2017年11月 
 豊後高田市(まちづくり・教育)現地視察

教育のまち、昭和のまち豊後高田市レポート

山本正日 (岡山政経塾 16期生)

1.はじめに
「昭和の町は教育の町」と称す豊後高田市を平成29年11月25日に視察した。まず、昭和の町の商店街を視察した後に、豊後高田市教育委員会を訪問し、豊後高田市教育長の河野潔氏に講演をいただいた。
備後高田市は急激な人口減少に伴い、観光による町の活性化(昭和の町商店街再生)と、教育による町の未来への人材基盤づくりの2つを両輪に、新しい活気ある街づくりを継続しているまちであり、視察内容をレポートとしたい。

2.教育改革の始まり
 豊後高田市が「教育のまちづくり」を揚げて取り組みを始めたのは2002年からである。この当時から「過疎化」、「少子化」などの問題はすでに全国で大きな課題となっており、豊後高田市でも人口減少に歯止めをかけたいという強い思いから、街の活性化に対してのアイデアを真剣に話し合った。その中で、人口増加に直接結びつくような産業や資源を持たない豊後高田市で「教育」に目を付けたのは当時の永松博文市長であり、「人こそが資源」と大きく舵を切り、教育改革に着手した。
同時期に「過疎化」についての問題では、町の中心部の商店街を立て直し、直接観光客を呼び込みたいと考えた。豊後高田市の中心商店街は昭和30年頃栄えていたが、他の多くの商店街と同じように時代の波に取り残され、寂れた商店街となっていた。大きな観光資源や特産物が無く、街並みも古く建て替える予算も無い状況であった。どうすれば良いかを知恵を出し合った結果、「古くて建て替えることができないならば、古い建物を有効利用しよう。」というアイデアが生まれ、そこからレトロな町を再現し、『昭和の町商店街』を構築していった。
当初7店舗から始まった『昭和の町商店街』の再建は、現在44店舗の年間40万人が訪れる商店街に生まれ変った。実際に視察に訪れてみて、懐かしい昭和の建物や看板、商品がある中で私が最も気に入ったのは、「ブラジル珈琲舎」という喫茶店。ここでは昭和の曲をリクエストして弾いてくれるサービスがある。自分の好きな昭和の歌をチョイスして、懐かしいあの頃に戻っていく感覚が一層レトロな時間を満喫させてくれる。
 さて、2002年当時は公立学校における完全学校週休二日制が始まった年である。当時の豊後高田市は学力テスト県内ワースト2位という位置にいた。現在、国語・数学・英語は県内トップ、さらに九州でもトップに迫る勢いである。
スローガンを「夢を描き、実現できる子どもの育成」としてビジョンを描き、10年以上の歳月をかけて成果を出している。教育は時間がかかり、結果が分かりにくいと思われがちであるが、見事に未来への投資がなされている。その結果、人口減少率がゆるやかに抑えられているまちとなっている。
人口増減は出生率や高齢者などの死亡率、町に入った人と出て行った人の移住率が関係する。高齢者の死亡(長生きしているとも解釈できる)がどうしても多いので多少人口は減少しているが、移住率や出生率が高く、全体として人口減少が抑えられているまちとなっている。その結果2013年発売の「いなか暮らしの本」にて、豊後高田市は「移り住みたい田舎」ベストランキング全国第1位に、堂々輝いている。

3 教育改革の内容について
次に具体的な教育改革の方法についてである。まず、教育に力を注ごうと考えたのは、2002年に完全学校週休二日制が始まることで学力低下や土曜日の過ごし方を心配する保護者が多く、この問題解決を行政に求めたことにある。
地方と市の中心部、経済的な理由で受けられる教育に差があってはならないという理念のもと、市が運営する無料塾をつくった。子供たちはテキストを含め無料である。
まず、小中学校の先生に協力を求め、地域の方にも講師として参加してもらう。時給1,500円で1日3時間の講師料。予算は当初約600万円で、現在は国や県の補助も含め約2,400万円で行われている。成果を上げるために莫大な予算を投入していると予想していたので、『2億4000万円?』の聞き間違えかと私は驚いた。
その活動内容は『いきいき寺子屋活動事業』として、英会話教室・パソコン講座・そろばん教室・少年少女合唱団・テレビ寺子屋講座などがある。特にテレビ寺子屋講座はケーブルテレビの普及(90%以上)に伴って教室に通いたくても通えない子供たちへ学習機会を提供するために創設された。
新しいことを始めると批判や反対が多く、はじめは教員以外の講師をお願いすることにも抵抗があったが、しだいに協力体制が築かれ、土曜日の中学校の部活動を隔週で午後から行うというのも浸透した。 「地域と学校が同じ方向に向かっている実感が出てきた。教員の意識改革にも成功した。」と豊後高田市教育長の河野潔氏は言われた。また、小中一貫校(平成26年文部科学省調査で全国1130校)を積極的に導入し、学習の効率化や義務教育課程での学校生活の安定化により学力向上につなげた。
現在は中学から高校の連携が鍵になっており、奨学金制度などの予算の活用により、高校の学力向上や大学進学などの実績に結び付ける努力をしている。
また、『のびのび放課後活動』として、野球・バレーボール・剣道・ソフトテニス・空手・サッカー・柔道・カヌー・卓球などスポーツ活動で18競技31団体が登録されている。さらに、学力のみならず、様々な体験学習によって体力や豊かな心の育成を狙いとする活動として、そば打ち体験などの料理や、農業体験活動、ものづくり活動、趣味・教養・芸術文化活動など年間3000人ほど熱心に参加している。

