2014年 直島特別例会レポート(直島・豊島)

『アートとは人の心に広がる宇宙』

下花 剛一 (岡山政経塾 13期生)

●はじめに

 二度目の直島。新たな感動と自己の成長を期待して臨みました。

●地中美術館

 まずは駐車場から美術館へと続く道、勢いよく彩られた緑の中に飾られた蓮の花が、日常とは違う世界へと導いてくれました。昨年見たクロード・モネの部屋が、自然と頭の中で再生され始め目に見える姿と過去の記憶と想像が入りまじり、空間と時間を超えた感触を十分に味わうことで、アートに向き合う準備が着々と整えられていきました。
 美術館に入ると、むき出しのコンクリートの冷たさが心地よい雰囲気を醸し出し、1年ぶりの再会を歓迎しているかのようでした。
 今回一番印象に残ったのは、三体の人形が違う速度で動きながらしゃべり続けている姿でした。そのうちの一体は、前かがみのまま止まっていて、とても具合悪そうに見えるにもかかわらず、他の二体と同じように話し続けている表情をしており、それが健康をかえりみず無理をし続けてきた自分を見ているようで少し息苦しく感じながらも、そこから目をそらすことができませんでした。
 タレルの光の空間やモネの部屋は、何度見ても新たな感動が芽生え、そこで時間を止めたいという気分になりました。アートの世界を求めるのであれば、一人で来てじっくり時間を過ごすことも必要なのではと感じました。

●家プロジェクト

 屋外を歩きながら感じるアートは、その土地すべてに広がっていました。
 作品だけでなく町並みや住んでいる人たちも含めてアートだと感じました。
 家プロジェクトを進めるうえで、住民にもアートづくりの参加を呼びかけるという取組みは、より良い社会を作る上で大きなヒントになると感じました。

●北川フラム先生の講義

 最初は何の話なのだろうと感じましたが、少しずつ内容がつながってきて、最後には心地よさを感じるほど、話に引き込まれてしまいました。
 人がつくりだすアートが人のこころを動かし、人のつながりを再構成して、あるべき人の社会へと導いていく、モノやお金だけでは成しえることのできない可能性がアートにはあると確信できました。

●豊島産廃現場

 知らないことが罪だと思うぐらい、衝撃的な現実を見せつけられました。
 怒りと憤りがその場の空気を伝わって全身の隅々まで響いてくるような、思いのこもったお話を頂き、時間のある限りお話を伺いたいという気持ちで、完全に意識が釘づけになりました。
 過ぎた時間、かけたお金は戻って来ません。しかし、そこで起こった現実を伝えることで多くの人たちに学びを与えることは、非常に大きな価値の創造だと感じています。 

●豊島美術館

 とても静かな空間に音のない水の動きが印象的で、不思議な感覚に襲われました。無音に響き渡る時間の流れが水によって表現されていて、自然とその世界へと吸い込まれていき、頭の中に次々と違う世界が描かれていきました。
 その水玉の振る舞いに生と死を思い浮かべました。時折生まれるそれは、途中の道のりに差はあれど、集まり寄り添いながらすべて例外なく死に向かっている、こういった視点で人間としての自分たちが置かれている状況を考えてみると、なぜ懸命にそんなことをしているのかと疑問が生まれてきます。
 次々に生まれて消えていく水玉に空虚なさまを感じ、その行為に何の意味があるのか理解できないまま、時間と水玉が流れていきました。やがて時間がたつにつれ、そういった疑問すらも消えていき、いつしか水玉の流れと同化している自分がいました。

●豊島美術館

 初めは少しきつい表現に見え、受け入れられないのではと感じましたが、次々と作品を見ていくと、思いのほか強い共感を受けてしまいました。その世界は、私のイメージの中でさらに大きなものへと進化していき、今まで触れたことのない世界が頭の中に広がっていきました。
 前回の直島でたどり着いた、アートとは「アーティストが表現する世界」だけではなく「作品に触れた人々がつくりだす世界なのだ」ということを、再確認した瞬間でした。

●おわりに

 アートとは、人の心であり、生命であり、宇宙なのだと感じました。
 生まれて死ぬという逃れられないレールの上にいるからこそ、想像という無限の宇宙を繰り広げることができるのではないでしょうか。
 感じることで創り出すアートの素晴らしさと、人の繋がりによって構成するアートの重要性に気付くことができ、期待していた以上の感動と成長が得られた二日間でした。