2017年6月 
 丸亀商店街視察

丸亀町商店街視察レポート

矢吹 彰博 (岡山政経塾 16期生)

■はじめに
江戸時代より400年、商業の街として続く丸亀町商店街。バブル、瀬戸大橋開通による大手資本の進出など衰退の時代から、民間主導で見事な発展を遂げ、昨年2016年には1,300名からなる視察の方も訪れる日本で唯一の成功モデルを同じ商店街で働く者として見て、聴いてきた。

商店街と聞いてまずイメージするのは、あまりぱっとするお店が無い、つまり商店街に行きたいと思うモノがない(ほしいと思うモノがない)ということだ。
今回の丸亀町商店街の視察に行くに当たり、普段、表町商店街で働いていながら買い物などお金を使う機会がほとんど無いことに気付いた。

■丸亀町商店街の衰退と発展
 丸亀町商店街に訪れた最初の印象は、明るい、楽しそう、ゆっくり見てみたいと思わせる商店街全体の表町商店街とは違う統一感ある雰囲気だった。
この統一感ある街並みを可能にした大きな要因が、「定期借地権」と言う仕組みの活用である。
現在の商店街の発展に至るまでに丸亀町商店街が経験した衰退期は、1980年代後半から1990年代初頭のバブル期による地価の高騰、銀行の過剰融資などにより商店街に住む住人が減少し、それに加えそれぞれの商店がそれぞれのやり方で商売をしていた為、同じ商店街でありながら方向性のばらばらな「欲しいモノが無い」場所になっていったことが原因であった。
また、1988年の瀬戸大橋開通により物流の流れが、海路から陸路へ変化した。そこから、大手資本の進出が相次ぎ100万人程度の県民に対して155万㎡の商業床というオーバーストアの状態が、更なるダメージとなった。
この大手資本の進出では、本社決算で都心に税金が支払われる為、商店街のみならず市や県への財政へも影響していった。
こういった衰退期を経験した丸亀町商店街だったが、この状況を予測し1970年代の商店街ピーク時に駐車場整備、経営にて再開発の基盤を作っていた。
この先見性が、他の多くの商店街との違いの1つだと思う。
 一極集中投資のできない県や市に頼らず、まずは民間主導で470mある商店街をA街区からG街区までの7つの街区に区分けし、それぞれの街区ごとに会社を作り役割を持たせたこと、A街区から始め小さな成功事例を連鎖させて行き、商店街全体を再開発していったことも成功の鍵であった。



2007年のA街区を皮切りに再開発の1番の難問である「土地問題」を『定期借地権』を利用し、所有権と利用権を分離させて、土地所有者の負担をなくし一旦白紙にしながら、利用権で建物を自由に建設できる仕組みを運用にまで持って行った情熱が商店街発展の最大の要因であると思う。

他の商店街でも法人化し再開発しようとしたが実現、運用にまで至らなかったのは、商店街の店主たちの昔の栄光を拭い去れない意識と、ビジョンの共有ができず商店街全体ではなく自分のことしか考えられない思考にあるのではと思った。

 また、店舗の上に住居を作りクリニックを併設し高度医療、終末医療が受けられるよう病院までも巻き込み高齢者をターゲットとし、商店街の人口を増加させたことと、現在公郊外に住んでいるその子供たちが将来的に商店街に戻ってくるという事までを描き持続可能な循環形態を実現させたことも目から鱗であった。


■まとめ
 今回、初めての特別例会で自分に身近な「商店街視察」と言う経験させて頂き、同じ商店街という場所で働く者として多くの刺激と学びをさせて頂きなました。
 特に「小さな成功事例の連鎖」と「実現させる為の情熱からのビジョンの共有」の大切さ、「実現させる為の手段、方法をリアルな分析から導き出す」とった思考は、今の自分にもできると思わせてくれるキーワードとなりました。
 自分の店舗活動もお客様に求められなければ、意味を成さない。社会から必要とされる、存在意義のある=「ここに行きたい!」と思っていただけるお店、会社、商店街(街)作りに貢献できるようこの学びを活かします。
 今回、このような貴重なお話をして頂いた古川理事長に感謝致します。