカジーンズが次に注目を集めます。さらに2000年にはプレミアムジーンズが登場、2002年には日本でも話題となります。これはセレブデニムとも呼ばれ、カジュアルアイテムで作業着的なお洒落ファッションであったジーンズの存在を高級感溢れるアイテムへと価値を引き上げました。著名なデザイナーが作るセレブデニムは2〜3万円台の価格が中心ですが、高額なものでは5〜6万円台の商品まであり、プライス、デザインなど多岐に渡っています。
逆に東アジア、東南アジアなどの安価な原材料、労働力を駆使した工場で作られた低価格ジーンズも2008年頃から市場に出回り、ユニクロの990円ジーンズなどに代表される量販ジーンズもカジュアル系小売店で多く販売されています。その最安値はドンキホーテで何と価格は驚きの660円です。また、形状的な最近の傾向としては、スキニージーンズがデザイン的に流行っていました。その反動か、最近ではバギージーンズにも注目が集まっています。
6.ジーンズファッションを牽引する協議会活動と課題
昭和40年代から急速にカジュアルファッションとしての地位を築いてきた日本ジーンズ史ですが、その普及をさらに加速させたのが日本ジーンズ協議会(JAPAN JEANS ASSOCIATION)ではないかと思います。日本ジーンズ協議会は、日本におけるジーンズ衣料の(輸入を含む)生産、販売を行う企業団体です。昭和55年に制定された通産省、工業技術院による衣料品の「JISサイズ規格」にジーンズ業界全体として対応し、活動を統一化するために昭和56年7月に設立されました。この団体の活動のひとつにジーンズの商品分類別生産統計調査の発表があります。もうひとつが次に述べさせていただく一般大衆へのジーンズ啓蒙のキャンペーン活動です。このキャンペーン活動の概要は、日本ジーンズ協議会が主管となって毎年、著名な芸能人を始め、活躍しているスポーツ選手、文化人、アーティストなどが選出される「ベストジーニストアワード」という顕彰を実施するものです(表1)。この顕彰活動がジーンズのファッション啓蒙に果たしている功績は非常に大きいと言えるでしょう。ジーンズはもともと衣料としての生い立ちが鉱山夫の作業着から出発はしているものの、アメリカではお洒落なファッションとして大きな市民権を今では得ています。日本でも西洋文化への憧れ、反体制としてのシンボルなど、同様にお洒落なファッションアイテムとして定着していきました。
しかし、それはカジュアルダウンとしてのあくまでもファッションアイテムであって、いわゆるドレスアップとしてのファッションアイテムとしてはまだまだ日本人に浸透しているとは言えません。以前、大阪大学で講義を受けていた女子学生がアメリカの教師からジーンズを履いて講義を受けることは非常識であるとの理由から教室から退去させられた「阪大ジーンズ事件」なるものもあったそうですが、今でもゴルフ場ではジーンズでのプレーはもちろんのこと、プレー以外でもゴルフ場内でジーンズを着用しているとドレスコード的にNGなところも多いと聞きます。また、ホテルや式場など、フォーマルな服装を求められる場所でもチノパンはOKでもジーンズはNGなところが多いです。
現在のカジュアルダウンとしてのジーンズのファッション人気はこれからも日本ジーンズ協議会でのキャンペーン活動を継続させながら、啓蒙に努めるとしても、ドレスアップとしてのジーンズの可能性について議論が拡がっていかなければ、高付加価値型ジーンズ自体の製品としての広がりは大きくは期待できないのではないかと思います。ユニクロに代表される低価格の格安ジーンズがどんどん台頭してくるなかで、ジーンズがファッション的に今以上に一層作業着化していくと、ますますドレスアップとしてのジーンズの市民権は薄れていくものと大変危惧いたします。

7.消費者層のジーンズに関する購入意識と着用評価
ジーンズカジュアル市場の動向や流行を把握した後に、今度は一般消費者のジーンズに対する意識を見てみたいと思います。調査自体は2006年11月実施のネット調査のデータ(インターワイヤード社)を参考としたいと思います(図3)。まず、ジーンズの所有本数は、「3〜4本」が33.8%と最も多く、次は「1〜2本」で28.8%、「5〜6本」が17.1%となっています。「持っていない」と回答した人は9.1%で、全体の9割以上がジーンズを所有しているという結果が出ています。性別、年齢別に見てみますと、男性は年代が若いほどジーンズの所有本数が多く、女性は30歳代を山の頂点として所有分布しているようです。