2014年 直島特別例会レポート(直島・豊島)

『真実をとらえるための発想の転換』

坪田 弘市 (岡山政経塾 13期生)

1.合宿参加にあたり

 私がこの塾に参加させていただいている目的は、日常生活ではつい見過ごしてしまっている自分が社会にためにできる事と何をすべきなのかを深く追求することにあります。
 そして、口幅ったい話ですが、「社会をより良い方向へ変えていく。」という事が私の目標です。
 今回、私は生まれて初めて訪問する直島合宿に参加するにあたり、事前の先入観をなるべく持たず、参加する事にしました。
 できるだけ、真っ白に近い自分が対面して発見することは何か?
 より多くのものを吸収できるように電池でいえば、できるだけ、充電できるよう放電しきった状態で、いわば、あえて積極的に受け身の構えで臨みました。
 

2.直島、豊島でのアート見学から学んだこと

 ①まず、これまで他の美術館見学では感じたことのないことで、今回の見学でほぼ共通して感じたことは、「先入観を持って物事に臨むと真実を見ることができない。」という事です。
 例えば、家プロジェクトで最初に訪れた南寺での体験。
 昔、スピルバーグの映画「未知との遭遇」で観たような空間の中で、自分の目の前に見ているものが真実(本当の現象)ではないことを証明した建築物でした。
 ここでは物事をとらえる場合、一方向から見ただけでは、物事の真実をとらえることができないという認識を衝撃的に改めてした瞬間でした。
 パーク棟アート見学でもさらに同様の感動を覚え、ジェームズ・タレル氏の光の空間や豊島横尾館においても物事をとらえる場合、一つの概念(思い込み)でとらえるだけでは、物事の真実をとらえることができないと重ねて認識しました。
 視覚による錯覚。見えるものが真実ではない人間の視覚の錯覚。
 見たものが全てだとし信じると簡単に視覚のトリックに引っかかってしまう。
 つい先入観で物事を見てしまう人間の自惚れというものを再認識しました。
 そしてこの体験から、おして知るべき事は、視覚だけに限らず、聴覚、臭覚、味覚、触覚に至る人間の五感それぞれも錯覚を起こすものであるという現実でした。
 「物事と真実をとらえるためには、広く多角的な視野からアプローチしなければならない。」という、言葉で言えば当たり前のような現実を、まさに自分の身を以て体感することができました。
②もう1つは、これらのアートから発信されるエネルギー、パワー影響力の凄さです。
 アートは見るものではなく、感じるものという言葉の意味の再認識。
 奇想天外な発想は、人に感動を与え、影響を与えるものであると。
 例えば、今回の見学の中で特に印象深い「豊島美術館」です。
 私はここに入館して暫くの間、数年前に見た夢のような出来事と一瞬錯覚してしまったのです。
 まるでデジャブであるかのように以前に見たことのあるかのようなアート建築空間。しかし生まれて初めて行った場所でした。
 鳥のさえずり、風の音、森林の匂い、太陽の光。
 太古のいにしえより延々と営まれている生命の営みにも似た幻想的空間。
 この建築物の中の現象は母体の中の現象のようにも感じられ、何か人間として懐かしさを覚え、訪れた人間を何故か無言にさせてしまう空間でした。
 その無言からメディテーションへと導く力は、威圧的な強制力ではなく、むしろ水が高いところから低いところへと流れるがごとく、ごく自然なものに感じられました。
 私は、大学生時代に毎日のように座禅を組んでいましたが、今回はその空間の中で久々に無の境地からの発見に至りました。
 私の心の中での発想の転換でもありました。
 それは何かと言いますと、何もない空っぽの心の中からの沈思黙考状態の後、ふと自分がすべき事の大きなヒントを得たのです。
 館内に発生するほんの小さな無数の水滴。
 その水滴どうしが、いつしか一緒になりさらに大きな水滴になっていく。
 そして、全く予期しないタイミングで流れていく。
 小さい水滴のままじっと動かないのもの、丸い水滴のまま流れるもの、水滴がさらに大きく混ざり合い蛇のように長くうねりながら流れていくもの、流れる途中他の水滴も巻き込んでいくもの、その情景は千差万別でした。
 そして、最後には大きな水たまりへと向かっていく。
 一つの水滴や途中の水たまりが流れの方向を変えていく。
 この情景をただ眺めているうち、私にはこの水滴一つ一つが人間の象徴のように感じられました。
 人はこの水滴の流れのように他の人に影響を与え、そして大きな流れへと変化していっています。
 全く動かない水滴(人間)はそのままなのです。他に何の影響も及ぼすことはないまま消えていくのです。
 館内ではこの現象が毎日繰り返されるのですが、全く同じことは二度と起こることはないそうです。
 まさに一期一会の空間。
 私には世の中の大きな流れを変えることはできないでしょう。
 しかし、小さな水滴が小さな流れを変え、そして、その流れは大きな流れを変えていくように、私も少なからす世の中を変えていくことができると感じました。
 つまり、私は、じっと動かない水滴ではなく、流れに少しでも影響する水滴になれるのだと感じたのでした。
 これは、豊島美術館から感じた私の一つの解釈でしかありません。
 このように、アートとはそれを見る人によってそれぞれ感じ方も異なり、解釈もそれぞれ異なるでしょう。
 少なくともそのアートを見た人に様々な影響を与えるものではないでしょうか?
 アートに触れることにより、思考をリセットし、ものごとに対する捉え方が前向きになり、人間関係も好転し、集中力が高まることによって仕事の効率も上がるなどの効果が期待できるだけではなく、世界を変えることのできる力を持っていると信じます。
 やはりこれだけのパワーがあるからこそ、ここのアートに触れるため、世界の国の方々がはるばる訪れているのだと実感しました。

