丸亀町商店街の挑戦~未来を変える人々の決意~
間野 陽子 (岡山政経塾 16期生)
1. はじめに
少子高齢化という有史以来日本人誰もが経験したことの無い大地殻変動によってこれまでの市場の実態も、ビジネスモデルも大きく変わった。戦後復興期から高度成長期にかけて数を増やし地域の一等地で商売をするなど「町の顔」として存在してきた商店街も、社会背景、商業環境の大きな変化を受けその多くがシャッター通りと化している。岡山市の表町商店街についても昭和43年には南進と北進で一日に5万人あった通行量は1万7千人にまで減少しているという。
このような中、再開発によって「人が住み、人が集うまち」を実現し中小企業庁による「がんばる商店街77選」に選ばれるなど四国随一の商店街として復活を遂げた高松丸亀商店街を視察し、成功に至るまでの道のりを学んだ。
2. 再開発に至る経緯
かつてバブル期に日本経済を荒らしまわった土地問題を解決することが日本経済の根本的な立て直しには必須であると言われる。400年余りの歴史を誇る全国有数の商店街の一つである丸亀町商店街も、かつてバブルによる地価の高騰で空洞化が発生した。ピーク時には年間20万人に迫る勢いのあった通行量も、2006年にはその半数にまで落ち込んだ。また、1988年の瀬戸大橋の開通により大型ショッピングモールなどの大手資本がなだれ込んできた。
このような逆境に立たされながらも、丸亀町商店街は土地問題を解決しコンパクトシティを実現することでかつてのにぎわいを取り戻してきた。これからの人口減、高齢化社会に対応するまちづくりを実現させる大前提となるのは土地問題の解決である。
3. 再開発事業スキーム
①所有権と利用権の分権
丸亀町商店街では再開発前の細分化された土地利用・不合理な店舗配置という問題を、定期借地権を利用した土地の所有と利用の分離・まちづくり会社による商業床の一体的なマネージメントという方法によって解決している。定期借地権を利用することにより土地の所有と利用を分離し、まちづくり会社が商業床のマネージメントを行うことにより合理的な土地活用を実現したのだ。また、土地の所有を変えずに商業床をまちづくり会社が取得・運営することにより土地費を初期費用として事業費に顕在化させない仕組みが実現された。再開発において肝となったのはこの「土地の所有権と利用権の分離」である。丸亀町商店街振興組合理事長の古川康造氏によればメディアなどで伝えられている内容とは異なり地権者との合意は4年という短い期間で完了したという。35年の定期借地権を利用した再開発というこれまでになかった新しい土地問題の解決を阻んだのは、地権者ではなく既存の法律と役所だったのだ。そこで丸亀商店街は建物を後退することによって民地を道路の一部として提供し、その土地を公のために拠出しつつ固定資産税を支払うなどの柔軟な手法によって役所を納得させ、それらの問題を解決してきた。すべてを行政に任せるのではなく、自分たちの街を自分たちでリスクを負い自治権をもって運営していくという新しい自治組織の形成が丸亀町商店街の再開発を可能にしたのである。
〈タウンマネージメントプログラム〉

(中小企業庁 がんばる商店街77選より)
②「お客様満足度向上」に向けた変動家賃制
丸亀商店街では家賃収入をテナントの売上によって増減させる「オーナー変動地代家賃制」を取り入れている。テナントの売上が上がらなければ地代が下がってしまうという仕組みによって地権者はテナントと協力して売上増に努めることが求められる。地権者とテナント、建物を管理・運営するまちづくり会社が売上増加、お客様満足の向上という同じ目標に向けて協力して商売に取り組むことによって商店街全体の活性化につながっている。
4. 感想
丸亀町商店街に一歩足を踏み入れると「ここは本当に商店街なのか」と驚かされた。有名ブランドのショップがあるかと思えばドームには露店が並び、病院などの施設も充実している。そして何より明るくおしゃれだった。私が想像していた商店街のイメージとは程遠いものであった。今回の視察で最も衝撃を受けたのは、丸亀商店街の「再開発前」の写真が現在の表町商店街の姿そのものであったということである。人通りはまばらで暗く雑然としている、私がイメージする商店街の姿は再開発前の丸亀町商店街の姿、現在の表町商店街の姿だったのだと気づかされた。
私にとって丸亀町商店街の再開発の過程に地元金融機関はどのように関わり、どのような支援を行ったのかという点は最も気になる点であった。しかし古川氏によれば、金融機関は極端に言えば「自発的には何もしていない」ということであった。地元商店街の活性化、地元住民の生活の向上は地元金融機関であれば誰もが実現したい、支援したいと考えるものである。しかし、それを実現するのは金融機関ではなく結局はそこに暮らす住民の力であると痛感した。金融機関は主体になることはできないが、情報を発信し地元住民の思いを支えることはできるはずである。丸亀町商店街の前例にない復活劇は地元住民が自ら立ち上がり、圧倒的な発想力をもって目の前にある問題を一つずつ根気強く解決したことによって実現したものだと知ることができた。「成功例を学ぶ」ことによってたとえ小さな力でも、自分にできることは何かを考えることが大切であると思った。