時代に逆行した「発想の転換」からの発展
菱沼路代 (岡山政経塾 17期生)
1.はじめに
視察前に豊後高田市がホームページにて掲載している中に、「昭和のまちは教育のまちです」事業についての記事が目に留まった。「昭和」と「教育」がどう結びつき、年間40万人の来訪者が訪れる昭和のまちの魅力とは何か、文部科学省や多くの市町村から豊後高田市の教育の取り組みについて視察になぜ訪れるのか興味深く思った。
実際に昭和の町を見て回り、教育長 河野 潔氏の講演を通しての学びをレポートにする。
2.昭和のまち
豊後高田市の中心商店街は、江戸時代から明治、大正、昭和30年代にかけて、国東半島でもっとも栄えた町であった。しかし、徐々に時代の波に取り残され、日本各地にある多くの商店街と同じく寂しい町になっていった。
そして、商店街が元気だった昭和30年代の活気を蘇らせようと平成13年に立ち上げたのが「昭和の町」の取組みである。
当初7店舗からスタートした昭和の町認定店は増えていき、現在では年間約40万人の来訪者を迎える商店街になった。
総延長550mの通りを歩いていると、昭和50年後半生まれの私にとっては、見たり、使ったりしたことはないにもかかわらず、どこか懐かしくゆったりとした気持ちにさせてくれた。
視察した日も、駐車場には県外ナンバーの観光バスや自家用車が多く停まっており、昭和の町も若者からお年寄りまで幅広い世代の来訪者でにぎわっていた。
3.教育のまち
平成14年度から学校完全週5日制が始まり、保護者や学校関係者などから土曜日の過ごし方に対する不安の声が聞かれた。そこで豊後高田市では、地方の田舎に住んでいても都会と比べて学習機会に差があってはならない。ましてや経済的理由で受ける教育に差があってはならないという理念に基づき「学びの21世紀塾」を公営で進めている。
この「学びの21世紀塾」では、①いきいき寺子屋活動事業(知)②わくわく体験活動事業(徳)③のびのび放課後活動事業(体)の3つの柱で組み立てられている。
①いきいき寺子屋活動事業 (知)
学習活動中心にした「学びの場」として、土曜日講座から始まり児童・生徒のニーズに合わせて、部活のない「水曜日講座」、中3を対象に長期休暇を利用した「夏季・冬季特別講座」を設けるなど発展させていった。
現在66講座122教室を設け、塾生は延べ2348人、指導者(講師)149人(市民45人、教職員等104人)、ボランティア202人(市民71人、教職員131人)が登録されている。
②わくわく体験活動事業 (徳)
週末や平日の放課後に公民館等で、地域に伝わる民俗芸能や職業体験等、子どもたちが日常では体験できない活動を地域の方々に教えてもらったり、交流をしたりする「出会いの場」である。
③のびのび放課後活動事業 (体)
子どもたちの健やかな心や体力づくりを目指し、放課後、土・日曜日、夏季休業中に行われる「スポーツの場」であり、31団体が活動している。
また、子どもだけでなく、大人を対象とした「市民講座」も、古典講座や健康講座等
13講座が年間60回開催されている。
4.逆転の発想からの発展
豊後高田市は「千年のロマンと自然が奏でる交流と文化のまち」づくりを将来の都市像として数多くの施策を推進させている。それに代表される「昭和の町」を取り巻く商店街や観光エリアは活性化され発展している。
衰退したまちを取り壊して新しいものをつくるのではなく、あるものを使うという発想が費用負担も抑制できたのだろう。
また、現在の生活の中では見ることがない店の宝物に、思わずふらふらと立ち寄ってしまった。店の方も積極的に声を掛けてきてくれたことも重なりそこで人と人の心の通いが生まれ、「懐かしい」といったひとの心の拠り所としても根付いたのではないかと考える。
そして、「ひと」「もの」「こと」づくりを通しての「まちづくり」の大きな原動力は「ひとづくり」であると考え、昭和時代の活気溢れる地域力や教育力の有り様に学び、時代に逆行した昭和の考えを教育に取り入れている。
豊後高田市は、どの市町村よりも早く未来を見据えた取り組みを展開していくことで、新たな時代を生きる力と豊かな心をそなえもつ未来の子どもたちを育成しているのだろう。さらに、子どもたちとの関わりを通して、大人たちもまた地域の発展に貢献に関わっているのだと考える。
5.おわりにv
平成30年度豊後高田市の教育指導指針が、「夢を描き、実現できる子どもの育成」と置き、重点キーワードに「子どもたちが自分の好きなことをより好きに」としている。v
子どもが、自ら好きなことをより好きになるためには、まずは子どもが様々な経験を出来る機会を増やすことではないか。 「学びの21世紀塾」のように小さな時から、たくさんの人に出会い、様々な価値観に触れられることは、子どもの感性を磨くのにうってつけだと感じた。
参考文献としても取り上げた、豊後高田市教育委員会の教育長、河野 潔氏の著書「もっと教師は尊敬されてもいいのです」の中に、「どんなに社会が進展しても、やっぱり常にその中心には、「人」がいなければなりません。「人」が一番大切な存在でなければなりません。」と記されていた。
この部分を読んだとき、河野氏の温かく、優しいまなざしと声がよみがえると共に、現在、ITの発展により膨大な情報量が得られ、頭で考える作業を疎かにしていないか。また、AIやIoTをつくりだす「人」のこころや発想が豊かであるか。社会の変化の早さに耐えられる知識やこころが得られているのか、不安を抱いた。
しかし、「人」は知識を得ること、感性を磨くことを習得していくことが可能である。その場を地域でつくり、地域住民を巻き込み子どもたちを育成していくことが、まちの発展に繋がっていると感じた。
今回の視察にて、未来を担うひとづくり、まちづくりを過去の時代である昭和のよさに視点をあて、逆転の発想を取り入れることで、強みに変えていった豊後高田市の取り組みを学んだ。
参考文献
・河野 潔 「もっと教師は尊敬されてもいいのです」
・豊後高田市ホームページ www.city.bungotakada.oita.jp/