4 終わりに
今回私たちが豊後高田市教育委員会を訪問時には、中央の内閣官房と文部科学省から1名ずつ派遣(1年間)されている役人の方が同席して、詳しく説明していただいた。平成25年に豊後高田市に当時の文部科学大臣下村博文氏が、土曜授業復活に関する審議のため訪れ、後の記者会見の中で『学びの21世紀塾』を「土曜日における教育活動」の目指すべき優れたモデルの一つとして紹介している。
このことから現在も豊後高田市の取り組みを中央では、非常に重要視していることがわかる。
また、『知・徳・体の教育』と言われるが徳の部分で郷土出身の偉人を取り上げる教育を実践している。検事・大臣として活躍された一松定吉氏、弁護士・国会議員として尽力された鬼丸義斎氏、近代美術に新風を吹き込んだ画家片多徳郎氏、書道や国語分野で現在活躍されている財前謙氏などを紹介し、小学校での偉人教育などに活用している。
私は現在母校で教鞭をとっているが、この部分が抜けている、または足りていないと思った。まず、偉人を学び、文化・伝統行事、学習・実習と入るのが自然であると私は考える。学力・技術や文化・伝統・行事も大事であるが、実在した郷土の偉人は、子供たちが学ぶ、具体的な目標となる。無論必ず全員がその偉人と同じ考えにならなければいけないという意味ではないが、高い意識を持ち学ぼうとする子供たちも存在し、高い向上心を示す指標となる人物やモデルとなる偉人を教える必要性がある。
これが無いというのは良いモデルとなる目標を教えていないことになり、教育的に大きな問題であると私は考える。
『偉人の人生に学ぶ』ことは、偉人の人格や、学力・技術などの能力や、その努力過程での工夫や苦労の様子を知ることにより、世の中に貢献することの大切さや、勤労意欲、善悪の判断などを学ぶことができるからである。
また豊後高田市は、学力テストだけでなく体力の向上でも成果を出している。これは『いきいき寺子屋活動』や『のびのび放課後活動』ともに、子供たち自らが「学びたい。活動したい。足りない部分を補いたい。」と考えているからだと私は思う。
いつ参加しようとも、いつ辞めようとも子供たちは自由なのである。しかも、学びたい内容やカリキュラムも自由である。つまり、目的が明確で主体的に学習ができているからである。もちろん、市役所職員、学校の先生、講師、地域の協力者、保護者など周囲の思いやサポートが一体となったからこそ、大きな成果につながったことは言うまでもない。
また、私はもう一つ数字には表れない影の教育の成果について考えてみた。それは一般に学校に求められることの重要な要素の一つに『社会でのルール・マナーを教えること』がある。豊後高田市の『学びの21世紀塾』は地域全体を巻き込むことによって、『社会でのルール・マナー』を実際に子供たちは自然に身につけてさせているのではないか。『社会でのルール・マナー』は学校が教えるものであろうか?それとも親か?こんな疑問に対しての答えを豊後高田市の教育的取り組みは出していると私は思う。
 2002年から始まった豊後高田市の人口増加を目標にした魅力ある街づくりは、『昭和の町は学びの町』のフレーズに凝縮される。古き良きものを大切に、そして10年以上の歳月をかけ、多くの人の努力が成果を生み、花を咲かせている町、それが豊後高田市だと思う。
岡山県は比較的恵まれた地域で危機感が少ないと言われる。私の母校も生徒募集などでの危機感が足りないと感じることがある。長い目で見て、目標を定め、ビジョンを練り、多くの人の力で地域の活性化や、子供たちの教育を支えていかなければならないと改めて強く思った。今回も自分自身新たに学べる良い機会を与えていただき本当に感謝したい。もっと精進して世の中に貢献していきたいと思う。