2017年12月 
 伊勢神宮・おかげ横丁 視察

伊勢の神々と橋川社長、松阪肉

間野陽子 (岡山政経塾 16期生)

1.はじめに
 商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ。日本資本主義の父と称される渋沢栄一が残した言葉である。伊勢神宮内宮門前町おはらい町の中ほどで「神恩感謝」の精神のもと伊勢神宮参拝客をもてなすおかげ横丁には、日本人の原点としての「道徳」が受け継がれている。毎朝従業員が神宮に向かって二礼二拍手一礼をかかさないという有限会社伊勢福の代表である橋川史宏氏にお話を伺い、「おかげ横丁にしかないもの」を見つけた。

2.おかげ横丁の歴史
 江戸時代、伊勢神宮は全国各地から多くの人がおかげ参りに訪れ賑わいに溢れる場所であった。しかし第二次世界大戦後、神宮参拝の習慣が薄れるにつれておはらい町通りは衰退していった。そのような状況を受け昭和54年、伊勢名物赤福餅で知られる地元老舗企業「赤福」が中心となり内宮門前町再開発委員会が結成された。
 昭和63年にはおかげ横丁建設計画が始動し、「使わないで残す」のではなく、「使える町並み」を作るという活用型の町並み作りが始まった。その後伊勢市もこの計画に加わり平成5年7月、赤福が「おかげ横丁」を開業した。かつて年間観光客数25万人であったおはらい町には、今や542万人の観光客が訪れるようになった。
  (人で賑わうおかげ横丁)
3.基本理念とミッション
 ①感謝の心
  おかげ横丁の基本精神として「神恩感謝」の心がある。伊勢神宮を主役とし謙虚な気持ちで今あることをありがたいと神様に感謝することを忘れず、本物の商品、味にこだわることでおかげ横丁には自然と多くの人が集まるのである。
おかげ横丁の催し物の一つである神恩太鼓にもその精神が受け継がれている。太鼓を打ちながら無病息災と五穀豊穣を神に祈る日本古来の伝統を受け継ぎ、太鼓の祭りを神宮の神に奉納する。日本人としての原点を守ることで全国各地の太鼓打ちが伊勢に集結し、観光客にとっても太鼓打ちにとっても「伊勢に行かないと」と思わせることにつながるのだ。
  (伊勢うどんを食べながら太鼓の音色に耳を傾ける)
②伝統文化
  おかげ横丁の日本の伝統文化を受け継ぐという精神は、商品やサービスにだけでなく伊勢造りで統一された日本らしさを感じられる町並みにも表現されている。昭和63年におかげ横丁建設計画が始動するに伴い、伊勢市ではまちなみ保全条例を制定した。おかげ横丁の開業による観光客増加に伴い店舗が増加することを見越し、条例によって町並みを整えることを可能にしておくことでおかげ横丁の伝統建築様式で統一された町並みが守られている。
 ③商人らしさ
  おかげ横丁を歩いてみると方々から「いかがですか」と声がかかる。おかげ横丁に一歩足を踏み入れれば、その活気がおかげ横丁で働く商人達の商人らしさによって生み出されているのだと実感する。
  あるお店で伊勢神宮への行き方を尋ねた時、従業員の方は丁寧に道順を教えてくださった。私たちがお店を出て神宮に向かって歩き始めた時、後ろからその従業員の方が走って追いかけてこられた。「先ほどの説明だとわかりにくいかもしれないので」と私たちに地図を届けに来てくれたのだ。おかげ横丁で働く人たちは、そんな人たちだ。おかげ横丁には日本人の美徳である思いやりが溢れているのだと感じた。

4.おわりに
 ブランドの確立には長い時間がかかる。橋川社長はブランドを守るためには品質基準だけでなく導入基準を作ることが必要だという。価値の感じ方はそれぞれであり、たとえ高くても本当に価値があるものを提供し続けることがブランドとしての信用を築く。橋川社長から話を聞き革製品のセレクトショップである「かみなりや」を訪れた。めずらしい藍染めや柿渋染め、泥染めの革を使用した製品が並ぶ店内では藍染めのスニーカーや、クロコダイルの財布など他では出会えない商品に出会うことができた。百貨店に行けば日本中どこでも手に入る海外ブランドの財布を買うよりも、おかげ横丁でしか買えない珍しい藍染めや泥染めの財布を手に入れたいと考える人は多いのかもしれない。
 「ここにしかないもの」を求めて、おかげ横丁には全国各地から多くの人が足を運ぶのである。