またジーンズを履く頻度は、「大体毎日履く」が27.9%、「週に4〜5日履く」が15.4%、「週に2〜3日履く」が26%、「週に1日程度」が13.3%となっており、週に1回以上はジーンズを履いている人は全体で82.6%にも上っています。そのなかで30〜40歳代の女性は約4割の人がほぼ毎日と回答しており、普段着として日常生活に深く浸透していることが分かります。さらに所有しているジーンズの高いものの価格ですが、「5,000円〜1万円未満」が最も多く、38.6%、次いで「5,000円未満」が25.7%、「1〜2万円」が23%となっています。一方で1,000円を切る低価格の格安ジーンズが2009年3月にユニクロから発売されてからは格安ジーンズの所有率も増えており、15%の人が3桁ジーンズを購入していたことが別の調査(ORIMO調べ)で判明しています。格安ジーンズに対しては消費者の反応は概ね高評価であり、約8割の人が「デザイン」や「履き心地」に満足をされています。また、話題性としても高く、アンケート回答者の3分の1の人がネットでキーワード検索しており、今後の購入意識も44%の人が前向きな検討をしている結果となっています。
続いて、ジーンズを選ぶ決め手は、「価格」が一番多く、次に「デザイン」「履き心地」「シルエット」の順番。「サイズ」や「丈夫さ」も購入理由の一部として挙がっています。最後に最も好きなブランドを尋ねたところ、「リーバイス」が圧倒的、その次に「エドウィン」「リー」「サムシング」「ユニクロ」と続いています。

8.日本におけるジーンズ関連のユニークな取り組み展開事例
それでは、ここでは倉敷市児島以外で展開されているジーンズの話題づくりについて目を向けてみましょう。ユニークな事例として下記、3つの内容を紹介いたします。
(新聞社実施の新しいジーンズスタイル提案)
1つ目ですが、2009年に読売新聞社が実施した『ジーンズフィフティ』提案です。これは、団塊の世代を応援し、新しい大人のライフスタイルを提案する新聞とそれ以外のWEB、ブログなどのインターネットメディアも含めたクロスメディア企画です。基本テーマは、「50代になったときにジーンズの似合う大人になろう。そして50歳になったら、もう歳を取らない。」という生活スタイル提案で、メディアを通じてさまざまなメッセージを読者に訴えかけていくものです。企画の仕上げとしては、ジーンズフィフティ大賞を設け、読者からの投票で大賞受賞者の著名人を選んでいます。北野武(ビートたけし)氏や所ジョージ氏が受賞者として選ばれています。
(世界に認められる純国産・高品質デニム開発)
2つ目は、山口県で世界に通用するデニムを標榜し、いち早く「メイド・イン・ジャパン」のMD戦略を仕掛けた株式会社ブルーウェイを独立して『匠山泊(しょうざんぱく)』ブランドを立ち上げた岡部泰民氏の活動です。世界に通用するためには、世界に通用するデザインが必要ということで、2000年から若手デザイナーの発掘、育成を狙ったファッションコンテストを山口で毎年開催しています。また、2008年からは積極的に海外で開催される見本市、展示会でサンプルを出品。多数出品されているブランドのなかで高い評価を得ています。純国産を売り物として最高の副素材や加工技術を駆使したモノづくりは、国内だけでなく、海外からも話題を集めています。
(流行スタイルと素材コラボで新デニム商材を販売)
3つ目も、デニム素材を活用した新しいMDの取り組み事例です。国内ジーンズメーカー最大手であるエドウィンが開発した、見た目はデニム、履き心地はレギンスというユニーク商品、「デギンス(正式ブランドはLADIVA)」という製品です。以前、ジーンズは男性が好んで履くパンツというイメージでしたが、現在は6割が女性という構成へと消費者は変化してきています。2009年頃からブレイクしたレギンスの機能を付加したデニムニット素材とジーンズのような外観で2011年には人気が出そうな勢いです。
その他にもデニムをテーマとしたさまざまな巷での取り組みは数多くありますが、それはデニムへの人気が高いことを表している証拠と言えるでしょう。
9.児島ジーンズの課題と岡山でのジーンズ関連の動き
“国産ジーンズ発祥の地、児島”としてのアピールは確かに必要なことです。しかし、それは「マルオ被服」が学生服では商売がうまくいかなくなり、ギリギリの決断を下してジーンズ生産、そして販売に乗り出して成功を収めた「ビッグジョン」の状況と同じように、産業として新しさを革新していかなければなりません。「キャピタル」、「藍布屋」などの新興メーカージーンズは確かにデザインも斬新であり、その付加価値を高めることにより2〜3万円台の価格であるにも関わらず、一定のファン顧客を形成しています。
