2017年11月 
 豊後高田市(まちづくり・教育)現地視察

『豊後高田市視察レポート』

春名充明 (岡山政経塾 16期生)

1.はじめに
 「教育のまちづくり」の取り組みから、これからの学校教育において必要なことを学ぶため、また、「昭和の町」として、衰退の危機から転換した商店街の取り組みを学ぶため、豊後高田市視察に参加した。
参加日程:平成29年11月25日(土)
視察内容:(1)河野 潔氏(豊後高田市教育委員会教育長)の講演
     (2)「昭和の町」の視察

2.「昭和の町は教育のまちです」
 まずは、表-1を見ていただきたい。これは、「全国学力・学習状況調査」として、毎年小学校6年生と中学校3年生を対象に実施されている学力調査である。豊後高田市は、多くの教科で全国平均を上回っている。もともと学力が高い、教育に力を入れている自治体なのかと、思われるかもしれないが、そうではない。平成15年度に行われた、大分県内の学力調査では、23郡市中22番目であった。
その状況を転換したのだ。
 平成28年度の「全国学力・学習状況調査」では、全8教科中、5教科で県内トップの成績を出している。何が、豊後高田市を変えたのか、そして、変わった後、現在の豊後高田市は、どうなっているのか、私なりに調べた。

表-1 豊後高田市の「全国学力・学習状況調査」成績(全国平均との差)

3.「学びの21世紀塾」の取り組み
 平成14年度の学校週5日制を機に、独自の手法で土曜日の学習を実施し、学力の向上を図ってきた豊後高田市であるが、その理念は、全国の教育機関が学ぶものである。

「地方に住んでいても、都会に住んでいても、学習(教育)機会に差があってはならないし、まして、経済的理由で受けられる教育に差があってはならない。」

 この理念のもと、まず、市民にアンケートを実施し、週5日制に対する不安を把握した。アンケート結果では、学力低下などを不安視する意見が70%に上った。この課題に対し、行政が責任を果たすべく、「学びの21世紀塾」を開設するに至った。

表-2 「学びの21世紀塾」取り組み年表

 取り組み開始から、16年目、「学びの21世紀塾」は、豊後高田方式として、全国の自治体が見習うべき先進モデルとなった。さらにこの取り組みは、国政を動かし、平成25年11月には、学校教育法施行規則を改正し、土曜授業の実施を地方公共団体の教育委員会に委ねることとなった。


4.教育のまちの目指すべき姿
 教育のまちとして、全国的に知られるようになった豊後高田市は、現在、どのようなことを目指しているのか、調べた。
 平成22年9月、市は、豊後高田市新図書館基本計画を策定し、新たな図書館を建設することを決めた。この計画の背景には、「学びの21世紀塾」の取り組みがあり、さらに、基本計画には、

「図書館を、地域社会における「学校」と位置づける。」

と、明記した。この方針は、現在、女性の社会進出が進む一方、「家庭」の在り方が課題となっており、課題解決に向けた方策となり得ることが伺える。つまり、放課後の子どもたちの居場所に、図書館が最適であると、考えているのだ。
 新図書館は、平成25年2月にオープンし、年間3万人の利用者数を目指していたが、実績はそれを遙かに上回るものだった。

図-1 豊後高田市新図書館の利用者数推移

 平成22年の旧図書館の利用者数が年間約8千人であったのに対し、新図書館は、約8万人で推移している。この利用者数は、全国的に見ても多く、教育文化が、豊後高田市に浸透していることがわかる。

表-3 図書館利用者数と人口あたりの利用回数

5.昭和の町の再建
 豊後高田市は、国東半島の商業都市として、特に、海運業の発展とともに、江戸時代から昭和30年代まで栄えてきた。当時は、300店舗以上が並ぶ商店街を形成していた。しかし、主要鉄道の廃止、自動車交通の発達、郊外大型店舗の進出などにより、昭和40年以降、衰退の一途をたどることとなった。その結果、「1時間にババアが1人と猫が1匹しか通らない商店街」、「鉄砲を撃っても人に当たらない」などと、揶揄されるようになった。
 転換のきっかけは、平成4年の豊後高田市商業活性化構想に対する疑問からだった。商店街の全てを取り壊し、野球場や商業施設を作ることが、構想の中身であったが、このことについて、商店街の若い店主は、商工会議所の若手職員と議論するようになった。その後、4人の若者によって、商店街の特徴を活かしながら、観光客を増やすことを話し合うようになった。
 4人は、「昭和の町再生会議」を立ち上げ、新たな構想を掲げた。平成10年には、「昭和の町」構想を市長に提案し、支援を受けられるようになった。
 平成13年から「昭和の町」がオープンし、その後、観光客が年間30万人以上訪れる商店街となった。

図-2 昭和の町観光客数の推移


6.まちづくり会社の設立
 「昭和の町」は、もともと商工会議所と店主の有志が始めた事業であったため、組織が確立されておらず、観光客数の増加に対応しきれない状況に陥った。そこで、平成17年に、「豊後高田市観光まちづくり会社」を設立し、官民の連携を明確にし、ビジネスとして、この事業を取り組むこととした。
 一般に、行政が行う観光支援は、補助金一辺倒であり、収益を考慮したものではない。しかし、まちづくり会社は、営業を行い、収益性を追求することができる。さらに、収益を商店街へと還元し、中心地の形成を維持管理できる仕組みの構築を図っている。

7.おわりに
 教育と観光の転換を行った豊後高田市は、現在、「移り住みたい田舎」ランキング(田舎暮らしの本(宝島社))で5年連続ベスト3を達成している。平成29年から新設された、シニア部門ランキングでは、堂々の1位だった。市の移住定住関連支援策を見ると、圧倒された。おおよそ100以上の支援策が列挙されていたのだ。おそらく、全て豊後高田市独自のものではない。全国の優良支援策を勉強し、良いと思うものを取り入れているのだ。その素直でシンプルな発想が、なぜ、私の住むまちにはないのかと、思う。
「やるべきことをやる」という気持ちが必要不可欠である。



写真-1 豊後高田市立図書館
私も、こんなステキな図書館で勉強したいです。