『自衛隊生活体験入隊レポート』
高田 真也 (岡山政経塾 16期生)
○はじめに
自衛隊日本原駐屯地の門に到着すると、1人の自衛隊員が立っていた。ライフルを携行しいている。本物なのか。非日常の状況に、動揺する。車の登録を事前にしていた私は、所定の手続きで入門を許可された。門兵が私に敬礼をしてくれる。その顔は毅然としている。ライフルは黒く光っていた。
○迷彩服

一度は着てみたいと思っていた迷彩服。生地は厚く、重量がある。迷彩というだけあって、木々や草、土がまわりにあれば同じ色合い。夜でも赤外線を通さない構造なのだそうだ。帽子の裏には、製造者の所に、地元企業のクラレの文字が見える。親近感が湧いてくる。今から始まる訓練の序章の一枚。まさかこの後、自分の身に起こることなど全く予想していなかった。
○格闘
簡単なストレッチ、ブラジリアン体操した後、格闘訓練となった。ジャブ、
ストレート、そのためのステップや腰の回し方、膝蹴りなど一通りの型を教わる。日ごろ福祉職である私にとって180度違う内容。自分自身の本能というべきものが段々と増してきた。ミットを持ち、はじめて教官の蹴りを受けたが吹き飛ばされた。踏ん張っていたつもりだったが、それでも耐えられなかった。完全にスイッチが入った。本能が覚醒する。アドレナリンが噴き出す。自分の番が回ってきたとき、スパーリングの相手は、日ごろ鍛えている柔道家の同期だったので、迷うことなく渾身の膝蹴りを入れた。その時だった。両足袋はぎに痛みを覚えた。肉離れしたと感じたが、気持ちが高ぶり、興奮状態にあるためやめられない。蹴りが終わると、すぐさまパンチでのミット打ち。視野が狭くなり、ミットしか見えない。スパーの相手が先輩の女性に代わっていたが、それすら気づかず思い切りパンチを打ち込んでいた。もっと、もっと。教官の声に呼応するかのように全ての力を使用してフルスロットルで挑んだ。楽しくて楽しくて我を忘れていたようだ。我に返ったときは戦闘力0パーセント。次に匍匐前進が控えていたが後の祭り、両足は吊り、痙攣し、視野も狭くなりたっていられなくなった。ギブアップ。教官に告げた。戦線を離脱する第1号になってしまった。
○匍匐前進
1号、2号、3号。同期、皆の声が響きわたっている。それを横目に私は倒れ、なおも両足は痙攣し、教官に介抱されていた。実戦であれば完全に負傷兵である。
情けない。自分自身のパワーはコントロールしなければならない。青空を見上げ、今日一番の教訓を感じていた。とても復帰できそうにない。このまま寝ていようか。しかし、同期たちは歯を食いしばって匍匐前進していた。居てもたっても居られなかった。ある程度呼吸が整ったので前線復帰を申し入れた。後悔した。
やってみると中々前に進まない。皆に迷惑はかけられない。それでも声をだし、進まねばならない。被ったヘルメットが地から離れないようにし、前進する。どの方向に行っているのかすらわからなくなった。そして突撃。実戦であれば着刀して突撃となるのであろう。本当に相手を倒す掛け声で突撃する。人間最後に身を投げ出すときはこうなるのかと感じるくらいの経験だった。こんな極限状態においても、なお優秀な兵士は、仲間・相手を、思いやれるそうである。自分のことだけでなく身を挺して仲間を守る。日ごろに通じるよい教訓を体で覚えさせて頂いた気がした。終了後の宿舎までの行軍で、両足はまた吊った。皆との笑い声に包まれながら。
○10㎞徒歩行進訓練
両足の痙攣、前日のアルコールが残って眠れない。男4人で寝ているといびきも激しい。寝付けたかなと思う頃には朝になった。朝5時、辺りはまだ真っ暗だ。集合地点には車のライトに照らされた自衛官達が装備を整え待機している。