また、児島のジーンズメーカーを中心にその下請けをしていた工場が製品づくりの過程で編み出した洗い加工などの仕上げ技術は海外のプレミアムジーンズを販売する有名ブランド企業からも高く評価を受けています。
しかし、児島ジーンズ最大手の「ビッグジョン」のGパンの価格を今から3,900円を2万円に引き上げて売っていくことは相当至難のことでしょう。また、現状の価格は多くの消費者が求める価格帯であり、需要のボリュームとして見れば価格を引き上げる必要があるとも言えません。まず現在の児島ジーンズメーカーがやるべきことは、日本ジーンズ協議会の活動のように、共通の目標を掲げて、地道に継続的な啓蒙を行なうことではないかと思います。そのためには児島にある第3セクターの倉敷ファッションセンターなどの調整機関が打ち出す施策に対して、ジーンズメーカーも個々の企業努力に加え、団結して行動することが今後ますます大切になってくると思います。“国産ジーンズ発祥の地、児島”とアピールしても、そのジーンズがどれだけ素晴らしいものかが分からなければ人の気持ちは動きません。これからの児島ジーンズに求められているものは、“国産ジーンズ発祥の地、児島”から、さらに高みを目指し“世界中から愛されるKojimaデニム”というように過去の歴史を大切にしながらも、未来に向かってのさらなる目標を大きく掲げることではないでしょうか。
1,000円の低価格の格安ジーンズと競争しても、児島ジーンズには未来が見えません。やはりデザイン、機能、素材という品質3拍子に加え、イメージは重要な付加価値の要素です。倉敷ファッションセンターに取材させていただいたなかで、児島ジーンズの強みは、特にデニム素材のクオリティと製品加工のテクニックだと伺いました。昔からあるコットンデニムに加え、今ではウールデニムやシルクデニムなどの新素材も、この児島でどんどん開発されていることは正直知らなかった事実でした。児島初(発)!!の可能性はまだまだたくさんありそうです。
最後に岡山でのジーンズ関連の動きを簡単に紹介させていただき、そして新しい「児島ジーンズ」=「Kojimaデニム」ブランドの提言をさせていただきたいと思います。
・ JR西日本の「児島ジーンズバス」周遊運行
・ ベティスミスの「ジーンズミュージアム」「アウトレットショップ」開設
・ 大阪ミナミ・アメリカ村での「デニム研究所」の開店
・ 児島商工会議所による「児島ジーンズストリート」でのまち活性化
・ ビッグジョンによる「デニムスクール」の開校
・ 倉敷ファッションセンター、ジェトロ岡山主催の海外バイヤー商談会の実施
・ 藍布屋の「桃太郎ジーンズ還暦バージョン」の発売
・ 三菱自動車工業本社ショールームでのジーンズ展示会&市長対談の開催
・ISPコーポレーションからジーンズゴルフブランド「URA」の開発
・インブルーによる色落ちしにくい「デニムスーツ」の販売
・児島のある倉敷市では特産PRのため「ジーンズ議会」を開催
10. 提言:「“世界中から愛されるKojimaデニム”」の新たな提案
1.日本フォーマルデニムコンテストでのドレスジーンズの提案
それではひとつ目の提言です。日本ジーンズ協議会のベストジーニストアワード同様、倉敷ファッションセンター、岡山県アパレル工業組合などの支援を得て、「日本フォーマルデニムコンテスト」などのドレスアップジーンズの着こなし提案をしてみてはどうだろう。例えば、結婚式披露宴に出席する時に、例えばゴルフ場でラウンドするプレー着として。他の人に不快感を与えず、どちらかというと真似してみたくなるセンスの良いファッションスタイルを提案し、そのような着こなしを実際に実践している芸能人やスポーツ選手、文化人、アーティストなど顕彰するコンテストを児島(初)発で情報発信していくことも大事ではないでしょうか。
TPOのなかのフォーマルシーンに切り込んでいくことによって新しいジーンズの市場性を開拓していくことはとても大切なことだと思うのです。そのような活動のなかで、ジーンズをこよなく愛し、また郷土愛にも満ちた岡山県出身の著名人をデニム大使に任命し、イメージキャラクターとして登場してもらったら一気に情報は拡散していくでしょう。ドレスコードの規定がある場所では、次のような但し書きに出くわすことがあります。
