歴史から見て商店街復活の数少ない成功例を検証
山本 正日 (岡山政経塾 16期生)
1.はじめに
まず、私はそんなに商店街を好きではない。理由は①欲しいものを買うのにかなり歩かなければならない。②駐車場代金が必要だから。町の中心街なので渋滞が怖い。などの理由である。実際に商店街に必要なものがあっても行く時には交通のことで億劫となる。この感覚は私だけだろうか。私の住む岡山市には表町商店街とドレミの街商店街、西口の奉還町商店街がある。町の中心地なので、それなりに人通りはあるとは思うが、実際に経営するのは困難であると思う。例えば、倉敷市にも商店街がある。美観地区という観光の名所に通じる商店街があるが、それでも経営が難しいということはどうしたらよいのだろうかと深く考えてしまう。私自身地理が弱く商店街の情報もあまり持っていない中で今回のレポート作成は個人的に厳しいものを感じる(正直高松市丸亀商店街と香川県丸亀市の違いが分かっていなかった)。しかし、平成29年6月24日土曜日に視察させていただいた高松市丸亀商店街は、再開発により生まれ変わり、1日3万人が訪れるというまぎれもなく日本で数少ない商店街復活の成功例の一つであり、この成功例を現地にて肌で感じそして説明していただいたことを検証し、私が住む岡山やその他の人口減の町でも応用できるかなどを考えてみたい。
2.商店街の衰退の原因
まず、私は商店街がなぜ衰退しているのか、また再開発に成功していない例が多いのかを考えたい。一般的なアンケートによると休憩場所やトイレが無い(商店街に行かない理由①)、駐車場・渋滞などの交通が不便である(商店街に行かない理由②)、商店街に行かないと手に入らないような欲しいものが無い(商店街に行かない理由③)などの理由がある。
再開発では駅前の一等地が衰退すると行政が再開発に乗り出すが、誘致された新しいテナントは満足な業績を上げられずに撤退しそして衰退する。また、行政が・・・と繰り返される(再開発・発展に成功しない例①)。また、行政や商店街の店主が協力しイベントを開催するが、労力の割に一過性で継続性がなく疲弊してしまう(再開発発展に成功しない例②)。また、景観も含めて新しく開発しようにもシャッターの降りた商店をそのまま放置されても誰も制御できず、手を打つことができなかった(再開発・発展に成功しない例③)。大型店が郊外にあり、若者などが満足しており商店街の大きなライバルとなり完全に負けており、商店街の客足が伸びない(再開発・発展に成功しない例4)。
私は消費者が商店街に行かない理由①②は物理的なことであり、十分解決の可能性がある問題と感じた。しかし、③は大型店やインターネット時代の現在では商店街にしかない欲しい商品を置くことは難しく、これをクリアするアイデアが死活問題であると感じた。
次に再開発・発展に成功しない例の①行政主導型再開発②店主や役所主体のイベントの限界③土地の使用権問題④ライバル大型店の多品目商品に対応の問題解決は非常に困難であると感じた。①②開発やイベントを行政主導➡民間主導に。③土地の使用権問題は日本人の土地に対する執着心をクリア。④大型店をしのぐお客様のニーズに叶う商品。普通に考えると実現できないものばかりである。しかし、香川県高松市丸亀商店街は現実に隆盛していた地域が衰退して、その後再生・復活したということは事実なので、歴史的な事実を確認しながらその中に大きなヒントが隠されていると思われるので検証していきたい。
3.商店街の隆盛と衰退の経緯
歴史的にみると、高松城の城下町として発展してきた歴史を持つ高松丸亀町商店街。かつては周辺商店街と合わせると日本最長とされるアーケード街を擁す全国有数の商店街であった。最盛期の商店街の総売上は、平成4年には270億円、通行量は一日3,000人に達していた。
ここが隆盛の最盛期である。しかし、バブルにより地価は高騰し、住民は郊外に流出した。その結果、中心市街地である丸亀町は見事に空洞化した(衰退原因①)。また、昭和63年の瀬戸大橋開通を契機に、物流体制を整えた大手流通チェーンによる郊外大型店立地が進行した(衰退原因②)。その結果、商店街の通行量は大幅に減少を始め、売上が急速に落ち始め、売上、通行量共に最盛期の50%減となっていた。つまり、バブルによる地価高騰①、瀬戸大橋開通で郊外大型店②が高松市丸亀商店街衰退の大きな原因である。
4.商店街の再生・復活
しかし、興味深いことに丸亀町商店街はこのような事態に陥ることを予測し、商店街の最盛期である平成元年から再開発事業を開始した(再生復活への対策①)。つまり、再生計画が早い時期に行われたことが第一の対策と考える。完全に商店街から人がいなくなり、再開発を望む情熱や実行する人材がいなくなってからでは遅いが、まだ活気がある時期に計画し推進したことに先見性を感じる。次に行政ではなく、民間が主体となって改革を進めたこと(再生復活への対策②)。整備されたA区の中心の広場やイベントホールなどは、一般の人に開放しイベントや展示、パーティーなどに利用され繁盛している。