3.豊島 産廃の現場

 今回の合宿で、私が最も大きな衝撃を受けた事案になります。
 地理的に岡山からすぐ近くにあったにも関わらず、これまで遠い話であった豊島産廃問題。
 何度か耳にしてはいたものの、実際に現場を拝見し、「こんな無茶苦茶な現実があっていいのか?」と、さらなる驚きと怒りを感じざるを得ませんでした。
 この事件を起こした犯人が無茶苦茶であること以上に、その後の行政の対応が無茶苦茶な事実。
 なぜ事件になるまでの間、産廃の山が放置されてしまったのか?
 行政の不作為。
 これほどの問題になってしまうまでの経緯。
 解決までの経緯。
 その事実の何を聞いても唸ってしまいそうな取り返しのつかない現実の連続。
 そして、その残された産廃処理を続ける限り増え続ける莫大な経費。
 その費用は当時の香川県知事が負担するわけでもなく、香川県の議員が払うわけでもなく、今もすべて税金でまかなっているのです。
 まさに政治のいい加減さ無責任さを痛感する事案です。
 そしてこの事件においても、多くの住民の方々が関わり、大変な苦労をされました。事件解決の大きな機転となった平成2年の兵庫県警の強制捜査までの関わりの事実をうかがったとき、やはり大きな流れを変えるきっかけとなるキーマンの存在があったという事にも注目しました。
 もしもその兵庫県警の摘発がなかったなら、今も産廃は野放しになっていたかもしれない。
 今後どのようにして産廃を処理していくのかということはもちろんですが、それ以上に、このような悲惨な状況にならないようにするため、何をしないといけなかったのか、どうすればよかったのかということに非常に検討の余地があると感じました。
 ゴミ処理の問題は日本のみならず、世界各国が抱える大きな問題です。
 この豊島のゴミ処理施設には世界各国の方々が研修に訪れて、自国のゴミ処理の解決の参考となっています。
 不幸にも豊島は一人の悪人によって筆舌に尽くせないほどの被害を被ってしまいましたが、今はそれをバネに、世界の手本となるような島に進化しました。
 行政がどうあるべきか、そして政治はどうあるべきなのか、大いに心して取り組むべき事案です。

4.世の中を変えるもの

 私が入塾以降に、知り合いのY氏と討論した事があります。
 私が、入塾して何をしようと考えて入るかをY氏に話したところ、
 Y氏曰く、「坪田さんが、いくら何をしようと世の中は変わらないですよ。世の流れというものは決まっていて、行き着く所は結局一緒なのです。
 いくらもがいても全く意味ないですよ。」
 坪田「しかし、少しでも影響を与え、世の中をいい方向に変えたい。これまでも世の中の流れ(歴史)を変えた人物はいくらでもいて、人間は人間に影響を与えて生きている。」
 確かにY氏の言うように、大きな流れという物は変わらず、すでに決まっているのかもわからないです。
 しかし、何もしなければ、また何も言わなければ、何も変わらないことも事実です。
 その後も常に自問自答してきたこの命題の答えがでた今回の合宿でした。
 福武会長と直島町長との出会いのエピソードを家プロジェクト見学の際に伺いましたが、それも直島自体の歴史を多きく変えた実話です。
 もしもお二人の出会いがなければ、この直島のアートプロジェクトも存在しなく、今回の合宿すらもなかったでしょう。
 合宿初日に松下政経塾OBの政治家である佐藤広典氏、桂川孝子氏、福原慎太郎氏のお三方の講演と、その後の懇親会では、政治を通じての社会に対する影響力について生のお話がうかがえたことは、大変大きな収穫でした。
 また、今回の合宿例会での北川フラム先生による講演からはアートを通じて社会を変えていった実例をお伺いし、ここでもアートの力という物を再確認し、私の今後の方向性の大きな指針となりました。
 私は、何かアクションを起こせば、その影響の大きさは異なるにしても物事は変わると確信したしました。
 そして少しでもいい方向に世の中を変えたい。それが私の使命だと再度確信しました。
 そのために、社会に影響を与えることのできるリーダーとしての使命を再認識するとともに、真実を見極める事のできる幅広い知識と視野を持つことの必要性を痛感したことも今回の合宿での大きな収穫です。
 多岐のジャンルに渡り得るものが非常に多く、今後、街を変え、市変え、県変え、日本国変え、いや世界を変えるための大きなヒントも得た有意義な合宿でした。