Tシャツ・ジーンズ・半ズボン・甚平・浴衣・トレーニングパンツ・ジャージ・サンダル・草履などはご遠慮ください。 |
この文言から「ジーンズ」という用語を外していくような啓蒙活動に今後はもっと力を入れていけば、新しいジーンズ産業の可能性が大きく広がると考えます。
2.岡山中心地での一大デニム集積アウトレットモールの展開
ふたつ目の提言ですが、“国産ジーンズ発祥の地、児島”としてPRし、児島地区へ人々を呼び込んでいくことも大切ですが、児島地区へ大勢の人を呼び込むという物理的な制約を逆に児島地区が大勢の人がいる場所へ出かけていく、そのような試みをもっと行なっていけばいいのではないでしょうか。
例えば岡山市の駅と繋がっている駅ナカミュージアムで、または倉敷市に2011年新しく開業する予定の三井アウトレットモールで、全国で発売されている国内、海外のジーンズブランドを一堂に集めた「ジーンズアウトレットモール」を展開してみてはどうだろうか。低価格の格安ジーンズから有名ブランドメーカーの高付加価値ジーンズ、最も定番で人気のあるストレートジーンズからバギータイプ、オーバーオールタイプなどデザインも多種多様。もちろん、生地から仕立て、副素材までが自由に選べるオーダーメイドジーンズなども取り揃えておきます。
一部のメーカーだけでなく、世界中のジーンズを集めるくらいのスケール感こそ、“国産ジーンズ発祥の地、児島”にふさわしい売場ではないかと考えるのです。自分だけの1本として消費者に購入いただくために、児島が永年培ってきたさまざまな加工技術なども体験できる工房などが併設できれば集客力も拡大していくものと思います。さらにはデニム生地を使ったユニークな生活用品、衣料製品も今まで以上に開発し、デニム素材の魅力をより発信できれば一層効果的なのではないでしょうか。
3.新しい価値を創造する共通のブランド“Kojimaデニム”の開発
最後の3つ目の提言です。世界に愛される児島ジーンズを作り上げるには共通のブランドを持ち、情報発信していくことはとても重要なことです。現在、児島地区には自社ブランドを持っておられるジーンズメーカーが約30社あります。ただ、“国産ジーンズ発祥の地、児島”を広告宣伝の謳い文句、キャッチコピーのように各社とも活用してはいますが、真に児島産をアピールできているとは言い難いのではないでしょうか。
“Kojimaデニム”の可能性はもっと大きいと私たちは思うのです。現在、地域ブランドとしての差別化を積極的に行なうための地域活性化の手法として地域特産品を商標登録申請ができるようになっています。ビッグジョンも桃太郎ジーンズもブランドは違っても、この児島特産“Kojimaデニム”の共通マークは両方のジーンズに付いている。そんな発想で児島初、児島発の「世界中の人々から愛される児島ジーンズ製品を新しく作っていくこと」が今求められているように考えます。あまり基準や規制ばかりを作るのではなく、“Kojimaデニム”としての共通目標を決めればそのマークを活用した個々の目標と全体の目標に照らして整合性のある場合に活動は申請式で受け付けられるというようなスタンスが望ましいのではと思います。
11. おわりに
今回のチーム21論文をまとめるにあたり、多くの方のご協力をいただきました。岡山政経塾事務局長、小山氏の的確なご指摘では多くの示唆に富んだ提言のヒントを頂戴しました。また、“夢心ジーンズ”という自社ブランドをご自身でも展開されておられるリフォームランド代表の馬野様、そして児島のジーンズメーカー全社との調整役を果たされておられる倉敷ファッションセンター松本専務様、川東課長様との取材では、新しい児島ジーンズの発見や課題を頂戴いたしました。その他にも多数の方から貴重なご意見を賜りました。改めて謝辞を申し上げます。“国産ジーンズ発祥の地、児島”から“世界に愛されるKojimaデニム”へ。新しい児島初のデニムファッションムーブメントを是非作り上げていきたいと思います。この論文が少しでも児島が育んだジーンズ産業の新しい未来を切り開くことに繋がれば幸いです。
■参考文献
・吉備人出版 杉山慎策著「日本ジーンズ物語」
・岡山経済研究所発行「岡山ジーンズ産業調査」
・Krash japan編集「風と海とジーンズ」VOL.1、2
・ワニブックス発行「クール・トランス」3月号
・http:www.best-jeans.com
・矢野経済研究所発行「ジーンズカジュアル白書2009、2010」
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