2017年12月 
 伊勢神宮・おかげ横丁 視察

伊勢の神々と橋川社長、松阪肉

高田真也 (岡山政経塾 16期生)

○はじめに

 日頃、高速道路を利用して帰郷する私にとって、4時間以上車に乗って伊勢にいくことは相当の疲労を予感させた。でもそれは、全くの思い違いであった。車での道中は快適で、通快。同期との話は花が咲き、到着はあっという間だった。私はみなに我が儘をいって、神社に立ち寄ってもらった。猿田彦神社。天孫降臨の案内役を担った、物事を良い方向へ導いてくれる道開きの神。最後の最後まで、ご利益はつづいた。

○おかげ横丁と橋川史宏社長講演

 おかげ横丁に到着。街は人でごった返し、芸能人のテレビ撮影を横目に私は「伊勢うどん」を注文した。赤みそベースと思い込んでいたが、1口食して驚いた。たまり醤油と煮干だし。やわらかいうどんに絡みつく。うまい、うまいと舌鼓を打っていると、目の前で本物の日本太鼓がはじまった。「神恩太鼓」太鼓櫓で奏でられる音色は勇ましく、神々しく、まさに神に歓迎されているかのようだった。
 
  

   地下にある社長室に案内された私達は、おかげ横丁の成功の経緯、基本理念などを橋川史宏社長より伺った。昭和54年、内宮門前町再開委員会を立ち上げ、まず仲間づくりから始めた。1人で主張しては叩かれる。だから仲間をつくる。
この仲間づくりは以前訪問した、高松丸亀町商店街、湯布院など、成功している街に共通する事柄だ。伝統を保存するため、伊勢市とタイアップし、まちなみ保存条例を制定させた。これが功を奏し、まちなみの景観が保たれた。また「赤福」が中心となり3~5億円の寄付を市にすることで住民同士の意見相違を調整した。これは福武總一郎塾長の直島での公益資本主義でもそうだが、財ある企業が率先してその街の発展に寄与している例と同じであった。「感謝の心」「伝統文化」「商人らしさ」を基本理念に、年間20万人訪れる街を、500万人訪れる街にした。それでも社長は大したことはしていないとおっしゃる。神宮参拝に来られた方々をもてなす。伊勢の街本来の姿を演出し、日本人の心のふるさとをミッションとする。「建物」「商品」「催し」「接客」に注目してほしいとのことであった。
 講演後、同期4人残って、社長現在の夢を伺った。NHKの朝の連続TVドラマ「わろてんか」にでてくる寄席の舞台のような、芸能舞台をつくること。採算は別にして、日本古来の芸能も披露できる、日本文化を継承した、人々が集う場所をつくる。社長の目は輝いて見えた。
 その後、おかげ横丁にくりだし、ミキモト真珠でおみやげを買い、時間をかけて様々な店を巡った。同期といっしょに物色し、歩いていると再度、橋川社長にお会いした。そんなに沢山買ってくれたのですかと言われ「はい」と答えた自分がいた。同期の購入したものを両手に抱えていた訳だが、自分で購入した気分になっていた。ふと見ると、再度熱心に社長に質問する同期の姿があった。

  

○伊勢の神々、神宮徴古館

 とにかく多くの神々を参拝したかった。その為、宿泊することを決めていた。
参拝した神々は、猿田彦神社、佐瑠女神社、外宮、内宮、月読宮、倭姫宮、月夜見宮等、神々の数は22宮にのぼった。なぜそこまでたくさんの神々を参拝したのか、したかったのか自分でもよくわからないが、導かれたとしか言いようがない。バス、タクシー、電車、徒歩、様々な方法で、神々を巡る。待ち時間は、ほとんどなく、次々と交通手段を確保することができた事は、まさに奇蹟だった。
 晴天に恵まれた2日目、朝はやく目が覚め、窓に目をやると遠くの朝日が、朝焼けに輝き、まぶしかった。天照大神。祖母が毎日、太陽に向かって手を合わせていた30数年前の姿を思い出す。内宮入口、宇治橋前の鳥居の上では、太陽が煌々と輝いていた。その姿はまさに神秘。宮内を歩く最中、太陽は照り続け、参拝すれば森が鳴る。風がなびき、木々が大きく揺れていた。おはらい町通りで、立ち飲み屋を程なく見つけ、お神酒と同じ銘柄の日本酒を塩といっしょに味わった。体の中から、背中から熱くなる自分を感じた。「気」で満たされ、それはあたかも温泉に浸かっているかのようだった。
 タクシーの運転手に勧められ、神宮徴古館も訪れた。入口には、日本の国旗がなびいている。伊勢神宮、遷宮の歴史。時の権力者、豊臣秀吉や徳川家康直筆の遷宮命、朱印状などが印象的だった。神の事を知れば知るほど、古代のロマンを感じずにはいられなかった。

  

○松阪肉

 食べるならA5ランクの和牛。これは心に決めていた。同期が地元のタクシーに尋ね、おいしい店といわれる所に向かった。あいにく予約で一杯。その店でおいしい所を尋ね、いったのが「一升びん本店」。せっかくだからと皆で「上~」
のつく肉を頼む頼む。肉厚の霜降り。タン、ハツ、ミノ。大満足の松阪肉。
食後、宿泊先まで同期に送って頂いた。感謝感謝の松阪の夜だった。

          

○おわりに

 例会翌日、「赤福」が家に届いた。「赤福」本店で、工場出来立てを宅配してもらうよう、現地で手配したもの。霜の降りた朝、自宅に太陽の光が当たり、コーヒーをいれ「赤福」を頬張る。窓から、朝日を眺め「赤福」を食べていると、家の目の前を五十鈴川が流れているように思えた。まるで五十鈴川のカフェ。家の神棚には、伊勢神宮で購入し、お供えした「お神酒」が見える。その味と香りの記憶が伊勢へと誘う。仕事の朝も、気分は神々しかった。