今までの商店街再開発ではまず、行政が再開発に乗り出すが行政主導であった場合、前例がないという理由で実現が困難になる傾向があり、法律の問題や、1点集中投資ができないなどの原因から日本の歴史上成功例がほとんどない事実がある。それに対して「地主主導でしか、街づくりは成功しない」と考えたところに私は信念を感じた。
さらに土地問題を解決したこと(再生復活への対策③)。
これも民間主体に行われた。それは「所有権と利用権の分離」という手法である。地権者とまちづくり会社との間で60年の定期借地権契約を締結する。地権者は土地を所有したままで、まちづくり会社に土地を貸し出し、建物はまちづくり会社が所有、運営をする。まちづくり会社は、家賃収入から建物の管理コストなど必要な経費を除いた分を地権者に分配する仕組みである。これにより、まちづくり会社が建物全体を一体的に運営することができるので、マネージメントが合理的かつ体系的に出来た。さらに再開発に係る総事業費が大幅にカットされ、土地を買って建物を建築した場合の総事業費は約200億円もかかるが、土地を借りることより、建物の費用70億円と総事業費が安くなって健全な経営が成り立った。これは地域のコミュニティーの存在が土台となり、地権者の合意が取れたと言われている。しかし、この部分が肝の部分になり非常に困難なことで、通常不可能な事象と思われるが、この奇跡の交渉をやってのけた人材がいたというのが驚嘆にあたる。
次に欲しいものがある商店街を目指したということ(再生復活への対策④)。
全長470mの商店街をA~Gの7つの「街区」に区分けした。すべての街区を対象とした再開発を段階的に行った。例えばA区の中心の広場やイベントホールなどは、一般の人に開放しイベントや展示、パーティーなどに利用できる。、公園や飲食店、生活雑貨店や病院・福祉サービスなど、街区ごとに特徴を持たせて、これまで丸亀町商店街に不足していた機能を段階的に補っている。つまり、飲食店だけであるとか電気製品がそろっている場所とかではなく、商店街全体をひとつのシティーと見立て、業種の偏りを是正することで商店や施設を適材適所に配置しようとした。その結果、丸亀町商店街は消費者の欲しいものがある商店街になった。さらなるビジョンとしてこの地域をコンパクトシティーとする(再生復活への対策⑤)。住宅を整備し、医療・介護・ショッピングを整備し老後に住みたいまちづくりを目指したことが少子高齢化の世の中のニーズに合ったのではないか。コンセプトは『年をとったらおじいちゃんのマンションに引っ越して郊外の家は子供に譲る。』というライフスタイルを提言した。バブルによる地価高騰により住民が郊外に流出し居住人口が減少した。これを根本的な問題と捉え、「客を取り戻す」のではなく、「居住者を取り戻す」という発想から住宅や介護・医療の充実を図った。
商店街の中の上層階には高齢者の方が多く入居される住宅を整備し、その下に診療所が置かれた。そして、診療所の医師がマンションに回診することで、居住者が在宅医療を受けられるという仕組みがつくられた。診療所には手術室や入院施設を持たない代わり、後方支援病院と十分な検査機器が備わっている。重大な病気の場合後方支援病院で手術を行い、手術が終わればまちに帰り、在宅で予後をケアする体制が整っている。これによって観光客に頼らない一般市民や住民が利用者として栄える商店街がつくられた。これにより町の中心部の固定資産税などの納税額も回復しているので、行政としても喜ばしいことである。
5.まとめと感想
今回研修で四国香川県を訪れ、丸亀町商店街商店街振興組合理事長の古川康造氏のお話を聞く機会をいただいた。再開発前の最盛期の商店街の一日の通行量は3,000人に達していたが、現在はこれを上回る1日3万人が訪れるという四国随一の人気商店街となった。さらに民間が主体で再生した唯一の商店街として日本各地から注目され学ばれている。
私はあまり地理も得意でなく、旅行もあまり好きではない。しかし、高松市の丸亀商店街は何度か行ったことがある。かなり、有名なのであろう。今回のレポートで思ったことは、「ピータードラッカーのイノベーション(破壊と創造)を思わせる大胆な計画を実行している」ということ。異業種間の結びつきと体系的な破壊を徹底的に計画的に行った。しかも民間主体で・・・・・と考えると、これはやはり奇跡だと思った。
顧客のニーズで考えると難しいこともあるが、努力すれば普通は道が開かれるが・・・・。商店街の場合は立地条件や周りのロケーションや土地などの投資額が大きく経営条件として成り立たないなど単発には越えられないしがらみというか、何と言おうか・・・・・問題がある。しかし、高松市丸亀商店街はこの問題や原因を①早くから、②民間主体で③主権者・土地問題を解決し④先を見据えたビジョンで魅力あるコンパクトシティーとして創造した。⑤さらに創造の為に破壊も行った。特に行政や法律など規制の厳しい日本で起きた『東洋の奇跡』だと私は思う。私自身もっと見識を広め、農業分野だけでなく岡山県の街づくりにも貢献できる人材になりたいとも少し思った。何かをするには歴史を学び、流れを知ることが大切なので今後とも精進していきたい。もう少し地理にも強くなりたい。