2017年11月 
 豊後高田市(まちづくり・教育)現地視察

教育、昭和の町と湯布院

高田真也 (岡山政経塾 16期生)

○はじめに

 出発日前日、娘より1冊の本を手渡された。「ナミヤ雑貨店の奇蹟」この本が原作となって今年の9月に映画も公開された。何でも豊後高田市の昭和の町がこの映画のロケ地になっているとのこと。手に取って読んでみることにした。投函した手紙がタイムスリップするストーリーらしい。昭和の時代へと。

○昭和の町

 

 豊後高田昭和の町~通り商店街のアーケード看板を見たとき、わあっと気持ちが高鳴った。娘よりこの映画のロケ地を写真撮影するよう言われた私は、ガイドマップの写真を頭に焼き付けていた。今流行りのアイドルが出演しているらしく、年頃の娘にとっては絶対にみたいスポットだったようだ。父として必死に覚える必要があった。
 そのおかげもあって、町のひとつひとつを興味深くみることができた。本や映画を見た人ならわかるが、何気ない橋、スーパー、魚屋、古びた雑貨店の看板、牛乳箱。至る所に昭和がある。電機屋(旧名ナショナル)のショーウィンドウには三種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)が陳列されていた。これには釘づけとなった。私の実家は、電機屋を営んでいる。この時代から日本は経済成長し、父は店を引き継ぎ、私たちは生活を営むことができた。松下幸之助氏がナショナルを創設しなければ、私たちの生活はどうなっていたかわからない。また、町のどこを見ても「高田」という名前がある。私の苗字は「高田」ここも「高田」。ひょっとしてこの町は私の町?もしかして私の先祖の町なのかと錯覚するほどだった。
 程なくしてブラジル珈琲舎に着いた。先に到着していた小山事務局長に笑顔で迎えられた。お洒落な雰囲気とコーヒーの香ばしい薫。何よりギターの音色が私を魅了した。リクエストを紙に書けば、それを弾いてくれるとのこと。何曲もリクエストした。はじめに演奏してくれたのは、山口百恵「いい日旅立ち」昭和を代表する歌手だ。その後も小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」。河島英五「酒と泪と男と女」等々。音楽は私たちを当時のままにタイムスリップさせてくれる。後にギターの弾き手に話を伺った。90歳近くなのだそうだ。全く見えなかった。当時のキャバレーで連日連夜演奏し、腕を磨いた。音符を初見し何度も弾いたそうである。音の重み、音色が違う。ここもまた昭和を感じずにはいられなかった。最後は一度も聞いたことがないのに興味本位でリクエストした曲「あなたまかせの夜だから」。曲調を思い出だすことはできない。でも、一番印象に残る曲となった。矛盾しているといわれても仕方ない。
 平成に製作された「ナミヤ雑貨店の奇跡」だが、このなかでも音楽は一つのキーワードになっている。物語を代表する曲がある。その曲目は「再生」だ。この昭和の町も、見事に「再生」されている。30年代をコンセプトにし、日本のどこにもない、2番煎じではない町をつくりあげた。一つの方向性に導くため、幾人の人間が、幾時間をかけて話し合ったことだろう。皆がどうつながって、思いがひとつになり、形作られたのだろうか。はじまりにとても興味がわく。

○教育の町

 はじまりの根幹は「教育」だろう。直感で勝手に思い込んでいた。
 子供に対する教育。私の仕事では全く縁のない世界。知らない間に教育は様変わりしていた。昭和に生まれた私にとって、土曜日の午前中の授業は普通だった。それがいつの間にかゆとり教育となり、いつの間にかまた方向転換された。
土曜日の在り方が問題となっていたようだ。土曜日の講座、これが豊後高田方式といわれ、文科省も興味を示すほど、画期的な取り組みだそうだ。何がそんなにすごいのか。昔は当たり前だったではないか。私の頭の中は、昭和のまんまのようだ。
 20年前、「教育のまち」を掲げた。日本全国に教育はあり、教育はあたりまえだったが、この当たり前をコンセプトにした。定住対策が主な目的だったそうである。社会増や、自然減。日ごろ聞きなれない言葉だが、いったいどれだけの自治体がこの定住対策の功を奏しているのか。豊後高田市の減少率は少ないのだそうだ。功を奏している。
 教育長の河野氏に私の直感を素直に質問した。昭和の町と教育の町は、元々2本柱ではじまった。教育で人を創ったから、その人達が昭和の町を発想した、そうつながったと思ったのだが、直感はあくまで直感でしかなかったようだ。
 やはり、はじまりには興味がわく。

○湯布院

 数人の老舗旅館を営む若者が、ドイツの街を視察した。当時日本の温泉街といえば、風俗などが当たり前だった時代、彼らは文化、芸術の街を目指した。この軸はぶれなかった。そうしてできた街が、ここ湯布院だ。由布岳のすぐそばに宿泊した。温泉は最高だった。目の前に山がそびえたち、風情も申し分ない。ある同期生に、岡山の地元の温泉地と比べ、何が違うか尋ねられ、見たままだが、湯煙がたくさんでていると答えた。また美術館を相当数有している温泉地もここだけだろう。本当は楽器を使用した音楽祭などを鑑賞したかったが、偶然見かけた、湯布院夢美術館「山下清」原画展に引き込まれた。子供の頃、山下清がモデルのドラマを見ていたため、自然と興味が湧いた。何よりその主題歌「野に咲く花のように」は、山下清の原画を見ている最中、頭のなかで何度も何度も演奏されていた。貼り絵であることは知っていたが実物を見て圧倒された。何て精巧なのだろう。こんな線、どうやって貼り絵で表現するのか。戦中の物資が不足していた時代から、1人放浪の旅に出ていた作者は、1食の恩義で、様々な作品を残した。今回の視察では一部、3人おじさん男旅になることがあったが、この時だけは各自個人行動で、ほんの1時間だが自分も放浪している気分だった。なぜここで、原画展が開かれるのか、不思議だった私は、作品を見るにつれ理解することができた。見たもののみが知ることができる。帰りに土産に複製画を購入した。作者が大好きだった「花火」。すでにそれは我が家に飾られている。

      
○おわりに

出発日前日、娘に渡された文庫「ナミヤ雑貨店の奇蹟」も残り数ページとなった。豊後高田市を訪れることで、自分自身が昭和の時代へタイムスリップした。今回の視察では、音楽、再生、3人男、高田、電気店、コーヒーなど、自分自身の過去・現在、文庫本の内容、昭和の町の現在など、様々なことがむすびつき、リンクした。また道中での同期の言葉、自分自身の本当の仕事とは何なのか。街づくりにはストーリーがかかせないなど、得るものがたくさんあった。これから、自分がどんな地図を描くのか、タイムスリップする手紙があるなら投函してみたい。私達の未来へ。