事前に10㎏の重りを背負い、10㎞行軍すると聞いていたが、命令は20㎏背負っての行軍。嘘だろうと思いながら気持ちが萎える。重りの入ったリュックを地面に置き、仰向けになって寝たまま装着する。気持ち共々、立ち上がれない。やっとの思いで立ち上がってふらふらする自分を感じる。完歩できるだろうか。不安しかなかった。一列に隊列を組み進む。みんなで足を揃えなくていいだけ良いか。行軍の途中、夜が明け、朝焼けに輝く那岐山が目に入る。何て美しいのだろう。この20㎏の重りさえなければと思いひたすら歩く。10㎞ってこんなに長かったかな。歩く距離が伸びるほど、重さがずしりと増してくる。外周を3周して10㎞終了となるが、途中休憩が入る。一度下ろして普通に歩いてみると、体が3倍軽くなったような錯覚に陥る。教官より現在何パーセントの消耗か聞かれ、とっさに3%と答えた。そうでも言わないと、乗り切れない気がした。アミノ酸を補給し、担ぎまた歩く。自衛隊はいつもこんな苦しい思いをして訓練をしているのか。痛感していた。とにかく完歩した。達成感。大の字になって寝る私と、澄みきった空の青。爽快だった。
○基本教練
気を付け、休め、敬礼、右向け右、左向け左、まわれ右。初日と2日目。
いずれも基本教練があった。初日はまったく揃ってないが、2日目はよく揃うようになったとお褒めの言葉を頂いた。海洋少年団に所属していた私にとって、海と陸では少々作法が違う。特に敬礼と、回れ右はやり方が違うので、掛け声と共にとっさに反応する所作が違い苦労するものだった。楽しくて楽しくて仕方がないというものではないが、皆が揃っていると思えば大変気持ち良い。きびきびとした的確な動きを心掛けた。動作する方も気を使うが、掛け声をかける方も難しいのではないかと感じた。特に自衛官の発する声は、響き渡り、自然と自分達の気持ちを引き締めてくれる。最後に基本教練のテストがあるとのことで、これは少々自信があった。一番になりコメントを求められたら何と言おうか。様々な考えを巡らし、結果報告を待った。一番良かった方は、・・・。呼ばれたのは私ではなかった。残念。行進時の足が大きく上がってなかったと反省し、離隊する最後まで気は抜かないと心に誓った。

○諏訪中隊長の防衛講話、グループワーク
安全保障とは、主体が、価値を、脅威から、手段によって守ること。時代によってその内容、幅は変化するとのことだった。国民の戦う「意思」が脅威となり力となっている。日本は、戦後軍隊を持たない国。平和憲法のもと、日米同盟に守られ経済復興を果たした。平和ボケしてるといわれるが、近隣諸国からの脅威がないわけでは決してない。日本人の「意思」はどうなのだろうか。北●鮮からミサイルが飛び、●国は尖閣諸島を狙い、北方四島は日本に復帰していない。憲法で軍隊と位置づけられていない事を、現場の自衛官はどう思っているのか。率直に質問したが、答えは簡単明瞭なものだった。軍隊であるとか、ないとか日々考えている訳ではない。国民が戦えというのなら、いつでも戦う覚悟はできているというもの。この覚悟という言葉に自衛隊員の魂を感じる思いだった。戦争を望んでいる訳ではない。してほしくない。しない方が良いに決まっている。しかし、こちらが望まなくとも脅威は存在しつづける。いつその日がくるかもしれない。その時の為、日々鍛錬し、災害があれば24時間体制で準備し、駆けつけてくれる自衛隊員がいる。感謝すると共に、頭が上がらない思いでいっぱいだった。
またグループワークでは安全保障のモデルとして、全く新しい第4のモデル、世界政府モデルを提唱した。全ての国が1つになるというもの。明治維新が起こったように、新しい時代を創れないか。理想であるが、それを実現するためには大きな痛みが伴なうのではないかということであった。
○おわりに
中隊長をはじめ、小隊長、班長他様々な方が質問に気軽に答えてくれ、飲み会では自衛隊の経験談など日ごろ聞けない事まで教えて頂いた。大変ありがたいものだった。離隊時、中隊長より今回の体験訓練、自衛官の入隊時にやるものより厳しいものであったことをお聞きし、そうだったのかという思いと共に、やり遂げた達成感に満ち溢れた。最後は自衛隊の皆さんに拍手・握手を持って送って頂いた。
愛するもの、愛する人を脅威から守ること。このことを「防衛」というのだろう、今はそう考えている。
帰りの門。入居許可証を返納する。門兵に自然と敬礼する自分がいる。心なしか門兵の顔は笑顔に見えた。ライフルは相変わらず黒く光っていた。