2018年10月 
 豊後高田市(まちづくり・教育)現地視察

豊後高田市の取り組みについて

植田祐介 (岡山政経塾 17期生)

1. 昭和の町について
 豊後高田市にある「昭和の町」は、商店街の衰退によって建て替えが進まず、意図せずして昭和の街並みが残ったことを逆に利用する形で始まった街おこしである。

2001年に始まったこの取り組みによって、当時25,712人であった年間観光入り込み客数は2015年には360,342人にまで増加した。
 私は当初この「昭和の町」という名から、昭和レトロのなつかしさを売りにしているのであれば、昭和を懐かしむ世代がいなくなればこの繁栄も終わってしまうのではないかと考えていた。例えば子供たちにとっては、昭和というのは教科書に登場する遠い過去である。物珍しさはあるかもしれないが、江戸時代の武家屋敷を見るのと大差ないであろうし、そういった町並み保存地区ならそれほど珍しくもない。
平成生まれの人にとって昭和の町は本当に魅力的なのだろうか、という疑問は、実際に視察を行う中で氷解した。
 まず、「昭和」という時代は親と子、子と孫をつないでくれるのである。博物館にある江戸時代の展示品とは違い、昭和の町に展示してある昔の道具やおもちゃは、親世代、祖父母世代が実際に使い、慣れ親しんできたものである。自然、子供たちへ語る口調も特別なものになってくる。
「お父さんが子供の頃、このおもちゃ持っていたんだよ」
だとか、
「昔はどの家にもこんな道具があって、こういう風に使っていた」
といった、世代を超えた交流が生まれる。竹馬やフラフープ、射的やスマートボール等昔の遊びを体験するコーナーでは、父親が手本とばかりに挑戦し、成功しても失敗しても一笑が生まれる。江戸時代の道具や通常の遊具ではなかなかこうはいかないだろう。
 また、昭和の町はただ懐かしいだけではなかった。店と客とをつなぐ人情ある接客や、昭和の路地裏迷路、ボンネットバス、貸衣装など、古さが逆に新しさになるような様々な取り組みが多数みられた。
 私は昭和の町を見ていて、福武塾長の講演で伺った「あるものを活かし、無いものを創る」という言葉を思い出した。古い町並みを否定するのではなく、むしろ強みにしてしまうという逆転の発想は、観光客や人口の減少に悩むすべての商店、自治体にとって大いに参考になるように思う。

2. 昭和の町と教育
 豊後高田市は、ゆとり教育への転換によって土曜授業がなくなることをきっかけに、公営の塾である「学びの21世紀塾」を設立。ボランティアを集めて活動を行っている。市営の無料講座であり、その上送迎バスまで出ているという至れり尽くせりな取り組みには感心することしきりである。
 また、豊後高田市では学校教育の充実を目指した取り組みもなされている。昨今話題のアクティブラーニングのみならず、ソーシャルメディアを活かして個々の適正に合わせた教育を行うアダプティブ教育等、最新の教育方法も積極的に導入し、市独自の研修で豊後高田市に赴任した教員を鍛え上げ、教育長自ら各校を見て回り、問題があれば校長を呼んで厳しく指導する。「分かる授業」を徹底的に目指す姿勢に、自省の念を禁じえなかった。

3. 最後に
豊後高田市は、宝島社が行っている「住みたい田舎ベストランキング」で6年連続ベスト3を勝ち取っている。そんな豊後高田市であるから、移住のための取り組みにも様々なものがある。
先に挙げた教育や、子育てに関連するもの、空き家バンクやレンタカーでの移住支援、お試し居住、農業講座等、枚挙にいとまがない。教育にしても商店街にしても、豊後高田市は現状に満足せず、常に先を見据え、未来の為に行動し続けることができているように思う。一個人としても、一市民としても、この豊後高田市の姿勢に学び、勉強を続けていきたいと思う。