2017年11月 
 豊後高田市(まちづくり・教育)現地視察

「弱み」を「強み」に変える
~昭和のまち・教育のまちに学ぶ未来の描き方~

間野陽子 (岡山政経塾 16期生)

1.はじめに
「ゆとり世代」という言葉がずいぶん前から近年の若者を批判するものとして使われるようになった。「完全学校週5日制の下で各学校が『ゆとり』の中で『特色ある教育』を展開し、子どもたちに自ら学び自ら考える力などの『生きる力』を育む」ことを目的として始まったゆとり教育は、厳しい受験戦争を勝ち抜くための詰め込み教育を受けてきた大人たちから「ゆとり世代」として批判される子どもたちを育ててしまったのである。結果として平成28年、文部科学省によって「脱ゆとり教育」が宣言されることとなった。
では、「生きる力」を育むための教育とは一体どのようなものなのだろうか。そもそも「生きる力」とは一体何なのか。「豊後高田方式」と呼ばれる独自の教育方式を地域が一体となって確立し、「教育のまち」として注目される大分県豊後高田市に学んだ。

2.学びの3本柱
 豊後高田市が「教育のまちづくり」の一環として取り組んでいる「学びの21世紀塾」は、平成14年の完全学校週5日制の導入にともなって開始された。住んでいる場所や経済的な背景に関わらず平等な学習ができる教育環境を整え「夢を描き、夢を実現できる子ども」を育てるという趣旨のもと、子どもたちの「知」・「徳」・「体」を育む活動を行っている。



①いきいき寺子屋活動事業
 いきいき寺子屋活動事業は子どもたちの知力を育むため、地域の住民や教職員が講師となりさまざまな講座を実施している。平成29年度は86講座179教室が開設され、登録されている塾生は述べ2,732人に上る。
 
②わくわく体験活動事業
 わくわく活動事業では、「週末子ども育成活動」として料理教室や太鼓教室、清掃活動や農業体験など子どもたちが日頃体験することができないような活動を通じて子どもたちに「徳」を学ぶ機会を与えている。また小学6年生を対象に開催される「ステップアップ・スクール」では、友達や地域住民とふれあいながら自然体験・生活体験を行うことにより家庭や地域社会の大切さや支え合うことの大切さを教えている。

③のびのび放課後活動事業
 のびのび放課後活動事業では健やかな心と体づくりを目指し、各種スポーツ大会、スポーツ教室を開催している。支援団体は18競技31団体に上り、中学校や高等学校において県大会や全国大会、国際大会で活躍するチームも存在する。

 3.「教育」の定義
  豊後高田市が学びの21世紀塾を開始した平成14年は、ゆとり教育が始まった年である。多くは教育の失敗例として語られる「ゆとり教育」が、豊後高田市では成功例と成りえたのは何故なのだろうか。
  今回、豊後高田市教育委員会の河野教育長のお話の中で私はその答えを見つけられたように思う。「教育は子どもが夢を実現するための手段である。」という河野氏の言葉に、そのすべてが表れているように私は感じた。子どもたちの「夢を描き実現することができる力」を養うことを目的とし、その目的を実現するための手段として教育を定義することによって教育の在り方は明確化されるのではないだろうか。「教育」は目的ではなく、手段なのである。
  豊後高田市は子どもたちにとっての「生きる力」を「夢を描き、実現することができる力」と定義し、その力を育むために与えられたゆとりを最大限に生かした教育を実現している。
「学びの21世紀塾」で学ぶ児童、生徒たち(学びの21世紀塾パンフレットより引用)

4.「弱み」を「強み」に変える
  豊後高田市は教育のまちとしてだけでなく、昭和のまちとしての知名度も高い。かつて犬と猫しか通らないと言われた商店街は今や年間約40万人の観光客が訪れるようになった。その成功の裏にあるのは建て替えをする費用が無く、古い建物ばかりとなってしまった街並みを「強み」として活かすという逆転の発想である。総延長550mの商店街を実際に歩いてみると、平成生まれの私は見たことがないはずなのにどこか懐かしい一店一宝に巡り合えた。お客のリクエストに応じて無料で昭和の名曲をギターで演奏してくれる素敵なコーヒー屋さんにも是非また立ち寄りたいと思う。
商店街を走るボンネットバス             お茶目な店主が待つ素敵なコーヒー屋さん

5.おわりに
  今回の豊後高田市の視察において私が楽しみにしていたことの一つは湯布院温泉での宿泊である。仕事を休み前日から大分県に入り、女性二人で由布岳を眺めながらゆったりと温泉に浸かる。これ以上ない贅沢な時間の中で、日頃の疲れを癒し良質な温泉でお肌の調子を整えることができた。湯布院では金鱗湖周辺を中心に街を歩いてみたが、観光バスで車が前進まないほど多くの観光客で賑わっていた。
  人が集まるところには理由がある。その理由は美味しい食べ物であったり他にはない個性的な商品であったりとさまざまではあるが、共通するのは人を集めようとする人の熱意である。丸亀町商店街も豊後高田市も湯布院も、人が集まる理由はそれぞれ違うがどの街も「このままではダメだ」と立ち上がる人々が未来を切り拓き今につなげてきたのだと思う。
  今目の前にある現実に、これから先に待ち構える未来にどう立ち向かうのか。自分で考え未来を切り拓く力を、大人になりこれからの社会を担う私たちゆとり世代は自分自身で養っていかなければならない。